ミームとは一体なんだろうか。
編集学校でよく登場するこの言葉を松岡正剛校長は「意伝子」と訳しているが、何がどう伝承されているのかは漠然としている。
「お題ー回答ー指南」というテキストベースの編集稽古をしている中で一体なにが受け渡されているのか。41[花]では、たまたま指導陣の中にかつての師範代と学衆という組合せが三世代集うことになったので、ゆるっと編集学校について鼎談をしてみることにした。3人の間に伝達されていると思しきミームがあるのかどうか、編集談義をする中で発見したい。
◎編集三世代◎
花目付・林朝恵 [33守] コーニス途中教室・学衆
[36守] 影感モンタージュ教室・師範代
錬成師範・宮川大輔 [36守] 影感モンタージュ教室・学衆
[40守] 粘菌櫻座教室・師範代
花伝師範・森本康裕 [40守] 粘菌櫻座教室・学衆
[46守] 弓心一射教室 教室・師範代
《花伝所体験》
林 :いやあ、このメンバーで集うのは初めてですね。宮川師範は初の錬成師範ロールでしたが編集学校はしばらくぶりですよね。
宮川:数年ぶりに戻ったなあって感じです。以前、[守] の師範をやってましたが、花伝所は学衆から師範代へと着替える場所です。ピリッとズバッと言う指導が大変でした。
林 :同じ師範ロールでも講座によってモードって変わるんですよね。
宮川:林花目付も師範代だった時とはぜんぜん違いますよ。
森本:今期、初めて花伝師範をやってますが、錬成師範の時とも変わっています。宮川師範が受講していた当時と比べて花伝所ってどうですか?
宮川:僕が受講した時とは場の雰囲気とか随分違います。その頃は道場内での交流は少なくて、それぞれ黙々と演習する意識が強かったです。今は道場内での対話を重ねていくスタイルです。花伝所の指導方法も実績が積み重なり、錬成の時には、指南がうまいと思う人が多いです。その分、凹凸は減ったのかもしれませんが。
林 :凹凸するのは、師範代になってからだと思います。花伝所は型の学びが徹底される段階なので、まずはいろんなモノを削ぎ落として、真っ新な状態で型を入れてく感じ。なので多くの方は、教室を受け持ってから、途端に化けていきます。
森本:お二人は何で師範代をやろうと思ったんですか?
宮川:最初は師範代登板までは具体的に考えてなかったです。どちらかというと、どうしたら師範代みたいなことができるのだろうかという好奇心の方が入伝時は大きかったです。放伝(修了)してみたら、よっぽどの事情がない限りは師範代をやった方がいいということが理解できたのですが、不安で少しグズグズしていたところ、田中晶子所長の「やるよね!」という言葉に背中を押され、飛び込みました。
林 :押し切られましたね。潔く自分で手を上げてスパッとやりますって言えたらカッコいいけど、私もグズグズしてました。仲間と敢談儀(修了式)前に新宿に集って「師範代認定されたらどうする?」みたいな話をしたりして。でも、グループ面談の時に、佐々木千佳局長が団子をふるまってくれるんですよ。でね、パクッとしたら。「あっ食べましたね」ってニコッとするの。もうね、団子を食べたら師範代に一直線ですよ。当時、局長の団子で決意した師範代は結構いたんじゃないかな。自信のない人にとっては、勇気の団子が必要なんです。
森本:僕は元々は[守] だけのつもりで入門したのですが、「守破は義務教育だよ」って宮川師範代に言われて、えっ、と思って次に進みました。でも直ぐに花伝所には行かず、まず[離] を受講しました。その時の仲間に師範代経験者がたくさんいて、「方法が違って見えるよ」と言われていたので、入伝する前から師範代をやるつもりでした。なので登板に迷いはなかったです。むしろ、なれなかったらどうしようってのが心配でした。だから、団子無しで師範代になりました。
《教室体験》
林 :お二人の[守] はどんな体験だったんですか?
