何度でも強調しておきたいのは、花伝所で学ぶ5つのMが「Model:型」から始まることです。
花伝式目では、編集稽古を進めるうえで捉えておくべき型として「お題(編集術)」「エディティング・モデル」「問・感・応・答・返」の3つを示しています。編集術という型を、編集的な場のなかで、編集的な方法によって学ぶことが編集稽古なのだと宣言しようとしているわけです。
なんだか同語反復のように聞こえるかも知れませんが、「型」とは多分に相互記譜的で、ときに自己言及的で、とことん自己相似的な性質がありますから、それゆえ型は型を守りもするし、型を型が破りもするし、型から型が生まれもするのです。
さて、ことほど左様に編集学校は「型」を強調し重視しているのですが、こと「エディティング・モデル」については花伝所の放伝生ですら理解の覚束ない者が少なくありません。
そこで「エディティング・モデルとは何か?」を説明するいくつかのモデルを以下に整理してみることにします。
「エディティング・モデル」を説明するための主なモデル
◎贈り物交換モデル:
松岡校長が『知の編集工学』で示した、情報コミュニケーションについての仮説。エディティング・モデルの交換仮説はここから進展した。
私たちは情報交換のプロセスのなかで、〈編集〉という作用によって表象された言葉や身ぶりを「意味の市場」へ放り出し、その市場から相手が自分に必要な意味を抜き取っている。そのときに交換されているのは「編集の贈り物」(=エディティング・モデル)と捉えることができるだろう。
(関連記事:編集用語辞典 07[エディティング・モデル])
◎地と図モデル:編集学校では最も伝統的な説明モデル。メッセージという「図」は、常にエディティング・モデルという「地」に乗って動いている。そのため、同じメッセージ(=図)でも伝える者や伝える方法(=地)によっては異なる様相や意味合いを持つことがある。
エディティング・モデルの概念をシンプルに図解するのに適しているが、「交換」の動的な相互作用までを描写するにはやや弱い。
◎問感応答返モデル:
31[花]で花伝式目に「問・感・応・答・返」が導入された際に、「エディティング・モデルの交換」の説明の仕方を更新しようとしたもの。コミュニケーションのなかで「3A」が双方向かつ非線形に躍動してモデル交換をアクティベートする様を活写することができる。
私たちの日常会話では、親しい間柄であるほど情報の「地」を省略して発話することが多い。それでもコミュニケーションが成立するのは、省略された言葉の間を互いに感じ取りながら応じあっているからである。
(関連記事:31[花]花伝講義録「問・感・応・答・返」)
◎環世界モデル:
エディティング・モデルの多様性を編集的な個性や特性として捉えようとするなら、「環世界」の概念を借りた生命モデルによる説明が有効だろう。
全ての生物は、それぞれの種や個体に固有の身体感覚に基づいて世界を知覚し、自分の特性を反映した独自の環世界の中で生きている。このとき、それぞれの個体は環境のなかで共生しているが、環世界は個体に固有であるから互いに隣接しあうばかりで共有や交換はできない。だが私たち人間は、環世界を情報化することによって他者と環世界を擬似的に共有する能力を有している。
(関連記事:[髪棚の三冊vol.1]「たくさんの私」と「なめらかな自分」)
◎インタースコアモデル:
花伝所が主催するエディットツアーでは、「インタースコア編集力」を培うことが編集を学ぶ成果であることを強調している。ワークショップは、情報と情報構造、意味と方法、回答と回答者が分かち難いものであることを示しながら展開される。
私たちは誰もが「自分のエディティング・モデル」を通して他者や内外の情報とインタースコアしている。編集稽古は、そのエディティング・モデルを自覚的にリバースエンジニアリングするところから始まる。(関連記事:花伝所出ると優しくなれる? 写真でわかる「イシス式指南術入門」開催 )
◎方法日本モデル:
方法日本は「エディティング・モデルの交換」をそのまま文化として醸成してきた。日本語がその言葉の背後にある文化や文脈ごとの交換を促し、その手続きや次第は変化変容のプロセスを分断することなく交換を運び、身体感覚を含めた編集構造を丸ごと「まねび(真似び)」ながら継承してきたのである。
花伝所は、37[花]以降あらためて「方法日本」のフィルターを通して編集工学を語り直すことを志している。
(関連記事:[週刊花目付#29] 虚に居て実を行うべし)
◎仮想あるいは偽装するモデル:
見知らぬものと遭遇したとき、私たちは本能的に既知のエディティング・モデルのなかから適当と思われるものを取捨して、それを未知の対象に適用させながら情報交換を図ろうと試みる。このことは、私たちにとって多くの場合、コミュニケーションのためのチャンネルが仮設的であることを示唆している。
人工知能は、今や情報を人間とは異なる方法で処理し、意味や価値を計算によって生成し、人間に提供しようとしている。もしもこの情報交換が成立し、かつ有益であるとすれば、機械の偽装するエディティング・モデルを人間が積極的に受容することが前提となる。
(関連記事:[髪棚の三冊vol.4]見知らぬものと出会う)
以上紹介したように、「エディティング・モデル」なる概念を説明しようとするだけでも、多様な切り口から多彩なプロフィールを描くことが可能です。
同じことを裏側から言えば、人が何か新しい知識や技能を学ぶとき、そこには人の数だけの認知の仕方や理解の過程が存在するということでもあります。一を言えば十を知る者もいれば、何十年も一意専心して漸く何かを掴む者もいるでしょう。
私たちはついつい他者に対しても自分自身についても、理解の遅速や成果の多寡を優劣の尺度で評価しがちです。けれど、それは編集的な態度とは言えません。
情報を編集構造ごと「Model:型」として捉えること。そのアプローチは、その情報が潜在的にもたらし得る意味や価値を、既存の市場から解き放つためのファーストステップになる筈です。
花伝式部抄(39花篇)
::序段:: 咲く花の装い
::第1段:: 方法日本の技と能
::第2段::「エディティング・モデル」考
::第3段:: AI師範代は編集的自由の夢を見るか
::第4段:: スコア、スコア、スコア
::第5段::「わからない」のグラデーション
::第6段:: ネガティブ・ケイパビリティのための編集工学的アプローチ
::第7段:: 美意識としての編集的世界観
::第8段:: 半開きの「わたし」
::第9段::「わたし」をめぐる冒険
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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花伝式部抄::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
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