[AIDA]シーズン1 ボードインタビュー:岩井克人さん◆前編 資本主義に対抗できる普遍的なシステムとは

2023/08/02(水)08:00
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岩井克人

今年度もハイパーエディティングプラットフォーム[AIDA]がはじまっている。「生命と文明のAIDA」を考えたSeason1から、Season2では「メディアと市場のAIDA」に向き合い、現在開講中2022年10月から始まったSeason3のテーマは「日本語としるしのAIDA」。新シーズンの展開とともに、過去シーズンのボードメンバーからの声に耳を傾けてみたい。

 ※内容は取材時のもの

 


 

2020年後半から2021年初頭にかけて、編集工学研究所は、自ら主催する“共創のための知のプラットフォーム” Hyper-Editing Platform [AIDA](以下、[AIDA])において、「編集的社会像」というコンセプトを打ち出しながら、「生命と文明のAIDA」をテーマに新しい社会のあり方を描くための議論を行ってきました。本稿では[AIDA]のボードメンバーである経済学者の岩井克人さんに、人間と資本主義の関係を軸とした「編集的社会像」の可能性をうかがいました。

 

岩井克人(いわい かつひと、1947年〜):経済学者、東京都生まれ。国際基督教大学客員教授、東京財団上席研究員。東京大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学経済学博士(Ph.D.)。イェール大学助教授、プリンストン大学客員準教授、ペンシルバニア大学客員教授、東京大学経済学部教授などを歴任。研究は法人論、信任論、言語、法、貨幣論など広範囲に及ぶ。2007年4月紫綬褒章を受章。主な著書に『不均衡動学の理論』『ヴェニスの商人の資本論』『二十一世紀の資本主義論』『経済学の宇宙』など多数、『貨幣論』にてサントリー学芸賞、『会社はこれからどうなるのか』にて小林秀雄賞受賞。

 

AIDAで配布されたボトル

「編集」というものの見方

ーー 岩井さんはボードメンバーとして[AIDA]に参加されています。[AIDA]で交わされてた議論について、どのような感想をお持ちですか。

 

岩井克人(以下、岩井) [AIDA]は発見に満ちた、斬新な場だと思いました。特に進化形態学者の倉谷滋先生(第4講)の講義には知的な興奮を覚えました。進化と発生をテーマとした倉谷先生のお話をきっかけにして、あの場で起こった議論の論点が、私の専門である貨幣論の論点とつながっていく感覚を持ったからです。

 「編集」とは、色々なものを組み合わせて、新たな何かを打ち出していくことだと私は理解しています。経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは「新結合」という言葉でイノベーションの概念を説明しましたが、これは「編集」という考えと対応していると思います。シュンペーターが提唱するイノベーションとは、無の状態から新たなものを作ることではなく、既存のものの組み合わせのことです。その上で彼は「5つの新結合」(*1)という概念を提示しました。

*1:シュンペーターの「5つの新結合」:「新しい財貨(製品)の生産」「新しい生産方式の導入」「新しい販路の開拓」「原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得」「新しい組織の実現」

 

 もう1人、「編集」と聞いて連想したのは「観念史」を確立したアーサー・O・ラヴジョイです(『存在の大いなる連鎖』 – 千夜千冊 637夜)。『存在の大いなる連鎖』(翻訳=内藤健二、ちくま学芸文庫)で彼は、この世の中には新しいものは何もない、ジョークの数が限られているように、アイデアの数も限られている、と述べています。新しいと思われるものは、基本的には、古いアイデアの新しい組み合わせでしかないというのです。

 経済学を研究していると、同じ問題が色々な形で繰り返し現れてくることを実感します。そのように捉えると経済学が理解しやすいんですね。そういう点で、「編集」というものの見方は、私が経済学史を学びながら得てきたものに対応していると考えています。学者は過去の学問の歴史の編集者です。

 

 

「生物の進化」と「文化の進化」の違い

 

―― [AIDA]第4講で、岩井さんは「生物の進化」と「文化の進化」の違いについて言及しました。その際、集団遺伝学者である木村資生(きむら もとお)(*2) さんの「中立進化論」を紹介されました。

*2:木村資生:日本の集団遺伝学者。中立進化説を提唱した。日本人で唯一ダーウィン・メダルを受賞している。

 

岩井 「生物」と「文化」には共通点だけではなく、明確に相反する違いもあります。共通点は、どちらも進化する点です。ただし、進化とは、必ずしもより高い次元に成長することを意味しません。

 かつて経済学の世界を支配していたのはマルクス経済学でした。マルクス経済学では、社会のあり方には発展段階の法則があると考えます。封建主義から資本主義、社会主義、さらには共産主義に向かっていく段階を設定するんです。マルクスが「資本論」の下敷きにしたヘーゲルの思想も、「主人 – 奴隷」の対立関係が、より高度なものに発展するとしています。