宮川:影感モンタージュ教室はノリのいい人が多くて、とにかく教室の雰囲気がよかった。あだ名で呼び合ったり。コンちゃん(52[破]吉田麻子師範 )みたいにキレた回答する人がいたり、小学5年生の子がいたり。いろんな回答が溢れてました。お題の面白さはもちろんなんだけど、林師範代が乗せてくれてたので、仕事で本の配達をしている合間とかにも稽古してました。
林 :宮川さんは山梨の本屋さんでしたね。学衆時代は、お題の意図をつかむのが早かったからお手本にしてる人もいたと思いますよ。稽古は遅れることもありましたが、お題を少しためてしまった序盤に、「明日やろうは馬鹿野郎だ」とスポーツ選手の言葉を引用して自分を鼓舞していたことがあり、驚きました。
宮川:そんなこと書いてましたっけ笑。すぐ先延ばししてしまいます。
森本:優等生だったんですね。粘菌櫻座教室では、最初に「芸人の宮川大輔ではありません」って登場して、いきなり場をほぐしてくれた感じがします。指南でもみんなを乗せてくれて楽しかったです。印象に残ってるのは、最後のお題38番目の締切2日前に全員卒門できたことです。これは誰も真似できない。
宮川:最終の締切日(卒門日)に外せない出張があって、当日に檄を飛ばすことはできないので、「できれば、回答早めに出してね」とお願いしたんです。自分は締切当日、ギリギリの卒門で、林師範代をハラハラさせました。提出のうっかり忘れの人がいたら困るので、リアルにみんなが集まる汁講(オフ会)でも、早めに出すようにアナウンスしておきました。
森本:勧学会の「DJアニキ」も真似できないなあと思いました。
宮川:勧学会でみんなが交わしあえる場として「櫻座ラジオ」を立ち上げて、「ヘイ!みんなのってるかーい!」なんてノリで、投稿を呼びかけたのがスタートでしたね。自分を捨てないとできない。学衆のみんなにラジオネームも決めてもらって、やっと投稿が増えました。森本さんは「もりもっち」でしたね。
森本:「もりもっち」気に入ってましたよ。はっちゃけてやろうって気分になりました。
宮川:林師範代は、[守] の編集コンクール、番ボー(番選ボードレール)で自分の「ハヤシ」という名にちなんで祭囃子に着替えて指南をしてましたよね。かなり盛り上がった。お祭りモードに乗せられてトンチンカンな回答出したら、叱られましたけど。
林 :祭囃子の名乗りをいいことにズバッとやらせてもらいました。番ボーってやはり特別なことを起こす場だから師範代が率先してそれを体現していきたいという狙いがあり着替えは意識しました。出身教室の高萩健師範代がお祭りモードだったことや盛り上げ役の学衆がワッショイ、ワッショイとやってる雰囲気も思い出しながらモードを作りました。実際、番ボー期間には、少し稽古から遠ざかってた人が戻ってきたり、彩回答が増えたり、今まで見えなかった学衆の編集的な特徴が見え始める機会になりました。中でも印象的だったのは、教室内のキソイ。小学生の学衆が金賞を取ったら、「素晴らしい金賞です。でも、悔しいです」と大きいお子さんもいるような中年の学衆が率直に思いを言葉にしていて、ハッとしました。編集に賭ける思いに年齢は関係ない、二人は切磋琢磨する同志なんだなあと思いました。だから冷静でなんかいられない。他のみんなも「くやしい」って本当は言葉にしたかったんだと思います。
森本:番ボーは師範たちが作品の選評をしてますが、ある師範は、うちの教室の作品を一つも選んでくれなくて、たまらなく悔しかった。でも講評をよく読むと、なぜ選ばれなかったかということがよく分かって、学衆も納得してくれてました。その時、自分の担当師範だった、江野澤由美師範は、番ボー作品について交わし合うコーナーを設け、教室を越えて学衆同士のメッセージ交換が起こりました。それがとてもありがたかった。色んな作品に光が当たりました。こうやって次に繋げるのが編集なんですよね。
林 :師範代って学衆と同じ位に、嬉しかったり、悔しかったり、一喜一憂してしまうから、見守ってくれる師範の存在ってすごくありがたいし、編集学校ならではの関係性だなあと思います。上司部下とか先輩後輩みたいな関係とも全然違う。
宮川:[守]の景山和浩師範は温厚な感じで見守り型、[破]の大音美弥子師範は熱く厳しく指導する人で、色んなタイプの指導を受けることができました。そうした一様ではない伴走をしてくれることで、自分のやり方に対してさまざまな変更をかけることもできたと思います。とても影響を受けました。影響といえば、感門之盟の時だったかな、「林師範代のマネして指南してます」って林師範代に言ったら「全然似てない」って言われました。
林 :えっ、そんなこと言ったかな。原型がほとんどわからない位に換骨奪胎して指南をすっかり自分のものにしてたからですよ。私よりずっとユニークな指南だったと思います。私は[破]の師範代の時に、参考として見せてもらった野嶋真帆師範代の指南をマネしていたんですが、担当の森井一徳師範に「ウソだろ、全然似てないよ」って言われました。本人が「マネる」というコトと他人から見て「似てる」の間には違いがあるんでしょうね。型として指南をマネるというのは、ものまね芸人がやっているような、ソックリに仕立てるというのとは、違うんだと思います。それは指南が回答とか場によって変わってしまうからかもしれない。自作自演とは違うところがある。
