『このマンガを読め!』(フリースタイル)というランキングものをご存じでしょうか。『このマンガがすごい!』 (宝島社)とタイトルがそっくりですが違うのです!
定期刊行形態としては、実は『読め!』の方がちょっとだけ早い。今年で20周年を迎えます。
選ばれる作品のラインナップも宝島社の『すごい!』とはだいぶ違っていて、まあ一言でいって、かなりシブイわけです。映画で言えば「キネ旬ベストテン」みたいな感じ……と、言えばわかる人にはわかるでしょうか。
その、あまりのシブさのせいかは知りませんが、宝島社の『すごい!』ほど知られていないのが残念なところ。私自身は、このシリーズ、かなり大好きで、創刊時から買い続けています。目利きの選んだ間違いのない作品と確実に出会えるからなんですね。
今年のベストテンには、あの齋藤なずな先生の新刊『ぼっち死の館』が第二位にランクインしています。
この機会に、この作品がもっと広く読まれることを願って、増補版アップの運びとなりなました。
昨年春の多読ジムではコラボ企画にご協力いただいた齋藤なずな先生ですが、先生は、全員の課題文をかなりじっくりと精読されたうえで、懇切丁寧な講評を書かれていたと聞きます。その余りの密度と熱量の高さにスタッフの皆さんも驚かれたそう。
そんな齋藤先生ですが、現在も旺盛に執筆をつづけておられます。昨秋、「ビッグコミックオリジナル」に発表された短篇「遡る石」が、またいいんですね。こちら(↓)から読むことができますので是非ご一読を。
https://bigcomics.jp/series/eb3bb039e0ab6
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(以下2023/08/08アップ分の再掲です)
ひさしぶりにやって参りました「マンガのスコア」です。
昨年8月の「番外編・魚豊『チ。』」以来の登板となります(年初に『天幕のジャードゥーガル』の記事も書きましたが、「マンガのスコア」ではないので模写はなし)。もうすっかりペンも握っていないのですが、描けるのかしら…。
さて、今回取り上げるのは齋藤なずなです<1>。
[多読ジム season14・春]の出版社コラボ企画にも選ばれました。
ワタクシも多読衆と伴走すべく、齋藤なずな作品を読み解いていきたいと思います。
まずは我が家の齋藤なずな本を搔き集めて並べてみました(『片々草紙』(1992年)だけ持っていませんでした。)
左上の『鳥獣草魚』(1991年)が齋藤なずなの初単行本です。その後、「ビッグコミック」などを主な発表舞台としていた齋藤なずなは、小学館から四冊の作品集を出しています。最後の『恋愛列伝 下』の刊行が1998年。それから次の『夕暮れへ』(2018年)まで、なんと20年のブランクがあります。
そして、これを機に活動を再開した齋藤なずなは、初期作品集『ダリア』と最新連載作をまとめた『ぼっち死の館』を刊行しました。
せっかくなので、ひさしぶりの再読も含め、刊行順にイッキ読みしてみましたが、うっ、これは、かなりコクがある!
イッキ読みするものではないですね。
齋藤なずなの作品は、いわば極上のウィスキーのようなものなので、ストレートでガバガバ飲んでしまってはいけません。腰を据えて、じっくり味わうのがいいでしょう。
初めての方には、やはり多読ジム課題本である『夕暮れへ』(青林工藝舎)から入っていくのがオススメです。
第一活動期に「話の特集」誌に集中的に発表された作品群から選りすぐった珠玉の八編に、最新二作が収録されたお値打ち物。何度読んでも味わい深い”一家に一冊”の常備本と言ってしまいましょう。
■「トラワレノヒト」
さて今回、模写に挑戦するのは、その『夕暮れへ』収録の「トラワレノヒト」。永らく休筆状態だった齋藤なずな、活動再開後最初の作品になります。
齋藤なずな「トラワレノヒト」模写
介護老人の幻視的風景を描いた鬼気迫るシーンです<2>。
このページをめくった次のシーンは、ほんとうに衝撃的なのですが、それは本を手に取るみなさんの楽しみに取っておきましょう。
おばあちゃんの【シワシワ】の肌がとてもリアル。正直言って、模写では全然再現できていません。
またしても【筆記用具】が気になります。ミリペン…ではないでしょうが、ほとんど入り抜きがないですね。これは初期の頃から変わりませんが、タッチはだいぶ変化しています。
