紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ八

2024/07/27(土)19:00
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 事実は一つ。であっても、それに対する解釈は無数に。「なぜ」と「どうやって」は見る人の数だけあるのでしょう。大河ドラマもまた、ある時代・ある人物に対する一つの解釈です。他の解釈を知れば、より深く楽しめるに違いない。
王朝、宮廷、雅、サロン…、と「平安時代」と聞いて思い浮かべるステレオタイプを作り出したその人が、静かに息を引き取りました。


 

◎第28回「一帝二后」(7/21放送)

 

 「一帝二后」とは、一人の天皇に対し、二人の正妻がいる、そんな状態のことを指します。『源氏物語』冒頭に、「いずれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるに…」とあるように、帝には侍る女性が何人もいるのが普通だったわけですが、「正妻」と言えるのは皇后ただ一人、の筈でした(今もそうですよね)。一条天皇が即位する少し前までは「皇后=中宮=正妻」だったのです。
 ところが、道長は娘の彰子をどうしても正妻扱いとさせたく、無理矢理、定子を「皇后」に、彰子を「中宮」にします。これが、今回のタイトル「一帝二后」につながるわけです(律令による決まりがあるので后位も定員がある。安倍晴明が道長に、彰子を中宮にするための知恵を授けるという場面がドラマの別の回の中でも出てきていました)。
 そして、一条天皇の例を持って、本来「最上位」の存在である筈の「皇后」ではなく、「中宮」が実質の正妻、という感が強くなったように思います。

 

 「后は定子一人だ」と怒りをあらわにした一条天皇を説得したのは、その秘書的な存在=蔵人頭である行成でした。今回の中盤、思い切って一条天皇にもの申そうとする瞬間の行成(演・渡辺大知)の表情、「言わねば」という覚悟を決めた顔が印象的でした。
 その藤原行成が書いた日記『権記』では、「此の事、去ぬる年の冬の末、太后、崩じて給ひて以来、度々其の旨を催し奏す」とあります。行成は何度も一条天皇を説得していたのです。ドラマでは「出家した身の定子では神事を行えない。大水(鴨川が決壊していましたね)や地震などの昨今の災いは、藤原一族の女人のトップが神事を行っていないことに対する神のたたりだ」という説得をしていました。
 『権記』ではさらに、神事という勤めを果たしていないのに、中宮としての禄を貰っているのはいかがなものか、といったような記述も見られます。また「奏する所、其の旨、多しと雖も、悉く之を詳らかにすること能わず」とも。一条天皇に色々と言ったが全てを日記に書くことはできない、と。道長はこうやって、一条天皇の側近を使い、圧を強くかけていったのでしょう。
 「(一帝二后という)前代未聞のこの宣旨を聞いて反発する公卿はいなかった」というナレーションが、出家した定子が一条天皇の近くにいることに対し、公卿たちがいかに忌避感を示していたかを明らかにしています。

 

 こうして定子は皇后に、彰子が中宮になります。相変わらず、彰子は表情が乏しい。対する定子は中宮から押し出されたことを恨むことなく一条天皇に寄り添います。

 

 さて、もう一組の「一帝二后」のようにも見える道長の正妻・倫子と妾(しょう)・明子。心労重なり(そりゃ、自分の娘が中宮になるか、どうかの瀬戸際、ストレスもマックスだったでしょう)、ついに明子の家で倒れてしまった道長。道長、なぜ正妻の倫子がいる邸宅で倒れなかったんだ…。明子の家に乗り込んできた倫子は、動かすことができない道長の容態をみて「看病をよろしくお願いします」としか言えない。こちらは“二后”の間でのバチバチという火が目に見えるかのようでした。
 しかし道長を死の淵から呼び戻したのは、二人のどちらでもなく、まひろ(後の紫式部)の「戻ってきて」という声。紫式部と道長は「ソウルメイト」という、このドラマの根本はここにあるのでしょう。

 

 三人目の子どもを身籠もった定子は、女の子を出産した後、ついに儚くなりまう。もう、ここで取り上げることもない麗しの女人、今回はこちらをご紹介します。

 

◆『悲愁中宮』安西篤子/集英社文庫◆

 「怨ずる」という言葉が似合うのは、平安時代の女性だけのように思う。単純に「恨む」とか「愚痴を言う」というのではなく、優しくかつ品位を保ちながら、相手に非があると感じていることを伝える。そんなイメージだ。
 定子は、一条天皇に言いたいことがたくさんあったに違いない。父・道隆亡き後、自身の兄弟である伊周・隆家兄弟の落ち度により没落していく家。しかし、そこまで厳しい罰を科す必要があったのだろうか。あるいは、道長の意は尊重しなければならなかったとしても、本当に彰子を中宮にしなければならなかったのか、いや、頭では納得したとしても。
 この本の中の定子は「光る君へ」の定子とは異なり、一条天皇に「怨ずる」。それがまた定子を生きた人間にしているのだ。
 清少納言は『枕草子』において定子の悲劇の面を徹底的に排除した。実際に起きたことを知っている読者は、このことによりむしろ、定子の光輝いていた時代の「闇」の深さを感じた。この本では、定子の近くにいた女房・左京の目を通じて、定子の息づくような闇を知ることになる。定子には一人語りは似合わない、語り手あっての定子なのだ。

 

今回、訳あって書影がとれなかったので、関係図を。今、ドラマ内にいる人中心に作成しました

 

 


 

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紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ七

  • 相部礼子

    編集的先達:塩野七生。物語師範、錬成師範、共読ナビゲーターとロールを連ね、趣味は仲間と連句のスーパーエディター。いつか十二単を着せたい風情の師範。日常は朝のベッドメイキングと本棚整理。野望は杉村楚人冠の伝記出版。

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