瀬戸義章『雑草ラジオ』刊行記念インタビュー:柔らかく貫きたい

2023/02/16(木)08:02
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 「持ち運べる災害ラジオ局」を発明し、インドネシアで防災支援を続ける千離衆 瀬戸義章さん。これまでの紆余曲折の活動が一冊の本となった。新著『雑草ラジオ 狭くて自由なメディアで地球を変える、アマチュアたちの物語』(英治出版)の刊行を記念して瀬戸さんの[離]退院後の活動や新著についてお話を伺った。

 


瀬戸義章

作家、ライター、特定非営利活動法人BHNテレコム支援協議会プロジェクトオフィサー。2010年 ISIS編集学校 25[守]四辻コイル教室(近藤茂人師範代)に入門。続けて25[破]農法類感教室(義本将之師範代)、[物語講座]5綴 氷点ポラリス文叢(相部礼子師範代)を修了。11[離]傳当院(塩田克博別当師範代、小西明子別番、井田昌彦右筆)では最優秀賞 典離を受賞。編集学校HP ISIS Peopleにも活動が取り上げられる。著書『「ゴミ」を知れば経済がわかる」(PHP研究所)、共著『ルポ 一緒に生きてく地球をつくる。』(影書房)。2023年1月『雑草ラジオ 狭くて自由なメディアで地球を変える、アマチュアたちの物語』(英治出版)刊行。


 

きっかけは松丸本舗

 

— そもそも、ISIS編集学校との出会いは?

 もともと本が好きで、仕事で東京駅に出たときは丸の内オアゾの丸善にしょっちゅう通っていたんです。店内の4階に松丸本舗ができた時には、棚をみてひと目で、未知の動植物が繁栄するジャングルを見つけた博物学者のような、そんな気分になりました。その時は物流会社に勤めていたんですが、会社を辞めて書く仕事をしたいと考えていて。そんな時に松丸本舗で『物語編集力』(ダイヤモンド社)に出会い、物語講座を受講したいと思いました。

 

『物語編集力』(ダイヤモンド社)

この本ができるまでの制作秘話は「遊々ほんほん2008 評匠◎森美樹【番外篇】」で明かされている。

— 物語講座が狙いだったんですね。すぐにISISの門を叩いたのですか?

 いえ。会社を辞めて、作家になるために武者修行をしようと海外に出たんです。東南アジア9カ国を3ヶ月かけてバックパックで放浪しました。勤めていた物流会社のリサイクル新規事業でカンボジアやタイなどへ物資を輸出していたんですが「こんなもの使えるの?」という疑問もあったので実際に現地の様子も見てみたかった。ゴミ処理場やリサイクルの取り組みなど見て回りました。そして帰国後、ちょうど東日本大震災が起こって。その時に、辞めた会社から頼まれて被災地に支援物資を運ぶことをしてました。[守]に入門したのもその頃で、仙台の農家に寝泊まり、復興支援をしながら編集稽古をしてたんです。現地では震災の10日後に開局した宮城県の災害ラジオ局を訪れて。災害時にはラジオが役立つということに触れました。

 

— 12年前の稽古のこと覚えてますか?

 お題の中では[守]のミメロギアと、[破]で稽古した家から駅までの道のりを記述するお題(文体編集術)が特に印象に残ってますね。[破]の物語編集術ではゴミ捨て場に住む少女の話を書きました。

 

 

松岡校長からいただいた「柔貫」という言葉

 

 そのあと瀬戸さんは2012年に〈See-D Contest〉という途上国のための発明コンテストに出場し、優勝をする。トラックドライバーのための荷物運搬アプリを開発したが実地での活用はうまくいかなかったという。のち、2014年に先端ITによる防災・減災のアイデアを競うハッカソン〈レース・フォー・レジリエンス〉で、瀬戸さんの持ち運べるラジオ局というアイデアが入賞した。(活動に関する詳しいことはぜひ『雑草ラジオ』でお読みください)

 

コンテストのために作ったテストラジオを持参し、実演をする瀬戸さん。小さなピンクのラジオから少しノイズの入ったラジオらしい音が流れる。

 

