今を去ること28年前のことです。
本屋でふと見かけた吾妻ひでおのマンガをパラパラ見ていたら、
「最近私はガテンな仕事をしている。(なぜかは聞かないでほしい…)」
という記述とともに、シャベルとつるはしで地面を掘っている吾妻先生の自画像が出てきました。
そのときの脳天を直撃されたような衝撃は、今でも忘れられません。時代はまだ「少年ジャンプ」が650万部への上り坂を驀進していたマンガ黄金期。その頃の私は、マンガ家というのは、とにかくむやみやたらと儲かるものだと思い込んでいました。それなのに、吾妻ひでおクラスの大御所がガテン系に転職ってどういうこと?と、いくつもクエスチョンマークが頭に浮かんだものです。
その日からくだること12年、今度は『失踪日記』(イースト・プレス)の登場によって、それをさらに上回る大衝撃を受けることになります。あの「ガテンな仕事」に至るまでの背後には、こちらの想像をはるかに越える凄まじい物語が隠されていました。
謎に包まれていたホームレス時代の日々を克明に描いたこの作品は、御存じのとおり大変な反響を呼んでベストセラーとなったわけですが、おかげで若い世代は、この本から吾妻ひでおに入ったという人が多いようです。それはそれでアリかもしれませんが…。
今回は、そんな吾妻ひでおの、最もイキのよかった頃の作品から模写してみようと思います。
1980年、当時人気が急上昇していた吾妻ひでおが、奇想天外社から初の作品集(全4巻)を出した際の、各巻末についていた、あとがきマンガの一つです。
吾妻ひでお「こうして私はキャラクターした」模写
(出典:吾妻ひでお『吾妻ひでお作品集』②奇想天外社)
吾妻ひでおのマンガに最もたくさん登場するキャラが、なにを隠そうこの【吾妻ひでお】です。片方の目を小さくするだけで、あとはどんな格好をしても吾妻ひでおになっちゃいますね。
コマ割りは、わりと【スクエア】で、キャラもほとんどが【フルショット】です。絵のタッチ自体は、かなり【オールドファッション】なのですが、このタッチだからこそ、吾妻ひでおの、あの独特のキャラたちや異生物たちが引き立つのですね。メカもすごく魅力的です。
ところで、今回はネームも書いちゃいましたが、これめちゃくちゃ面白くないですか?(どこが面白いのかわからない人には説明する方法がない)私は、こういうノリならゴハン何杯でも食べられるんですが、ギャグって好みだから難しいですね。
とはいえ一つ言っておきたいことは、これは1980年のネームであることです。このセンスはやはり突出していると言わざるを得ません。批評家の大塚英志氏は不条理マンガの元祖は吉田戦車ではなく吾妻ひでおとすべきだとしていました。
■ベテランの暴走
吾妻ひでおは、70年代末から勃興していた、いわゆる「ニューウェーブ」(高野文子の回参照)の中に数えられることが多いのですが、他のニューウェーブ作家と、ちょっと違うのは、70年代末の時点で、すでにベテランであったことです。当時の一般的イメージでは、吾妻ひでおといえば「少年チャンピオン」連載の『ふたりと5人』(秋田書店)で知られる、けっこうメジャーな作家でした。
キャリア的には、あんまり「ニュー」な人ではなかったにもかかわらず、「ニューウェーブ」の一人にされていたのには訳があります。要するに「バケた」わけです。少なくとも外面的には、ずいぶん変わったと見えました。「メジャーな雑誌にメジャーなヒット作を描いていた、あの人が、いつの間にかタイヘンなことになっている!」と、いち早く見抜いた人たちがいて、その人たちが吾妻ひでおを持ち上げたのです。
最初の衝撃が、1978年に発表された「不条理日記」でした。そのタイトルが示すとおり、何を言っているのかさっぱりわからない不条理なマンガなのですが、全編にわたって散りばめられた、意味不明なやりとりのほとんどが、実はSFを主な元ネタとするパロディでした。
この作品に真っ先に驚喜したのは、当然のことながらSFファンダムの人たちです。
その年のSF大会は「不条理日記」の話題で持ちきりだったといいます。 当時、まだ顔バレしていなかった吾妻先生は、会場に潜り込んで、小松左京が「不条理日記スゲエよな」と喋っていたのを横で聞いていたというエピソードが残っています。
