カリスマと信徒
ギリシア語のラテン形式である「カリスマ(kharisma)」は、「神からの特別な精神的な贈り物」を意味し、人間に神の力が宿るという宗教的観念から生まれた。ドイツの政治学・社会経済学者マックス・ヴェーバー(1864―1920)は、遺稿となった『社会と経済』(1922)のなかで、神ではなく人間の社会力学に由来する、並外れた、超人的な力を持つ指導者を指す用語として「カリスマ」を再定義した。神の力ではなく、人間の「リーダーシップや権威の力」という意味が一般化したのは、今から百年前のことだった。
左:エマ・クライン、訳:堀江 里美『ザ・ガールズ』(早川書房)
右:映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』チラシ
『ザ・ガールズ』はエマ・クラインのデビュー作で35カ国刊行、40万部突破のベストセラー。チャールズ・マンソンに憧れる少女たちの青春小説。彼女たちがけなげであるがゆえに、カルトコミュニティに必死に溶け込もうとし、犯罪へと繰り立てられていく姿を描く。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では、マンソン・ファミリーが殺害した女優シャーロン・テート(ロマンポランスキーの妻)の隣家に、主人公のリック(レオナルド・ディカプリオ)とクリフ(ブラッド・ピット)が住んでいるという設定になっている。
「カリスマ」 は後に純粋な個人的魅力を意味するようになったが、カリスマ的カルトの文脈では、しばしば反社会的、自己愛的、社会病質的と表現される。カルト指導者の仕事の多くは、自らのカリスマ性を信奉者に譲り渡すことで、世間の目から自分を隠すことにある。クエンティン・タランティーノの映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』やエマ・クラインの小説『ザ・ガールズ』など、チャールズ・マンソン事件をめぐる最近の文芸描写が、マンソン自身を脇に置き、彼の周りを取り囲んだ若い女性の生きざまを描いているのは偶然ではない。
現代のカリスマ
「承認欲求」とカリスマ性の力学は、デジタルプラットフォームを介したコミュニケーション社会における、より大きな文化的・技術的傾向を反映している。これらの問題は、YouTube、Instagram、TikTok、Twitter(X)などのプラットフォームにおける可視性とエンゲージメントを左右するアルゴリズムと深く絡み合っている。
現代のカリスマ性とは何か?複雑で不確実な、将来の信頼性を期待できなくなった時代から見れば、カリスマの本来の価値はどこにあるのか?ドイツの社会学者ゲオルク・ジンメル(1858―1918)は、ファッションの哲学がカリスマとその信徒の歴史について教えてくれると述べた。
彼の基本的な仮定は、ファッションの現象をめぐる「孤立と模倣」との二元論を反映していた。誰もがまだ見たことも着たこともない服装とその文化的意味を打ち出す孤立は、すぐさま模倣という形のフォロワーを促す。人々はカリスマとともに、絶え間なく論争する力、社会集団との融合、そして同時に個人の承認欲求の強調という、小さいがとても大きな力をめざした。
人に縛られていないカリスマ性を想像することとは何か?この商品は新品か、それともアンティークなのか?この事物はイームズの椅子のようなものか?レイとチャールズ・イームズの物語が埋め込まれた椅子は、単なる椅子ではない。そこには1970年代のアメリカのモダニズムの歴史全体が組み込まれているからだ。つまり、物語の複雑さが椅子をカリスマにした。
カリスマ産業と物語
高級ブランド業界は、彼ら自身の歴史と物語から、これからも存続するだろう。カリスマと贅沢というアイコンを備えたブランドは、常にアップグレードされる。先駆的な精神とカリスマ性は、物語の中でしばしば組み合わされる。長い間、カリスマ性は教皇や預言者のための特権だった。今日、化粧品、クルマ、炊飯器にいたるまで、すべてがカリスマ的だ。カリスマ性は、商品やメディアの有名人を宣伝するために使用される。今日の経済活動は、カリスマ産業としてとらえることができる。
念願のエルメスの「バーキン」を手に入れた信徒は、同時に一時の承認欲求を充足させる。カリスマ性は、事物や人々にオーラの輝きを与えるラベルに変質した。それは一般的な言葉となり、カリスマCEOやカリスマ職人など、人々はよく考えずにこの言葉を使用する。カリスマ性は、パーソナリティの約束であり大量の製品となったのである。
私たちは皆、承認欲求に導かれ、カリスマ性を意識する。インフルエンサー・マーケティング、つまり人々に影響を与えることが正常なビジネス戦略であるとする世界では、職業的および私的な成功の約50パーセントが個人的なカリスマ性に依存していると推定されている。研究によると、カリスマ・リーダーシップは生産性を向上させ、一方で「カリスマ性の衰退」は、企業の失速の指標となる。
TEDというカリスマ