 ダーウィンの「進化論」は、こうした「進歩史観」を完全に否定した点で革命的です。ダーウィンの言う進化は、高い次元を目的に変化し続けるという意味ではありません。その時、その場の状況に応じて変化が引き起こされることを進化と定義したのです。「進化論」の基本原理は「生き残ったものが生き残った」としか言いようのない一種のトートロジーです。「進化論」は科学なのかという問題はあります。ですが、1つでも反証が出れば理論が崩壊するという意味で、わたしは最も極限的な意味での科学だと思っています。そして、上のトートロジーから、種がより高い確率で生き残るのはどのような条件下なのかを探求するという、科学プログラムが生まれたわけです。それが「進化論」です。

 木村資生さんの「中立進化論」は、分子レベルで起こる「突然変異」の大部分は、ほぼ中立か若干マイナスの効果を持って生じることを理論化したものです。種を滅ぼすほど不利にはならない遺伝変異は淘汰の網にかからずに、個体の遺伝子プールの中に発現しない形で一種の資産のように蓄積される。すると、(ある種の)種は環境変化が起きた時に、これまで蓄積してきた中立的(有利でも不利でもない)な遺伝子を豊富に抱えていることで、その中のいくつかが適応度を増して、種として生きながらえる可能性が生まれる。[AIDA]第4講で倉谷先生がお話しされた「前適応」(*3)もこのメカニズムが関係しています。

*3:前適応:ある生物の器官や行動に対して、これまでほかの機能を持っていた形質が転用され、異なる生活または機能に対してたまたま適応性を持つこと。

言語、法、貨幣が人間を人間たらしめる理由

 

―― 「生物の進化」と「文化の進化」の違いを考える上で重要な概念として、岩井さんは言語、法、貨幣を挙げられています。

 

岩井 人間と動物には大きな違いがあります。人間は、ほかの人間と一緒に社会を作り、その社会の中で生きます。「人間は『ポリス的動物』である」とアリストテレスは書いています。人間は自分たちで作った社会の中でしか生きられないのです。

 もちろん、人間が社会的であるのと同じような意味で、社会的な動物というのも存在します。蜂やアリ、鶴をアリストテレスは挙げていますが、蜂であれば、ほかの蜂と協働することが遺伝子に書かれています。しかし、人間には、そのような遺伝子はありません。

 では、人間はどうして社会的な存在たりえているのでしょうか。一見すると、脳にその秘密がありそうです。脳科学研究で最近特に重要なのが、ソーシャルブレイン(社会脳)の研究です。1990年代半ばにイタリアのパルマ大学神経科学研究室が「ミラーニューロン」を発見しました。日本語に訳すと「鏡像神経」です。他者がある動作をすると、自分がその動作を行う時と同じように反応する脳の神経細胞のことです。”I feel your pain” という表現がありますが、ソーシャルブレインが発達した人間は、他者の苦しみを自分の苦しみとして感じることができます。

 人間は他者に共感する能力をある程度までは遺伝的に持っているのかもしれない。これが大発見でした。この発見は、人間は生まれつき社会的な存在であるかもしれない、という仮説を後押ししました。

 実は、この発見は経済学と関係しています。アダム・スミスは『国富論』以前に『道徳感情論』(1759年出版)を執筆し、人間社会の道徳を他者への「共感」から導こうとしました。後の『国富論』では、その「共感」が必要ない社会として資本主義経済を描きましたが、その『国富論』が経済学の聖典となったのと同様に、この『道徳感情論』はミラーニューロンをはじめとする社会脳研究の一種の聖典のような役割を果たしています。

 ですが、アダム・スミスには申し訳ないのですが、社会脳からは人間の社会性は生み出されません。私は経済学を専門にしていますが、人間の他者への共感力や他者とコミュニケーションを行う社会的な能力と遺伝の関係について、色々と調べてきました。そこから、次の問題を考えました。それは、人間の社会性は生物学的に決められていることなのかという問題です。私は、人間には社会脳、さらには遺伝的な共感には還元できない社会性があると考えているのです。それを可能にするのが言語、法、貨幣です。

 なぜ、言語、法、貨幣が重要なのでしょうか。人間の遺伝子には言語、法、貨幣を使える能力が書かれているかもしれません。しかし、言語、法、貨幣、”それ自体”は遺伝子には記述されてはいません。生まれたばかりの赤ん坊の脳細胞をいくら調べてみても「日本語の遺伝子」(言語)や、「私有財産の遺伝子」(法)、「1万円札を1万円札とみる遺伝子」(貨幣)は絶対に見つかりません。

