自ら編み上げた携帯巣の中で暮らすツマグロフトメイガの幼虫。時おり顔を覗かせてはコナラの葉を齧る。共に学び合う同志もなく、拠り所となる編み図もなく、己の排泄物のみを材料にして小さな虫の一生を紡いでいく。
コロナ禍の行動制限から解放され、多くの観光地が賑わうニュースが飛び交った。3年振りに湧いた大型連休明けの初日に開講するのが、イシス編集学校の第51期[守]基本コースである。
連休最終日、休みの終わりを寂しがる世間をよそに、真っ白な教室に師範代から颯爽とメッセージが届いた。編集の型を自在に使えるようする15週間の開幕の狼煙だ。
「困っております」。数日前に、若水尽きぬ教室の師範代、吉田麻子からSOSがあがった。教室のラウンジアイコンがアップできないのだ。ラウンジアイコンは、エディットカフェにログインした学衆を導く旗印である。稽古を進めるために欠かせないしつらいのひとつだ。師範代たちは、各々の教室名に肖って、選りすぐったものを仕立てる。これが掲げられないと具合が悪い。
連休にも関わらず、時を待たずに、方々から助太刀が寄せられる。師範の角山、阿久津に加えて、吉田と同じく用意に取りかかっていた師範代たちからもだ。斜月薫風教室の原田祥子、近場のダイモーン教室の畑本浩伸、五七五クノー教室の一倉広美が馳せた。「実は私も」と同じ問題に直面する師範代がいることも露わになる。数時間後、瑞々しい菱形の文様が若水尽きぬ教室に掲げられた。「今回も、たくさんの助けに感謝の思いは尽きません」という吉田の声が迸った。
一人の事件に、仲間が駆けつけ、編集の機になり、追い風にもなる。イシスの光景は連休中であっても変わらない。51[守]の19教室全ての教室アイコンが揃い踏んだ。茶事において、亭主はその場の出会いを尊び、茶碗はもちろん、菓子、道具の一切、床の間の花や軸、あらゆる構成要素を入念に設える。しつらいが尽くされることにより、亭主のもてなしも、客人のふるまいも、いっそう場に引き出される。稽古の充実への祈りを込めて、師範代が掲げた教室アイコンに護られ、いよいよ51[守]の開講だ。
(文:阿曽祐子)
イシス編集学校 [守]チーム
編集学校の原風景であり稽古の原郷となる[守]。初めてイシス編集学校と出会う学衆と歩みつづける学匠、番匠、師範、ときどき師範代のチーム。鯉は竜になるか。
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コメント
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2025-11-18
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2025-11-13
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(※大ヒットした「孤独のグルメ」の原作者は「泉昌之」コンビの一人、久住昌之)
2025-11-11
木々が色づきを増すこの季節、日当たりがよくて展望の利く場所で、いつまでも日光浴するバッタをたまに見かける。日々の生き残り競争からしばし解放された彼らのことをこれからは「楽康バッタ」と呼ぶことにしよう。