宮谷一彦といえば、超絶技巧の旗手として名を馳せた人だが、物語作家としては今ひとつ見くびられていたのではないか。
『とうきょう屠民エレジー』は、都会の片隅でひっそり生きている中年の悲哀を描き切り、とにかくシブイ。劇画の一つの到達点と言えるだろう。一読をおススメしたい(…ところだが、入手困難なのがちょっと残念)。

「…違います」「…ものすごく違います」というナレーションが笑いを誘った冒頭。しかし、物事すべてを自分に都合のよいように解釈する人っているものですね。そういう人を「おめでたい」というのですよ、と褌野郎、もとい定信様に言いたくなる始まりでした。
大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。
第35回「間違凧文武二道(まちがいだこぶんぶのふたみち)」
鉄壁の自己中
黄表紙『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし)』は飛ぶように売れる。しかし手にとった人は、書かれていることを素直に受け取り、田沼時代をくさし、定信による政(まつりごと)を讃える。何もかも定信さまさま。歌麿の「人ってなぁ、思いがけないようにとるもんだなぁ」という一言、ふと身の周りを見ても思い当たること多し、ではないでしょうか。
一方で、『悦贔屓蝦夷押領』(よろこんぶひいきのえぞおし)の売れ行きがよろしくないので、(例のごとく?!)すねモードの恋川春町。蔦重たちは取り上げた題材のせい、と慰めますが、気分は晴れません。ところが、春町が定信に繰り出した皮肉に理解を示したのが、当主の松平信義です。「定信の志は伝わっていない」と見抜いた信義の言葉から、蔦重たちは世の中の文武騒ぎはブームでしかない、いずれ飽きられて文武の真髄を理解しない「とんちき」を量産するだけ、と悟ります。
「とんちき」の一例となったのが、定信が著した『鸚鵡言(おうむのことば)』の、政治の手法の根本原則を知ることを凧揚げに例えた一節を、そのまま「凧をあげたら国が治まる」と受け取った人々です。道を歩く子ども達のやりとりに示されていましたが、子どもがそう口にするならまだしも、「父上がそう仰せであった」と、大人までもが真に受ける。
そこで春町が第二弾として放とうとしたのが『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶにどう)』。です。「おふざけが過ぎる」と出版に反対する蔦重の妻・おていに対し、
俺はさして巫山戯ているつもりはないのだ。
褌の(定信の)思い描いたとおり、世は動かぬかもしれぬ。
だが思うように動かぬものが、思わぬ働きを見せるかもしれぬ。
ゆえに、躍起になって己の思うとおりにせずともよいのではないか。
少し肩の力を抜いてはいかがか、と。俺としては、そういう思いもこめて書いたつもりだ。
と春町は答えます。
「からかい」から、「いさめ」へ。
思えばこの瞬間から、書き手である春町の意識が定信を越えてしまったのです。ふざけや、からかい、風刺とは、身分が下の者が受け容れられないだろうと承知で放つもの。言われた側も「いつでもつぶせる」と思うからこそ、放置する余裕を見せられる。しかし「肩の力を抜いてはどうか」と諭すつもりならば、定信にしてみれば「お前に言われる筋合いはない」。
元はからかいやふざけの奥に「こんな世は嫌だ」と言いたかっただけの筈。ところがそれは、やがて「世を正したい」という意識へと変わり、さらにその意識が表に出過ぎれば、それは定信が行おうとする世直しと正面から衝突することになるのです。
さらに「定信は黄表紙好き」という噂が誤解を広げます。黄表紙なら何を書いても許されるのではないか。
定信が蔦重の真意を誤解しているかと思えば、蔦重たちもまた定信がとるであろう行動を誤解する。双方の誤解に誤解を重ねて、やがては凧の糸が切れる展開へとつながります。
トラウマからの解放
誤解の応酬と、皮肉の連なり、横で見ているだけでも疲れてしまう。そんな中で、歌麿がつかんだ幸せにはほっとひと息、です。
蔦重とおていの信頼関係が深まれば深まる程、兄弟のような関係からただの「お抱え絵師」になっていく。その寂しさを埋めたのが、おきよという女でした。
第30回では、歌麿が母とその情夫の記憶に苦しみ枕絵に向かうことができなかった歌麿の様子が描かれます。その歌麿が、書き損じを捨てに行った先で出会ったおきよと、今回、再会したのですが、彼女は耳も聞こえず、声を発することもできない女性でした。
この二人の出会いを思いおこさせるのが町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』です。