 では、言語、法、貨幣はどういう存在か。私が日本語で話をすると、日本語が分かる受け手は、意味ある言葉として受け取ってくれます。言語がコミュニケーションを媒介するのです。しかし、言語というのは、物理的にはあるパターンをもった空気の振動にすぎません。

 貨幣についても同様です。お店に行って物を買い、お金を渡す。1万円札は物理的な存在としては単なる紙切れですが、お店は1万円の価値として受け取ります。私とお店とのあいだで交換が成立することで、私はあらゆる商品を購入することができるのです。

 言語、法、貨幣は、それ自体は物理的には、ほぼ無内容なものです。ところが、そんなほぼ無内容な存在が人々のあいだのさまざまな意味での交換、つまり、コミュニケーションを可能にする。そういう存在なのです。人間社会は、社会脳によって支配されているだけではなく、社会脳をはるかに超える働きをする言語、法、貨幣を介在させることで社会を作ってきた。言語、法、貨幣こそが、人間を人間たらしめていると言えるのです。もちろん、社会脳は、人間が言語や法や貨幣を獲得する際の重要な足がかりを与えたことは否定しません。

 では、人間性とはどこにあるのか。それは、人間の外部にあります。言語、法、貨幣は人間にとっては外部の存在です。少なくとも生まれたときにはそうです。それらは、抽象的な意味や権利や価値の担い手です。人間はそういう抽象的な意味や権利や価値を媒介として、生物学的な関係を超越した関係をお互いに結ぶことができるのです。そういうふうに考えると、生物学的な人間像とは違った人間像を提示できるはずです。

 

―― 科学技術の進歩によって、さまざまな機械を含めて、人間が「外部の存在として使えるもの」が増えています。その多くは物理的な価値だけではなく、抽象的な価値も持ち得ます。言語や法、貨幣の次なるものは予測できるものなのでしょうか。あるいはわたしたちは、「それ(ら)」にたまたま出くわすものなのでしょうか。また「それ(ら)」は人間の社会を進化させてきたのでしょうか。

 

岩井 まさに「出くわす」ものだと思います。言語、法、貨幣は、人間がその都度、出くわした存在です。英語で言えば、人間が”stumble upon”した存在です。

 ホモ・サピエンスは約20万年前頃から存在していたと言われています。ところが、ホモ・サピエンスが言語を使い始めたのは約5万年前です。10万年前まで遡れるかもしれません。人間の脳には言語を使う能力がありながらも、実際に言語を使いはじめたのはかなり後のことなのです。

 文字についても同様です。文字がいつ頃発明されたのか、その時期は正確には不明ですが、約8000年前くらいには文字が使われていたとの研究があります。驚くべきことに、それまでも人間の脳は文字を書く能力を持ちながら、使っていなかった。それでも何十万年も生きていたのです。これは、識字障害を持つ人間が、一定割合存在することにも関係しています。

 私たちの脳や遺伝子には、すでにいろいろな可能性が、潜在的な能力として埋め込まれています。ただし、それらを使えるようになるかどうかは、分からない。予見することはできないのです。人間がそれ(ら)に「出くわす」としか言えないわけです。

 言語、法、貨幣と人間社会の進化(変化)についてですが、たとえば、法について考えてみましょう。私が賃貸物件を借りるとすると、賃貸契約書を大家さんと結ぶ必要があります。賃貸契約書には、貸主と借主という欄があり、両者は空欄になっています。法に従い、このブランクに名前を記入して、書面に記述された約束事項に合意をすると、(賃貸)契約が成立します。

 ここで注目すべきは、契約の貸主と借主の関係です。契約を結ぶと、方程式のXとYに数字を入れるように、2つ名前が空欄に入ります。貸主は家なら家の権利を持ち、借主から賃貸料をもらう権利が発生しますが、借主は家を借りる権利を得て、貸主に賃貸料を払う義務を負います。

 法律は、「権利」と「義務」を負った人間の関係を作ります。法律の下では、人間は、契約書のXとYという空欄に入る名前であって、どんな人間かは問われません。法の下では、(抽象的な)権利や義務で人間関係を整理することで、「この人をよく知っている」とか「力が弱い」などは関係なく、「普遍的な権利を持った人間」が生み出されるんです。

 すると、かつては権利を制限されていた存在、たとえば、女性や障害を持つ人も「普遍的権利を持った人間」として扱うべきであるという思想が出てきました。法律的には個々の人間はXやYだから。人間が言語、法、貨幣という抽象的な意味や権利、価値を媒介することで社会的な存在となることが、人間自身や社会を進化させてきたといえるのです。

 

 

「足し算」と「引き算」の普遍的な原理で動く資本主義

 