宮川:マネるといえば、僕のきょうだい教室の師範代は物語を綴るような生気ある指南を書ける人だったのですが、全然キャラ違うし、到底マネできないと思いました。他にも洗練された指南を書く人が同期にはたくさんいたのですが、時々、そうした指南を読んで憧れてはみたものの、「この方向は無理だな」って思いました。ですが、それが自分の師範代としてのスタイルを決めるキッカケになりました。自分の教室の世界観を作るしかないってなった。とにかく、いろんな回答を出してもらい、共読してもらうことに重点をおくことにしようと、学衆の人たちの可能性に賭けてました。だから、いつも「いろんな回答来てくれー」って願ってました。
林 :あはは、そこは私も似た所あるなあ。36[守] はお題改編直前という境目の期だったのですが、新人からベテランまで入り混じったメンバーでした。同期には、フェラーリみたいな深谷もと佳師範代や繊細に編集工学の奥へと導く山田小萩師範代、再登板組にはレジェンドと呼ばれるような方々、野嶋真帆師範代や小川玲子師範代、村井宏志師範代、岡本悟師範代と傑物揃いで、とんでもない所に来てしまったと思いました。自分の未熟さが恥ずかしくて、仕方がなかった。だから、必死だったし、学衆のみんなに自分で発見してもらうことを信じるしかなかった。ほんと「いろんな回答来てくれー」って祈ってました。なので、いつも学衆に助けられるばかりの隙だらけの師範代でした。ああ、これがミームなのかな。
森本:僕は花伝所の指導で「これは評価じゃないって」言われたことがあったので、自信を持って師範代をやるというのとは違ってました。ただ、宮川師範代の教室が全員卒門だったから、それを最初は目指してしまって、でもそれじゃ無理だということを、やってみて気づいて、親離れしました。そこからは、自分の教室というものを試行錯誤しながら作っていきました。やっぱり無理を知るって大事ですね。
《松岡正剛校長との出会い》
林 :お二人は、松岡校長の千夜千冊とか著書を読んだことがキッカケで編集学校に入ったんですよね。実際に松岡校長と出会ってみて、どうでしたか?ちなみに、私は倶楽部撮家でお馴染みの後藤由加里師範から編集学校を紹介してもらったことがスタートでした。
森本:編集学校に入っても、しばらくは遠い存在でした。師範をやるようになってから、距離が近づきました。[守] の伝習座の用法解説の講義や入伝式の講義を担当した時のリハーサルで、直接ディレクションをいただく機会があり、もっとこうすればいい、ということを言ってくれるのですが、スゴイ見抜かれてるなと思いました。直近では、「森本はもっと助けられた方がいい、失敗した方がいい」と言われました。
宮川:僕も[守] 師範になった時、伝習座で『少年の憂鬱』を語る担当になり、焦点が定まらない話し方をしていて、そのリハーサルで「射抜け!」と一喝のディレクションをされて、正解はないけど不正解はあるんだということを知りました。
林 :校長は伝習座や入伝式のリハーサルには必ず出席して、ディレクションしてくれるんですよね。どんなに疲れていても忙しくても言葉を尽くしてくれる。ちなみに、私の松岡校長との出会いは、編集学校に入ってからなんです。千夜千冊や著書を読んだり、講義を聞いたり、たくさんの仕事を跨いでいることを知れば知る程、とんでもない人と場を共にしているんだと実感します。例えるなら、歴史上の人物、空海とかダ・ヴィンチと場を共にするってこんな感じなのかなと思ったり。校長からは、たくさんディレクションをもらったし、他の人へのディレクションを見る機会もありましたが、ほんと誰にも言えないようなことを事を言うんですよ。「林はとにかくワルツを踊ればいいんだ」とか「もっと欲しがりなさい」とか、頭の中が一瞬「???」になるのですが、そういう言葉がいつまでも残っているから不思議です。さて、そろそろ鼎談も終わりに近づいてますが、これからの編集道について聞かせてください。
森本:編集には、ずっと関わっていきたいし、変わりゆく編集学校にも関与していきたいと思っています。そろそろ森本はいいかなって言われない限りは、やり続けたい。野望と言える程の大それたものがあるかと言われると悩ましいですが、離れるつもりはないです。
宮川:編集学校ってほんと不思議で、熱量もすごい、大変なときもあるけど、それ以上に楽しいし、印象的な出来事がたくさんあります。入伝式の時に松岡校長が我々に「任せたよ」って言葉は胸に響きました。編集道はこの先もずっと続いていくものだと思いました。
林 :私は「松岡正剛」をお題にしていきたいです。それを花伝所や編集学校の仲間と一緒に実践していきたい。複雑でいろんな物が出入りしていて、どこまでいっても奥があって、QがQを連れてくる。この編集モンスターの謎に迫ることは、好奇心を発動させますし、別の世界を知ることでもあると思っています。
編集三世代の鼎談は、一家団欒、ダンダン放談でした。3人が薄い膜でつながるような、懐かしいような気分になりました。編集学校のB面もチラッと見せながらでしたが、次の世代が続いてくれたら、四世代、五世代と束になって再びダンダン放談してみたいです。
アイキャッチ 宮坂由香(錬成師範)
文・編集 林朝恵(花目付)
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林朝恵
編集的先達:ウディ・アレン。「あいだ」と「らしさ」の相互編集の達人、くすぐりポイントを見つけるとニヤリと笑う。NYへ映画留学後、千人の外国人講師の人事に。花伝所の運営、倶楽部撮家で撮影・編集とマルチロールで進行中。
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