「子どもにこそ編集を!」
イシス編集学校の宿願をともにする編集かあさん(たまにとうさん)たちが、
「編集×子ども」「編集×子育て」を我が子を間近にした視点から語る。
子ども編集ワークの蔵出しから、子育てお悩みQ&Aまで。
子供たちの遊びを、海よりも広い心で受け止める方法の奮闘記。
文字から文章へ
長男コウタは6歳の時、ひらがなを読めるようになった。でもすぐに「文」がすらすら読めるようになったわけではなかった。
「たしざんかな・ひきざんかな」と書いてある算数プリントを指差し、声に出して読んでみてといったとき、ぱっと「ひらがな・かたかな」と言った。
算数プリント「たしざんかな・ひきざんかな」
あれっ、読めてない?
「かな」という文字を見た瞬間、アタマの中になじみのある言葉である「ひらがな・かたかな」が呼び出され、そこで「読み終わった」のかもしれないと推理した。
文を正確に読むには、文字の列を目でたどり、音を想起し、意味を思い浮かべるという作業を地道に繰り返していく必要がある。
見たことのない言葉にぶつかっても、そこでとまらない。瞬時に意味を仮説し、先に進んでいき、仮説を検証する。
プリントの場合、算数の問題が続いているのだからもしかしたら「たしざん」のことなのかなと思いつく力や一気呵成に読まないある種のスローさが必要なのだった。
たいこ
まだ文字列に慣れていなかった長男は、できれば読みたくない、はやく終わらせたいというほうが勝って、文意を正確に読みとっていこうという気力をなかなか起こしにくかった。
学校が好きじゃないので「まる」をもらえるというのも動機にならなかった。
どうしたらいいのかなと思いながら、言葉を増やすようにしたり、眼を動かすトレーニングをしたりしていた。
情緒が安定していた時に、小学校から、「今月の音読」として、谷川俊太郎の「たいこ」という詩のプリントをもらった。
はじめて見る詩だった。まずは私が声に出して読んでみた。
「どんどんどん
どんどこどん
どこどんどん
どどんこどん」
読みながら、閃くものがあった。
「どん」と言いながら、机を「どん」とたたいてみた。実際にはトンに近い音になった。
谷川俊太郎の「たいこ」
読み役・たたき役
「<どん>という言葉には、この音というか意味がつながっているんだよ。それで、<どこ>はこの音がつながっている」。
「どこ」と言いながら机を二回小さくたたいて音を出してみる。
「<どどどんどん>はこれね」。
こんどはドドドンドンのリズムで机をたたく。
音を出しながら、全編を読んでみた。
書いてある通りに机をたたくのは、けっこうむずかしかった。
「やー、たいへんだね!」
書いてある通りにたたくには、ゆっくり字を目で追っていく必要がある。うまくやり終えたら達成感がある。失敗してもおもしろい。
たたき役になったり、読み役になったり、いろいろなパターンで一カ月「たいこ」で遊んだ。
「どん」はドンという音を意味していることを身体でわかる。ヘレン・ケラーの「WATERが水だと分かった瞬間」にちょっと似ていたかもしれない。少なくとも私がはじめて手ごたえをもって、言葉と意味の関係を伝えられた経験だった。
国語力紆余曲折
他の読字トレーニングも奏功したのか、文章が読めるようになってきた。テレビも見たがるようになった。テロップから情報を受け取れるようになったのである。
趣味の家庭菜園では、書いてある通りに野菜の世話をすると収穫量が増えるということが分かって、それからは読む力が一気に加速した。
目標にしていた房どりトマト
けれど、教科書にはなじめかった。
小3の途中でじっくり話をした。なぜ、心がかき乱される「ごんぎつね」や「注文の多い料理店」を読みたくないのに読まされるのか。
テストについても、文章の一部分だけ読んでもピンとこない。ましてやキーワードが伏せてあったりしたら、なぜ?という気持ちで一杯になってしまう。
国語力は絶対につけてほしいと思っていたので、学校の国語からいったん離れるのもやむなしと判断した。
偶然と必然
中学校までテストとは無縁の生活をしながら、ありあまる時間で膨大な映像を見、テキストを読んでいた。
通信制高校1年生の今、一番取り組みやすくておもしろい教科が「国語」だという。15歳を過ぎて、未知の文章に触れることが「自分にとって必要なことだ」と感じるようになったらしい。
変化に驚いたことと、8月に試験問題トライアルチームの一人として関わった『松岡正剛の国語力』が送られてきたことで、この夏はずっと「国語力」について考えていた。
「たいこ」が足場の一つになったと思い出したきっかけは、並行して読んだ『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』である。
認知科学者の今井むつみと言語学者の秋田喜美の共著で、言語の本質と進化の謎に迫っている。
感覚イメージを写し取る言葉であるオノマトペが、赤ちゃん時代に、本格的な言語習得に先だって、言語の大局観を子どもに伝える。言葉や文字とのなじみやすさは、子どもによってグラデーションがある。
長男の場合は、おそらく他の子どもとは少しちがう働きかけが必要だった。
「たいこ」のセンス・オブ・ワンダーは偶然で、必然だったのだ。
『松岡正剛の国語力 なぜ松岡の文章は試験によくでるのか』松岡正剛+イシス編集学校/東京書籍
『言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか』今井むつみ、秋田喜美/中公新書
AI時代の切実
本棚に並んでいる『松岡正剛の国語力』を見て、長男の視線が少しけわしくなった。
「国語力、自分はあんまりないんだよね」。
登場人物の気持ちを書く問題、なかなか正解できないとつぶやく。
学校の国語を再び始めた今、自己評価は高くないらしい。
「そうか。でも、新聞記事の読解力は高いよね。”ニュース記事を高速に把握する能力”も国語力だって、松岡校長、書いてあるよ」と応じる。
「それは納得だけど、でも、それだけじゃ足りないんだよね。人としゃべるには」。
長男にとって、国語力はもう、親や学校につけてもらうものではなくなっていた。
親や書き言葉の語彙を超え、試験だけでは身につかない生きた読解力を、場数を踏んで自ら身につけていかなければならないものに浮上していた。
AI時代になったからこそ、子どもにとって国語力は大人が考えるよりもずっと切実だということを知る。
大人は何ができて、何をしないほうがいいのだろう。思いをめぐらせながら、「認知科学なんかの成果を取り入れた新しい国語の教え方、もっと本腰をいれて考えなきゃとは思ってる」と話した。
info
『いちねんせい』谷川俊太郎・詩 和田誠・絵/小学館
「たいこ」が掲載されています。
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松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
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