— 2016年の[離]受講中もラジオを作っていましたよね。

 はい、[離]をやりながらバックパックラジオの試作品を作ってました。全ての稽古を終えた直後、試作品を届けるためにインドネシアに飛びました。帰国したのは退院式の数日前でしたね。

 

— そして、典離を受賞されて。

 松岡校長から「柔貫」という言葉をいただきました。あの時校長に「固いものがさすのではなく、瀬戸くんは柔らかいもので貫くことができるのではないか」ということを言われました。そのことが活動の軸になっていると思います。フリーの立場でありながらNPOに所属したり、自分が主役にならずにあの手この手でプロジェクトを進めて行ったり。右往左往しながら、自分がバトンになって繋いで、一つの成果で生まれていったような気がします。「柔貫」を実行できている、かな。

2016年世界読書奥義伝[離]11季の最優秀賞 典離として直々に校長から書を授与される瀬戸さん。

 

贈られる言葉は誰一人として同じものはない。瀬戸さんが校長から引き受けたのは「柔貫」。(写真提供:瀬戸義章)

 

— [離]での学びも大きかったのですね。

 今回の本も[離]退院後の離論だと思って書きました。「自分語り」ではなく「自分入り」を目指しました。本の構成編集に力を入れたのも[離]での学びがあってこそだと思います。

 

— 本ではまずコミュニティラジオの先駆者たちの話から始まりますね。

 松岡校長の「私たちはすでに投げ出された存在である」という言葉に「それだよな、自分も途中から参加したんだよな」と頷きました。先に誰かがいる。なので本でも第一部に先駆者たちのことを書き、自分は第二部から登場させるようにしました。

 

— 第二部でやっと瀬戸さんが登場したなと思いました。

 それと、執筆するにあたってインドネシアの現地の人たちがどういうふうに災害と向き合っているのか改めて考えました。「社会実装」といって、発明したプロダクトは実際に使われないと意味がないんです。ユニセフが途上国にトイレを作っても、トイレの文化が根付いてないと使われない。単に日本での当たり前やいいものを途上国に提供しても使えないので、現地では何を使っているのか文化的、社会的、歴史的背景などをよくよく知る必要があります。

 

— 情報の「地」をよく見なさいと。本を読んで、普段見ることのできないインドネシアの一面を知ることができました。

 日本人が素晴らしいアイデアを途上国に持っていって、向こうの人が喜ばれたみたいな話にもしたくないなと。インドネシアという国は日本からは下に見られているけれど、インドネシアならではの知恵もあって、その偉大さも届けたいなと思いました。

 

— そういえば第二部では途中いきなり熊本地震の体験インタビューもありました。

 実は本をラジオ放送っぽくしたかったんです(笑)番組が挟み込まれる感じを出したかった。

 

カンファレンスでバックパックラジオを紹介する瀬戸さん(写真右下)(写真提供:瀬戸義章)

 

編集的先達はシャーロック・ホームズ

 

— ところで、小さい頃は何が好きでした?

 漫画を読むのが好きでしたね。『キン肉マン』『銀牙』『ガラスの仮面』とか。小説では『ドリトル先生シリーズ』『指輪物語』やミヒャエル・エンデも好きでした。それと、ホームズが大好きで。ぼくの編集的先達はシャーロック・ホームズなんです。背が高くて痩せぎすで一人暮らし、謎解きが好きなところも自分にそっくり(笑)実は日本シャーロック・ホームズ・クラブにも入会してます。

 

— え?そこでは何をするんですか。

 ホームズに関する研究をするんです。物語好きは仕事ではなかなか発揮できていないので趣味として存分に楽しんでます。TRPG(テーブルトップ・ロールプレイングゲーム)のシナリオ作りもここ10年くらいやっていて。60作くらい作ったかな。TRPGでは自分の好きなワールドモデルで物語を楽しむことができますよ。

 

— TRPG…?ゲームを作りながら物語編集術を実践されているんですね。

 元々僕はノンフィクションより小説が好きで。作家になりたかったのも小説家を目指していたんです。でも、自分が楽しむだけの小説なら頭の中だけでいい。世に出すなら、もっとインタラクトが欲しい。バックパックラジオも、TRPGのゲームも「半完成品」です。そこに他者がいて、はじめて物語が駆動していきます。

 

 

ラジオ番組はじめました

 

— 最近ラジオ番組も始めたと聞きましたが?