「スター・ウォーズ」ブームを機に、この頃、SF自体が、ものすごく盛り上がっていた時期でした。その後のSF大会で伝説のダイコンフィルムなどが出てくる時代が来るのですが、そういった気運と吾妻ひでおの資質が、ぴったりマッチしてしまったのです。
(吾妻ひでお『不条理日記』奇想天外社・太田出版・復刊ドットコム)
繰り返し刊行された古典的名盤
少年誌のルーティンに疲弊しきっていた吾妻ひでおは、この作品をきっかけに何かが吹っ切れたようです。ここから吾妻ひでおの暴走が始まりました。「劇画アリス」などの自販機本にも積極的に登板するようになります。吾妻のようなメジャーな作家が自販機本に執筆することは「都落ち」と取られかねないものでしたが、そんなことはお構いなし。そもそも自販機本自体が、この頃より、新たな才能を生み出す台風の目になりつつあったのです。
吾妻ひでおの暴走は、それにとどまりません。当時の常識では考えられないことに、同人誌を作ってコミケに参入することまでやってしまったのです。
これは現在のプロ作家が同人活動をするのとは全く意味が異なります。コミケ自体が、まだまだ、こぢんまりしたもので、参加サークル数も300程度(現在の百分の一以下)。その大部分が耽美系、今で言うBLでした。そこへ吾妻ひでおは、ロリコン同人誌、今で言う「美少女コミック」の元祖のようなものを出してきたのです。
これはコロンブスの卵のような大発明でした。第二回DONDEN祭に来られた方は覚えておられるかもしれませんが、永山薫氏が解説されたように、それまでのエロマンガは基本的に「官能劇画」だったのです。そこへ手塚・石森直系の画風で描く吾妻ひでおのロリコンマンガが出てきたのですから、その衝撃はいかばかりだったことか。吾妻ひでおの伝説の同人誌「シベール」こそが、「コミケで行列ができた」栄えある第一号となります。若き日の山本直樹が、その行列の中にいた一人でした。
そしてこれ以後、ほんの数年のうちにエロマンガの風景は一変することになります。官能劇画系の旧勢力は、一夜のうちに、ほぼ一掃されることになってしまったのです。
■いつまでも読み継がれる人
この連載でも時々、「このマンガは今の人には分かりにくいかもしれませんが…」などと、ボヤいていますが、“少し前のマンガの凄さが分かりにくくなっている”ということは、別言すれば、マンガというメディア自体が、いまだに現役であることを意味します。それ自体は、別に悪いことではないのでしょう。
吾妻ひでおは、「SFと美少女」という、現在の秋葉原カルチャーの基礎システムを作った一人です。そのため、その尖鋭性はジャンルそのものの浸透と拡散の中で見えにくくなっているかもしれません。しかしまあ、そんなことは実はどうでもよくて、作品自体が、今読んでも十分面白い、だからこそ読み継がれているのでしょう。
吾妻ひでおの作品集は、比較的コンスタントに出ている印象があります。過去作の新装版やアンソロジーなどが、よく編まれていますね。
少し前のものでいえば、河出書房新社から出ていた「○○のための吾妻ひでお」というシリーズがありました。表紙はちょっと、いかがなものかと思われますが、各選者が凝りに凝ったセレクトをしていて、中身は悪くないと思います。
(吾妻ひでおベスト選集全5冊、河出書房新社)
大胆な表紙で固めたアンソロジー
ちなみに左下の表紙は東浩紀氏のご令嬢だとか
また、『失踪日記』がベストセラーになってしばらくの頃は、オレンジやピンクなど暖色系の表紙の作品集が次々に刊行されていました。各社がこぞって便乗本を出していたのですね。これが困りもので、中にはマンガでないものもあるのです。書店のマンガコーナーにビニール包装で置いてあるので、マンガだと思って買ったら違ってた、ということが何度かありました。吾妻さんご本人も、半ばあきれ気味で、『逃亡日記』(日本文芸社)のまえがきで「これ『失踪日記』の便乗本じゃないのっ」「皆さん、この本買わなくていいです!」などと書いています。
『失踪日記』に判型も装丁もそっくりな本がたくさん出た
こちらとしては、『失踪日記』のラストに「まだまだいろんな出来事や変な人に会ったけど、また今度お話します」というセリフが出てくるので、ずっと待っていたのですね。似たような装丁の本が出ると、「あっ、やっと続編が出た!」と、騙されて買ってしまうのです。