―― 地球環境汚染から個人の病まで、現在の人類はさまざまな問題に直面しています。その中で、1人ひとりの人間はどのような倫理観や道徳観を拠り所にして生きるべきなのでしょうか。資本主義との関係と絡めてお話いただけますか。

 

岩井 資本主義に関して、まず人間は貨幣に行き当たりました。現代のトルコ領であるリディアという王国で紀元前7世紀に最初の硬貨が鋳造されたと言われています。世界で最初に紙幣を作ったのは中国です。

 重要なのは、歴史の中で最初に全面的に貨幣化した社会は古代ギリシアであったということです。金銀の合金を使った貨幣はドラクマと呼ばれました。単なる金属のかけらが、あらゆるものとの交換可能性を与えてくれました。世の中にあるすべての物が、究極的には1つの抽象的な価値に還元できる。古代ギリシアのドラクマは、これを実践したわけです。世界のあらゆるものの価値を体現する貨幣という存在が、哲学的にはプラトンのイデア論につながっていきます。それは、他方で多様な自然現象の背後に統一的な法則を見い出そうとする原子論のような科学も生み出しました。

 貨幣は、人間を共同体から切り離して自由にすることも可能にしました。どんな人間でも1ドラクマを持っていれば、1ドラクマと同等の価値があるとされるものを買えるという意味で、貨幣は「平等主義者」なのです。貨幣が人間を個人として確立させたのです。

 貨幣はやがて資本主義を生み出します。資本主義の行動原理は単純明快です。仮に私が商売をするとしましょう。商売のために必要なものを買うことになるわけですが、それらすべてを「足し算」すると費用が計算できます。そこから私が売ったものすべてを「足し算」すると収入が計算できます。収入から費用を「引き算」すると損益が計算できます。利益がプラスならば、その活動にさらにお金を注ぎ込む。投資をする。利益がマイナスならば、その活動からお金を引き上げる。もしくは借りればよい。

 資本主義とは「足し算」と「引き算」だけで動いているシステムなのです。足し算と引き算は、単純な算術の原理です。高等数学は必要ありません。その原理のみを行動原理にする資本主義は、普遍的なシステムであるということです。ですから、資本主義は必然的にグローバル化しやすい。どんな文明でも、どんな人種でも資本主義に基づいた営みができるわけです。

 資本主義は同時に、格差や環境破壊といった問題も引き起こしてきました。では、これに対抗する行動原理があるのでしょうか。たとえば以前、マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』(早川書房)がベストセラーになりました。サンデルは「コミュニタリアン(共同体主義)」を宣言し、現代社会の混迷から脱却するには、古代ギリシアのポリス市民のように、共同体全体にとって何が「善」であるかを人々が絶えず議論し、共同体全体の運命に関心が持てる政治を行うべきだと主張しました。

 しかし残念ながら、「コミュニタリアン(共同体主義)」は、資本主義を補正する思想としては重要な役目を果たしますが、対抗するほど普遍的な行動原理ではありません。資本主義に対抗するには、「足し算」と「引き算」と同じくらいの普遍性を持った原理が必要になります。

 私は、それに値する原理を考察する上で、イマヌエル・カントの「道徳論」に注目しています。カントは、人の理性によって導き出される普遍的な道徳規則があるとし、「他のすべての人間が、同時に採用したいと(自分自身が)思う行動原理に基づいて、行動しなさい」と述べています。

 

―― 行動を行う時に”すべて”の人間を意識することはとても難しいのが実情ではないでしょうか。ここでは、どの範囲までが”すべて”なのでしょうか。

 

岩井 “すべて”の人間といっても、知らない人について考えることはなかなかできません。ただ、それがポイントです。カントの原理においては具体的な人間を考える必要はありません。もし他のすべての人が採用してほしいと願う行動原理があるとすれば、それはまさに「他のすべての人が採用してほしいと願う行動原理に従って行動せよ」という原理しかありません。ですから、この原理は普遍的なのです。もちろん、われわれの生活においては、自分自身、家族、同僚や知人、属するコミュニティの人々など、想定可能な範囲で道徳的に振る舞うべきかどうかを考えてしまいます。

 カントの道徳論がわれわれに教えてくれるのは、普遍的な原理があることを常に頭に置いて行動することが重要である、ということでしょう。実際にすべての人間のことを考えるのは限りなく不可能です。ですから、カントの言葉でいえば「統制的原理」として道徳を使って、現実的には、地道に自分、自分の家族、仲間を意識することから、ということになるのではないでしょうか。

後編につづく

 

取材/撮影/執筆:橋本英人(編集工学研究所)
取材:安藤昭子(編集工学研究所)
撮影:川本聖哉
編集:谷古宇浩司(編集工学研究所)

 

※2021年5月19日にnoteに公開した記事を転載

  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。