 高校時代にお世話になった国語の嘉登隆先生とYouTubeラジオ番組を始めました。「問わず語りの国語教室」というタイトルで国語の先生向けのラジオです。まだ始めたばかりなんですけどね。チャンネル登録してください(笑)

 

— 国語の先生向けとは。イシスの至宝 川野貴志さんにも伝えておきます。

 以前より、嘉登先生に高校の授業に呼ばれるようになって。「情報技術と社会貢献」というテーマのもとで、「スマホを使った国際貢献」など自分のプロジェクトについて高校生に時々話すようになりました。今回本を出すにあたって、英治出版を紹介してくださったのも嘉登先生でした。先生はすでに教員をリタイアされているので、ご自身のこれまでやってきたことを振り返る場としてラジオ番組が存在してます。僕は聞き手です。

 

— ラジオを作るだけにとどまってないですね。

 そう言えば『雑草ラジオ』が刊行されたことで、今度FMヨコハマの「Keep Green & Blue」(DJ MITSUMI)にも出演することになりました。3月6日〜9日の23:20-23:30、10分ずつ4日間出ますのでぜひ聴いてください。

 

 

協生農法 傳当ファーム

 

 [離]退院後にもう一つ瀬戸さんが新しく始めたプロジェクトがあった。それは協生農法という畑作りである。神奈川県内のとある場所に小さな畑を借りて、ある実験をしているという。[離]の院名である「傳当院」を肖って畑の名は「傳当ファーム」と名付けた。同院の仲間である師範代 鈴木博人と二人で毎週末に畑の面倒を見ている。

 

一見荒地に見えるここが傳当ファーム。写真ではよくわからないが胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の2つのエリアがあり育てるものによって区別している。(写真提供:傳当ファーム)

 

— 話がだんだん広がってきましたが最後にあの畑はどうなりましたか?

 鈴木さんとやってますよ。ちょっと前はゆずといちじくを植えていたのですが台風で折れて腐りました。先日は大根を収穫しました。最近はミントやローズマリー、レモングラスを植えて、ブレンドティーにして畑で優雅な午後を過ごすこともありますね(笑)

 

— 畑を始めて5年くらいになりますね。

 これまでに東ティモールやインドネシアを訪れる中で”問題解決”ということに疑問を感じるようになりました。Aを解決するために、BやCといった新たな問題を生み出している。解決はできないが向き合うことがより自然なのではないかと。それで協生農法で畑をやってみようと考えました。協生農法では人間の管理権を放棄して、生態系の力を発揮させる。野菜が勝手に生態系を作っていく中で、僕たちはそこから少しずつ収穫をする。自然はピースフルではないので、当然生き残れない野菜も出てきます。畑が複雑系を体得する場所になるんじゃないかと実験しています。

 

— 熊楠も読まれていたと聞きました。

 南方熊楠は粘菌学者というだけでなく、仏教や東洋はどうあるべきか色んなことを見ている。畑を始めたときに輪読座「南方熊楠を読む」にも参加していました。僕も熊楠の方法を真似ながら日本とインドネシアの知恵を畑に投入するようにしています。

 

 

雑草ラジオ 狭くて自由なメディアで地球を変える、アマチュアたちの物語

瀬戸義章著、英治出版

もともと異なるタイトルを考えていたようだが最後に編集者から提案のあった『雑草ラジオ』に決まったという。ラジオと名乗ってはいるが地域活性やイノベーションのヒントにもなる一冊だろう。

 

 

聞き手:エディスト編集部 上杉公志、後藤由加里


  • 後藤由加里

    編集的先達:小池真理子。
    NARASIA、DONDENといったプロジェクト、イシスでは師範に感門司会と多岐に渡って活躍する編集プレイヤー。フレディー・マーキュリーを愛し、編集学校のグレタ・ガルボを目指す。倶楽部撮家として、ISIS編集学校Instagram(@isis_editschool)更新中!