そのうちだんだん疑心暗鬼になってきて、2013年に『アル中病棟』(イースト・プレス)が出た時も、「また便乗本かよ」と半ば憤りながら、でもやっぱり買ってみると、これがほんとの続編でした。実に8年も待たされたことになるのですが、本物の続編だけに、これはさすがに読みごたえがありましたね。
ちなみに『地を這う魚』(角川書店)も、装丁こそ便乗本ですが、傑作です。
晩年の作品の中で、ダントツのオススメは『カオスノート』(イースト・プレス)でしょうか。
タイトルからして、マンガではなく絵日記エッセイみたいなやつなのでは?と疑心暗鬼になりながら買ってみると、これが正真正銘のマンガであるばかりか、凄いクオリティなのには驚きました。
「不条理日記」のアップデート版ともいえますが、モチーフの料理の仕方など、一段と進化したようで、「ここにきて、また新たなステージにくるとは、吾妻ひでおは底知れないな」と感服したものです。
(吾妻ひでお『カオスノート』イースト・プレス)
■楽屋オチとパロディ
80年代以降の吾妻ひでおの、何が斬新だったのかは、今となっては説明するのが難しいのですが、読者がついてこられないようなニッチ過ぎるギャグをどんどん投下していったこともその一つです。
時代の成熟ということも一つの要因としてあったでしょう。そういうものが受け入れられる土壌が出来つつあったのです。
パロディ<1>というのもその一つです。
ニューウェーブ系の中では、よく吾妻ひでおと並び称される作家に、いしかわじゅんがいました。「ビッグマイナー吾妻ひでおに、リトルメジャーのいしかわじゅん」などと呼ばれていたそうです。
(いしかわじゅん『約束の地・憂国』新潮社)
いしかわじゅんの最高傑作二本をカップリングした作品集
いしかわじゅんと吾妻ひでおは、それぞれのマンガの中でお互いを茶化しあい、「吾妻×いしかわ抗争」などと言われていましたが(ほんとに抗争していたわけではありません)、この両者の共通点を上げるとすれば「楽屋オチ」ということになるでしょうか。
「パロディは元ネタがわからなくても、面白い」ということを発見した二人は、読者を置いてきぼりにしていきかねない勢いでマニアックすぎるネタを作品中にガンガン投入していきます。その究極形が吾妻の「不条理日記」でした。
不条理日記の元ネタって、今みたいなネット時代なら、調べると簡単に全部わかってしまいますが、これでは全くつまらないですね。
ほんの一昔前までは、この作品のネタ元を突き止めるのって、ほんとうに大変で、二つ三つぐらいならわかるものの、だいたいが、ほぼわからなかったわけです。
サブカル界隈のインテリおたくたちにとっては、これを、どれだけわかるかがマウンティング合戦の格好の材料になっていました。私の大学時代、SFをめちゃくちゃ読んでる大先輩がいて「不条理日記の元ネタ、ほとんどわかったけど、一個だけ最後までわからんヤツがあった。高橋留美子が同人誌時代に描いたマンガだよ。さすがにそれはわからんわ」と言っていたのを聞いて「スゴイ」と思った覚えがあります(先輩に対しても、吾妻ひでおに対しても)。
■私小説の継承者
もう一つ、吾妻作品に特徴的なのは、本人キャラの頻出ですね。
マンガ家の自画像には、実にいろいろなパターンがありますが、小林よしのりや内田春菊のように、ためらいなく自らをイケメンor美人に描いてしまうような人は少数派で、たいていは愛嬌ある三枚目に描くのが普通です。
吾妻ひでおは、典型的な三枚目タイプ。そして目がいつも笑っています。永井豪やカラスヤサトシなども、このタイプですね。これらは含羞の裏返しとしての笑顔というか、本心を隠す仮面としての笑顔、という側面もあるように思います。
現実にも、いつも笑顔ってタイプの人がいますが、そういう人たちの多くは傷つきやすくて、常にしっかりとガードを固めておかなければやっていけないタイプのように見えます。私自身、心当たりがありますが、だいたい顔が笑っている時は、面白いから、というよりも、緊張で顔面の筋肉が引きつっているだけ、ということがよくあります。
吾妻マンガに出てくる「あじましでお」も、基本的に、いつも笑っているのですが、ふとしたはずみに真顔になったり無表情になったりする。かと思うと、すぐに笑顔に戻ってしまいます。こうした往還の危うさが、作家吾妻ひでおの、絶妙なフラジリティを醸し出しています。