普通のクジラとは声の高さ─周波数─が違うために、仲間に声が届かないクジラ。
52ヘルツのクジラ。世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。誰にも届かない歌声をあげ続けているクジラは存在こそ発見されているけれど、実際の姿はいまも確認されていないという。「他の仲間と周波数が違うから、仲間と出会うこともできないんだって。例えば群がものすごく近くにいたとして、すぐに触れあえる位置にいても、気付かないまますれ違うってことなんだろうね。
親にネグレクトされ、やっと出来た友達、いや仲間とは、モラハラの彼氏のせいで離れる。傷を抱え、田舎町に移り住んだ貴瑚(きこ)と、その町で出会った、同じようにネグレクトされている少年・愛(いとし)。彼を守ろうとするうちに、貴瑚もまた自分自身の人生を取り戻していきます。
貴瑚は愛に対してこう語ります。
わたしも、昔52ヘルツの声をあげてた。それは長い間誰にも届かなかったけど、たったひとり、受け止めてくれるひとがいたんだよ」 どうしてそれを、魂の番だと思わなかったのだろう。運命の出会いだと気付けなかったのだろう。気付いたのは彼が去ってからだなんて、遅すぎる。
蔦重は確かに実の親には育てられなかったかもしれない。けれど厳しい中にも愛情たっぷりと見守ってくれる二人の親がいました。そういう蔦重は、歌麿の孤独を本当の意味では理解できなかったのでしょう。
しかしおきよは、歌麿の52ヘルツを受け取ることができた。いや、歌麿もまたおきよの52ヘルツをキャッチすることができたからこそ、トラウマを越え、描けないと思っていた枕絵を完成させることができたのです。
おきよを描きたいという気持ち。それが彼を縛っていた傷を溶かしたに違いありません。
さて凧の糸が切れる、そんな不穏な幕切れとなりましたが、歌麿の幸せは守られるでしょうか。
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十一
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十一
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その九
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その一
大河ばっか組!
多読で楽しむ「大河ばっか!」は大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブ。物語好きな筆司たちが「組!」になって、大河ドラマの「今」を追いかけます。
正しさは人を支える力であると同時に、人を切り捨てる刃にもなる。その矛盾は歴史を通じて繰り返され、社会は欲望と規制の往復のなかで生かされも殺されもしてきた。螺旋するその呼吸をいかに編集し、いかにズラすか――そこにこそ、不 […]
ついに始まってしまいました。前回、思いを幟に仕立てた新さんを先頭に、江戸の民衆が米を売り惜しむ米屋に押しかけ、打ちこわしへと。それなのに、このタイトル。さて、ドラマはどのように展開していったのでしょうか。 大河ドラマ […]
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数寄を、いや「好き」を追いかけ、多読で楽しむ「大河ばっか!」は、大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブです。 ナビゲーターを務めるのは、筆司(ひつじ)こと宮前鉄也と相部礼子。この二人がなぜこのクラブを立 […]
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コメント
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2025-09-18
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2025-09-16
「忌まわしさ」という文化的なベールの向こう側では、アーティスト顔負けの職人技をふるう蟲たちが、無垢なカーソルの訪れを待っていてくれる。
このゲホウグモには、別口の超能力もあるけれど、それはまたの機会に。
2025-09-09
空中戦で捉えた獲物(下)をメス(中)にプレゼントし、前脚二本だけで三匹分の重量を支えながら契りを交わすオドリバエのオス(上)。
豊かさをもたらす贈りものの母型は、私欲を満たすための釣り餌に少し似ている。