20年のブランクの間にだいぶ変わっているところを見ると、その間も筆を置いていたわけではなく、ずっと絵は描き続けていたのだろうと推測されます。人物だけではなく、背景の描き込みも密になり、写真資料なども積極的に活用しているようです。
コマの割り方も、かなりダイナミックになりました。初期の頃は、比較的【横長のコマ】を好み、スタティックな印象がありましたが、近年の作は、縦に切ることも多く、垂直の運動も見られるようになりました。団地が舞台、ということも影響しているかも知れません。俯瞰も多いですね。アングル操作が非常に巧み。
バリバリ現在進行形で進化していますね。ホント、凄いです。
■不幸なまでにうますぎる作家
批評家の呉智英氏は、かつて齋藤なずなを評して、こう書いていました。
「物語の構成も、人物の設定も、絵も、間の取り方も、不幸なまでに巧すぎる。」
(『マンガ狂につける薬21』)
そう、齋藤なずなは、あまりにもうますぎるのです。
「不幸なまでに」ってところが意味深ですね。これほどの実力者が、その高すぎる実力の故に、かえって彼女を一般読者から遠ざけてしまっている面すらあるのです。
齋藤なずなが『鳥獣草魚』(1991)で単行本デビューされたときのことは覚えています。「四十歳でデビュー」という点が大きく取り上げられていました。
今でも四十歳デビューは、かなりの遅咲きには違いありませんが、90年代はもっと驚きでした。それまでのマンガ家は、多くの場合、十代から二十代前半の間にデビューするもので、二十代後半ともなると、「ちょっと遅い」ということになり、持ち込みなどでも編集者の目は厳しくなるものでした。女性アイドルなみに「若さ」が求められていたのです。
そこへ四十歳デビューの齋藤なずなの登場。それからほどなくして『ナニワ金融道』の青木雄二が、やはり四十代でデビューしています。「なんだかスゴイ時代になって来たぞ」と思ったものでした。
■ホンモノの大人のマンガ
1946年早生まれの齋藤なずなは、学齢でいうと永井豪(LEGEND20)と同じ学年になります。少し下には、いわゆる「24年組」の人たちがおり、70年代に活躍していてもおかしくない世代です。
大学生がマンガを読む、ということがジャーナリズムを賑わすようになったのが60年代末頃。この頃、大学生だった人たちがマンガを読む年齢層の上限になることは以前にも書きましたが、齋藤なずなは、まさにその上限世代にあたります。言い換えれば彼女がデビューした同じ頃、ついに「マンガを読む四十代」というのが、ぼつぼつ出現し始めていたということです。
ここでホンモノのオトナが読むマンガというものが求められ始めます。
思えば、70年代の青年誌ブームを経過した後の80年代、近藤ようこ(LEGEND04)や、やまだ紫、男性作家では『人間交差点』の弘兼憲史など、大人向けの質の高いドラマを描ける作家が、ちらほらと出始めていました。需要は掘り起こされつつあったのです。
そこへデビューしたのが齋藤なずなでした。
「ビッグコミック」新人賞の受賞作である「ダリア」は新人離れした筆致の見事さで注目され、当時、一面に二ページずつの横向き割り付けで全ページ掲載されています。新人に割けるページ数が限られている中、なんとかして全編掲載したいという編集部の意気込みを感じさせます。
こうして短編を中心に各紙誌で活動し始めた齋藤なずなは、やがて具眼の士たちを瞠目させることになるのですが、「うますぎる」作家は、それ以上の広がりを獲得することは出来ませんでした。
その後、齋藤なずなは家庭の事情などもあり、長い休筆期間に入ります。
再開のきっかけとなったのは講師を勤めていた大学のマンガ学科の同人誌に執筆した作品(今回の模写の元になった作品です)。
これが青林工藝舎の目にとまり、「アックス」への完全新作発表と、作品集『夕暮れへ』の刊行へとつながります。
新作二本を中心に再編された短編集『夕暮れへ』は、セレクションの見事さも相まって、あらためて齋藤なずなという作家に注目を集めるきっかけとなりました。
第22回メディア芸術祭マンガ部門優秀賞と第48回日本漫画家協会賞優秀賞のW受賞。そして年末のランギグものの一つ、フリースタイルの「このマンガを読め!」では堂々2位にランクされています(ちなみにこの年の第4位が、みなさんおなじみ阿部洋一先生の『それチン』です)。
■幼なごころの作家
齋藤なずなは典型的な短編型の作家ですが、一つ一つの作品が長編に匹敵するような大きな構えを持っていて、じっくり読ませます。
