声がふるわせる◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:林愛

2024/03/30(土)08:45
img

 2011年の3月11日にはここにいなかった。けれど、東日本大震災の慰霊祭に参加するのは8回目になった。住んでいる神社の境内の慰霊碑の前に祭壇を設けて、亡くなった人にご神饌と呼ばれる食事を捧げ、祈る。午後2時46分が近づいてくると、石段から裏の参道から、近所の人たちが上ってくる。13年前も、ある人は地震のあとすぐに、ある人は津波に追われるように駆け上がった、20メートルほどの高台だ。

 

 神主の行う慰霊祭のはじめに降神の儀というものがある。こちらのおばあちゃんが亡くなった時、はじめて神道のお葬式に出てこれを聞き、ちょっとびっくりした。神主が低い声で「おおお~~~」と長い音を出すのだ。

 この声は警蹕(けいひつ)というらしい。「蹕」は「先払い」とも訓み、天子の行幸の際に護衛がまわりに声をかけることだそう。『字統』によると『礼記』に「主、廟を出て、廟に入るとき、必ず蹕す」とあり、もとは神事に用いられていた。

 「降神」と言うように、この振動を伝わって、神様や亡くなった人の魂が降りてくるのか、と思った。神道では亡くなった人の魂は、しばらくは生きていた時の個性を保っているけれど、時間とともに(33年あるいは50年といわれる)集合体としての祖霊になるという。長い時間をかけて、お盆やお彼岸に供養してもらううちに、だんだんと個が融けて混ざってゆくなんて、わかるようなわからないような、やさしいようなこわいような不思議な感覚だ。

 

 子どもとどちらが長く息継ぎせずにいられるか、という遊びになることがある。特にお風呂場なんかで、ふたりで顔を合わせて「あー」と声を出し続けていると、声が響き合って、混じり合っていくような気がする。いつか死んで何年も経って、集合体としての神様になっていくって、こういうことなのかな、と思った。声と声の波が重なってひとつになるように。

 

 だけど、どうして「お」なのだろう。警蹕には「おお」のほか、「しし」「おし」「おしおし」なども使うという。静かなところで「しーっ」と注意を促すように、無声でも摩擦音で一定の音が続けて発声でき、耳を引きやすい音が選ばれている。

 「おー」というと、ヨガのクラスなどで聞くことがある「オーム」というマントラを思い出す。バラモン教では、「aum」と3つの聖典を象徴する3つの音からなり、ブラフマンを象徴する。ヒンドゥーではこれがブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三神一体を表す。また密教では真言の冒頭の「オン」となった。

 

サンスクリット語で書かれた「オーム」

ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三神一体

 

 「オー」がサンスクリット語で「au」が長母音「o」になったものだとすると、はじまりはやはり「あ」なのだなと思う。日本密教では「阿字」はすべての宇宙である大日如来そのもので、「あ」の響きは大日の波動だと言われる。

 井筒俊彦の「意味分節理論と空海――真言密教の言語哲学的可能性を探る」という論文(『意味の深みへ』岩波文庫所収)の中で、『荘子』の「天籟」の比喩がこんなふうに紹介されていた。

 「無限にひろがる宇宙空間、虚空、を貫いて、色もなく、音もない風が吹き渡る。天籟。この天の嵐が、しかし、ひとたび地上の深い森に吹きつけると、木々はたちまちざわめき立ち、いたるところに「声」が起こる。」

 まだ音にならない風が吹き渡る中を、「阿」からはじまる音で先払いし、存在の通り道をつくっていく。そこから神様や魂は人間の世界に降りて来られるのかもしれない。

 

 わたしが知っているこれまでの8年、3月11日の2時46分は晴れのことが多かった。慰霊祭のおわりには、昇神の儀がある。慰霊碑の後ろの高い銀杏の枝には、まだ葉の気配はない。「おおお~~~」という声が上っていくとき、青い空の中で銀杏はいつも梢をふるわせている。

 

 

ーーーーー

◢◤林愛の遊姿綴箋

 冬になるとやってくる(2023年12月)

 龍が話しかけてくる(2024年1月)

 鬼を追いかける(2024年2月)

 声がふるわせる(現在の記事)

 

◢◤遊刊エディスト新企画 リレーコラム「遊姿綴箋」とは?

ーーーーー

 

 


※いよいよ4月には、次の基本コース[守]が始まります。

※たくさんの方に編集術にふれていただけるよう、エディスト編集部一同、願っています。

 

★無料!編集力チェックはこちら

★毎週のメルマガ登録はこちら

★編集ワークショップを体験したい方はこちら

★無料の学校説明会へどうぞ


 

  • 林 愛

    編集的先達:山田詠美。日本語教師として香港に滞在経験もあるエディストライター。いまは主婦として、1歳の娘を編集工学的に観察することが日課になっている。千離衆、未知奥連所属。

  • 【追悼】校長・松岡正剛 石のざわめきを聞く

    透き通っているのに底の見えない碧い湖みたいだ―30[守]の感門之盟ではじめて会った松岡正剛の瞳は、ユングの元型にいう「オールド・ワイズ・マン」そのものだった。幼いころに見た印象のままに「ポム爺さんみたい」と矢萩師範代と […]

  • いくつもの物語を植える◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:林愛

    スペインにも苗代がある。日本という方法がどんな航路を辿ってそこで息づいているのかー三陸の港から物語をはじめたい。    わたしが住んでいる町は、縄文時代の遺跡からもマグロの骨が出土する、日本一マグロ漁師の多い […]

  • 時がはらはらと降る◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:林愛

    東京を離れるまで、桜と言えばソメイヨシノだと思っていた。山桜に江戸彼岸桜、枝垂桜に八重桜、それぞれのうつくしさがあることは地方に住むようになって知った。小ぶりでかわいらしい熊谷桜もそのなかのひとつ。早咲きであることから […]

  • 鬼を追いかける◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:林愛

    はじめてみちのくの夫の実家に行った帰り道、「どこか行きたいところある?」と聞かれてリクエストしたのは、遠野の近くにある続石だった。「よし、東北を探究するぞ!」と思って、そのころ何度もページをめくったのは、『荒俣宏・高橋 […]

  • 龍が話しかけてくる◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:林愛

    神社に住んで8年になる。といっても、先月書いた来訪神を擬こうなんてつもりではない。縁あって宮司の息子と結婚し、その片隅で暮らしている。2024年が明けて、初詣に来た人たちが鳴らず鈴の横に、今にも飛び立ちそうに龍が翼を広 […]