吾妻ひでおは、冗談っぽく、愛読書は太宰治と言ったりしていますが、ほんとうのところ、日本の私小説の直系の継承者と言っていいぐらいの資質を隠し持っている人ではないでしょうか。
■最後までギャグマンガ家
吾妻ひでおには、ギャグ成分の入っていない作品も、わずかながらあります。そうした「純文学的」な作品ばかり集めた『夜の帳の中で』(チクマ秀版社)という作品集もあるのですが、そのあとがきマンガの中で吾妻ひでおは「ハッキリ言ってシリアスはラクです」「バカでも描けます」「ナンセンスにくらべれば使う労力は一割ぐらい」と言っています。彼自身その気になれば、こういうものは、もっとたくさん描けたのでしょう。
しかし、吾妻ひでおは、それをやりませんでした。その結果としての失踪・アル中と思えば、彼が、いかに壮絶な戦いを続けていたのかがわかります。
(吾妻ひでお『夜の帳の中で』チクマ秀版社)
俗に「ギャグマンガ家5年寿命説」などと言われるように、ギャグの創作は非常に消耗するもので、燃え尽きてクラッシュしてしまう人も多いのですが(ルーティンで描いている人は除く)、吾妻ひでおは、最後まで創作の手を緩めることなく前進しつづけました。
失踪した時は、ほんとに嫌になっていたのだろうと思いますが、それでもマンガを描くこと自体は好きだったのでしょう。ガテンな仕事をしていた時ですら、こっそりマンガを描いて社内報に発表していたぐらいですから、よほど深いマンガの業に憑りつかれていた人だなと思います。
突然の失踪、ホームレス生活、ガテン系の仕事などを経て、ようやく復帰できたと思ったら、今度は重度のアルコール依存で家族の手により精神病院に強制入院(ほぼ太宰です)。そんな修羅場を潜り抜けても吾妻ひでおは吾妻ひでおでした。「アル中病棟」から復帰するや、いそいそと仕事は再開され、商業誌の他にHPでの執筆や、個人誌「産直あづまマガジン」の発行などが始まります。そして『失踪日記』による何度目かのブレイク。
いつもふざけて「自分はもうおわった」などとエッセイマンガで描いていますが、「鬼滅」の善逸くんよろしく、ダメアピールの仮面の下に、実は、相当な実力とタフネスを隠し持っていた人でした。
1999年以降、完全な断酒にも成功し、よくあるスリップにも陥らず、健康な生活を続けていた吾妻先生ですが、2019年10月、食道がんにより逝去。69歳のことでした。
コロナ禍を見ることなく逝かれたわけですが、現在のこの状況、吾妻先生ならどう描いていたんでしょうか。絶対めちゃめちゃ面白いことを言っていたハズ!
ああ読みたかった…。
◆◇◆吾妻ひでおのhoriスコア◆◇◆
【吾妻ひでお】82hori
本文にも書きましたが、正統派の私小説作家だと思います。
【スクエア】62hori
藤子、赤塚などと同じ、一昔前のコマ割りです。
【フルショット】63hori
全身をきっちり描くのも、一昔前のギャグマンガのスタイルです。
【オールドファッション】75hori
吾妻マンガのような不定型な面白さが現れるためにこそ、定型的な文法規則が必要だったと指摘したのは夏目房之介氏でした(NHK人間大学テキスト『マンガはなぜ面白いのか』)。
<1>パロディ
吾妻ひでおの、こういったマニアックなお遊びは、実は初期の頃からやっていて、1974年の「ゴタゴタマンション」という作品では、ラストで主人公の住んでいたアパートが火事で焼け落ち、
「やがて館は音も無くくずれ去り永久に私たちの目の前から姿を消してしまった」
というフレーズが出て来ます。これ何のパロディかわかりますか。エディスト読者の皆さんなら簡単かな(*)。
こうした楽屋オチやパロディを、読者が分かろうが分かるまいが遠慮なくぶち込んでいくのが吾妻ひでおでした。当時は、楽屋オチは読者を狭めてしまう禁じ手とされ、編集者からも「やっちゃダメ」と言われていたそうですが、たぶん原稿を見た編集者も気がつかないような形で、するっと入れていたのでしょう。
(*)答えはポーの「アッシャー家の崩壊」です。
アイキャッチ画像:吾妻ひでお『やけくそ天使』①秋田書店
堀江純一
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