そうした印象を抱かせる理由の一つは、物語の枠組みがしっかりしているからでしょう。
イシスな皆様にはおなじみの、物語マザー「行きて帰りし物語」の形を取ることが多く、日常の風景を描く中に、「セパレーション」(出発)→「イニシエーション」(試練)→「リターン」(帰還)の神話構造が巧みに織り込まれています。まさに「物語編集術」のお手本に使えそうな作品ばかりです。
彼女の作品の場合、イニシエーションの場となる「彼方」は、しばしば幼き日の思い出という形を取ります。
白鳥、富士山、ハッカ飴、彼岸花に、赤い川、チューリップ畑の向こうの観覧車、池に張った氷。
こうした幼き日の断片が日常の中に入り込み、いつしか主人公はタイムスリップしていきます。
そこで、彼らの内面になんらかの転回が起こり、あることを決断したり、なんらかの問題に対する解答を出したりするのですが、それが最終的な答えにはなっていないような描かれ方をしているところが、また面白いところです。
それが、巧まずして読者をして不思議な感覚――たしかに物語はここで終わっているが、このあともこの人たちの人生は続くのだ、という開かれた感覚を呼び起こすのです。
『鳥獣草魚』掉尾を飾る「門」のエピソードが象徴的です。
門をくぐることによって、なんらかのコンバージョンが起こる。しかしそれは最終的な着地点ではない。しばらくするとまた門が見えてくる。しかもそれは最初に通った門と同じ門なのです。
イニシエーションを終えて「生まれ変わった」と思った主人公は、実はそんなに変わっていない現実に直面します。人生は、そう簡単にドラマチックに「変わる」わけではない。悟ったと思った次の瞬間には、また同じ煩悩の渦に呑み込まれている。
そうした人生の機微を、ニヒリスティックにではなく、おおらかな肯定のもとに謳い上げるのが齋藤なずなの作品なのです。
近作「ぼっち死の館」では、作者を投影したかのような初老のマンガ家が、こんなふうにつぶやきます。
「そうやって(物語を)まとめるのが最近、やになっちゃって…」
「何でもわりきれちゃんうだよね。「話」にしたとたん」
(『夕暮れへ』p222)
そんなお手軽なお話だけはつくってやるまい、という作者の逆説的矜持が感じられる箇所です。
そして彼女の作品に登場するのは、いつも人生の年輪を重ねた人たちばかり。まあとにかく渋いわけです。
かといって、人生に達観したような人は一人も出てきません。むしろ人生の年輪を感じさせないような凡庸極まりない中年男女、絶対主人公にならないようなタイプの人間を語り手に持ってくるや俄然、作品は精彩を帯び始めます。
「夕暮れへ」や「スカートの中」に出てくる、あんまり苦労人そうにも見えない、ぼやっとした感じの中年男子。こういった人たちが、にっちもさっちもいかない日常の中で、ふとした弾みに、幼き日々の神話的世界に入っていく。そこで何かを得たような気もするし、何も得なかったような気もする。
ああ、これはまるで自分の話だ、と読む者は得心します。
物語を閉じると、そこには、いつもと変わりのない自分がいる。いろいろあったような気もするけれど、そんなに代わり映えもしない、ほかならぬ自分が…。
誰もがそれぞれの人生を、主人公として生きているのだと腑に落ちる瞬間です。人は皆「永久欠番」(by中島みゆき)なのです。
齋藤なずなは、お手軽な「救い」なんてものには満足できなくなった、オトナな皆さんにこそ味わって欲しいものです。
◆◇◆齋藤なずなのhoriスコア◆◇◆
【シワシワ】72hori
肌の表面の皮のたるんだ感じとか難しかったです。
【筆記用具】63hori
模写ではカブラペンを使ってみました。
【横長のコマ】68hori
基本は今でもやはり横長です。齋藤先生のカメラアイは、きっとシネスコサイズがデフォルトなのでしょう。
◎●ホリエの蛇足●◎●
<1>実は、齋藤なずなの名は、「マンガのスコア」で一度出てきたことがあるのです(知らなかったでしょう!)。
<2>背景の不気味な島影は、ベックリンの「死の島」という作品をモチーフにしたものと思われます。
アイキャッチ画像:齋藤なずな『ぼっち死の館』小学館
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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