40[花]弓とエディティング・モデルの交換

2023/11/23(木)14:01
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 コミュニケーションとはエディティング・モデルの交換である。イシス編集学校校長の松岡正剛が27年前に執筆し、先日増補版が刊行された『知の編集工学』の中で論じていたことである。コミュニケーションは単なる情報交換やメッセージ交換でなく、意味の交換なのだ。
 リモートワークやオンライン会議がもたらした恩恵と共に、コミュニケーションが取りにくくなったと言われる昨今、コミュニケーションそのものの意味を捉え直すことで見え方も変わってくるだろう。それを突き詰めたいならイシス編集学校に入門して師範代を目指すことをオススメする。

 エディティング・モデルの交換は、『知の編集工学』では「編集の贈り物交換モデル」として図解されている。また、

 

  • 「意味の市場」でのやり取りであること
  • 送り手は受け手であり受け手は送り手であること
  • 情報の様子や意図がパッとつかめる(あらくつかめる)こと

 

といった特徴がある。この他、『多読術』や遊刊エディストでも見方や捉え方が紹介されている。

 


2023年10月28日に開催された40[花]入伝式。師範代を目指す25名が本楼とオンラインに集ったこの日、「問答条々」と題し、3名の師範から編集技法が手渡された。その1つを紹介する。


 

【エディティング・モデルの交換例】
 エディティング・モデルの交換が起こる場の例を挙げる。それは私が学生時代所属していた弓道部の稽古である。そこには指導者という役割のみを持つ人がおらず、新入部員には先輩が教える、部員同士が教え合う、たまにやってくるOBが教えてくれる、このような形で稽古を行っていた。唯一の指導者がいて、その人がモデルになるのではなく、教え合い教わり合いながら、つまりエディティング・モデルを交換しながら稽古しているというわけである。また、これは必ずしも一対一ではなく、「場」としても起こる。誰かと誰かが話していると、周りも入ってきて、それぞれの見方が交わされる。それは一対多あるいは場でのエディティング・モデルの交換が起こっていると言えるだろう。
 こうしたスタイルでの稽古の難しさの1つとして、ゴールが明確になりにくいということがある。これで良しと言える人もそれを判断できる人もいない。ただしそれは裏返すと強みとも言える。探究しようとする限り道は続くのだ。
 それでは上達の具合はどうなのかというと、試合の結果だけで判断できるものでもないが、大会で上位の成績を残すこともできているし、段位認定もされていたりするので、侮ることはできない。ただし、常時そのような状態かというとそうでもなく、その場にいる部員の稽古の臨み方であったり、意識の持ち方による部分も大きい。


 この稽古風景と似ているのが編集学校の教室である。新入部員を入門した学衆、先輩を師範代、OBを師範と見ることができる。また、教室には編集術を教えることを専門にしている人はおらず、師範代や師範も元々はみんな学衆であり、編集道を現在進行形で歩んでいる人達なのだ。それゆえ、学衆と同様、指導陣も学んでいると見ることができる。つまり、教える人であり教えられる人でもある。教える側と教えられる側が固定されないからこそ、エディティング・モデルの交換が起こり、まだ見ぬ別様の可能性へ向かえる。もし教室に唯一の指導者と言える役割があったなら、エディティング・モデルの交換は起こらず一方通行の学びとなるだろう。そこには交換する相手が必ずいて、相互編集が起こるのだ。


【自分自身とのエディティング・モデルの交換】
 仮説的であるが、他者や場のエディティング・モデルの交換の他、自分自身とのエディティング・モデルの交換も見方として加えておく。武道や芸道、スポーツなどにおいて、一人で稽古や練習する時を思い浮かべるとイメージしやすいかと思う。その時、教本や参考書のようなものがあればそれが交換相手になることもあるが、そうでない場合、イメージするのは過去に稽古・練習していた自分である。
 過去の自分の傍らに教える人がいたならば、教えられた内容、それに応じて動いた自分、その時考えていたことなども思い出すはずだ。それらが今の自分が受け取るエディティング・モデルになる。
 これは世阿弥「離見の見」「見所同心」とも言えるし、自分が動くのと同時に自分にフィードバックしている状態とも言える。いずれも少し離れた所から自分を観察していることになるが、観察している目も自分である。私が弓道で弓を引く時を思い返すと、大抵自分の後方斜め上か正面から見ているイメージが浮かぶ。

 


 自分と他者、自分と場、自分と自分の間で起こるエディティング・モデルの交換、それを同時に行っているのがイシス編集学校の師範代である。回答から学衆のエディティング・モデルを読み取り、師範代自身のエディティング・モデルと共に指南を返す。日々動く教室模様に応じて場への働きかけを変化させ、舞台裏では師範も交えながら常に自分自身を更新し続けている。



40[花]入伝式では錬成師範の森本が弓道部と編集学校の教室に対角線を引きながらエディティング・モデルの交換を語った

 

 40[花]で切磋琢磨している入伝生達も演習を開始して4週間が経とうとしている。日々の演習に息を切らせながらも、時間編集・事情編集して臨んでいる姿は頼もしくもある。師範代となるべく、多彩で多様なエディティング・モデルが発露し始め、同じ道場の入伝生のセンサーや見立ての鋭さに新たな見方を発見し、次はこうしてみますと自ら編集可能性の拡張へ向かう声も挙がっている。

 「ここまでやればゴール」というものがないのは花伝所も同じである。自分自身、入伝生同士、師範とのエディティング・モデルの交換は、それぞれの道場から全員が一堂に会する錬成場へと場を変え、次の道へと走り出していく。

 

写真 後藤由加里

 

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