TEDを人々は信奉する。TEDの舞台に立ち、10分程度で世界の聴衆にイノベーションの秘密を解き明かすスピーカーのカリスマ性を人々は称賛する。
TEDはもともと、ノーベル賞受賞者とロケット開発者の集いの場だったが、技術者、デザイナー、ソートリーダーのネットワークを構築したいと考えていた建築家リチャード・ソール・ワーマンによって1984年に設立された。TEDトークは現在世界中で行われており、講演はビデオとしてウェブに投稿されている。
普段は慎重な科学者がステージに立ち、自分たちの専門分野からの抵抗をはねのけ、驚異的な革新をどのように作り出したかについて話をする。彼らはイノベーションを彼らの個人的な物語と結びつける。カリスマはイノベーターでもある。マックス・ヴェーバーは「並外れた人物」とも言った。イノベーターにはカリスマ性が付与され、イノベーションをどのように伝えるかが重要となる。
未来を具体化するために、明日のビジョンと物語を用意する必要がある。それを行うことができるより明確で、より本物で、より存在感があれば、より多くの人々がフォローしてくれるというシステムは、当然ソーシャルメディアの本質である社交機能のことである。
カリスマの公式
TEDは成功と説得力のあるカリスマの公式である。公式は次のようになる。まずはヒーロー、ここでの話者は、身を守り、抵抗を克服し、テストに合格する必要がある。これは、ハリウッド映画が何百万回もコピーしてきた物語のパターンである。このパターンは、アメリカの神話学者ジョセフ・キャンベル(1904~1987)にさかのぼる。歴史的および宗教的テキストの生涯にわたる研究を通して、彼はこれらのテキストの多くの有効性が、物語の規則的なパターンに起因することを発見した。
左:佐宗邦威『NHK100分de名著 キャンベル『千の顔をもつ英雄』』(NHK出版)
中:ジョセフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』(早川書房)
右:同『神話の力』(早川書房)
ジョージ・ルーカスが映画「スターウォーズ」を制作する際にジョセフ・キャンベルの英雄伝説理論を参照したことはよく知られており、松岡正剛の千夜千冊704夜『千の顔をもつ英雄』でもそのことを取り上げている。本書は今年2024年にはNHK100分de名著でも紹介された。いま、あらためて日本ではキャンベルの理論は注目を浴びている。
1988年、米国の公共放送PBSは、ジョセフ・キャンベルとジャーナリストのビル・モイヤーズによる6時間にわたる対話を放送した。番組「神話の力(Power of Myth)」は、アメリカの公共テレビの歴史で最も成功したシリーズの1つになった。そこで二人の男は何時間も座って質問を熟考する。すべての文化に神の必要性を生み出す何かがあるのか?なぜ私たちは「自分は何者か?」を問うのか?
これがカリスマの原点である。ジョセフ・キャンベルは、神話が人生の手がかりを提供し、物語を通して、しばしばバラバラになる体と心を結びつける一種の接着剤を形成すると考え、すべては物語から始まると信じていた。
おそらくカリスマとは困難を克服し、忘れられた何かを前向きなものに変えることができる人物である。カリスマ性とは、まるで特別な才能のように他者と関わり、自分自身を制御する能力なのだ。これがカリスマ性の秘密である。
YouTube:カリスマ製造アルゴリズム
YouTuberという現代のカリスマによるクリエイター経済は、あらゆるモノがカリスマ性を必要とする社会の中で、ヒトが生み出す創造性の求心力のように見える。しかし、これはYouTubeの背後にある見えない機能=AIアルゴリズムが可能にするYouTube信徒をカリスマにする、報酬のメカニズムなのだ。
カリスマ性は、歴史的に魅力的な個性を持つ個人と結びついてきたが、ソーシャルメディア時代には作り出せる属性となったのである。ソーシャルメディア上のカリスマ的人物は、エンゲージメントを最大化するために、極端化や扇情的なコンテンツを増幅させることが多く、社会の分裂を深めている。
承認欲求、カリスマ性、アルゴリズム主導のプラットフォームの交差点が、今日のソーシャルメディアのダイナミクスの大部分を定義している。これは革新や関与を促進する一方で、表面的な事象や極端な意見、フェイクニュースの氾濫など、メンタルヘルスの問題といった社会問題の悪化を引き起こしている。
現代のカリスマの真の姿を見ておく必要がある。今、誰もが専門家となり、より多くの人々の承認や評価を求め、カリスマとなる夢を抱く。SNS上でカリスマを大量に生産するのはAIアルゴリズムであり、カリスマ性は忠実な信徒に移譲される。今やカリスマは、神でも人間でもなく、アルゴリズムの力によって作られる。アルゴリズムという真のカリスマは、データ経済の牽引役であり、信徒に報酬を与え、自らを隠すのだ。
アイキャッチデザイン:穂積晴明
図版構成:金宗代
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武邑光裕
編集的先達:ウンベルト・エーコ。メディア美学者。1980年代よりメディア論を講じ、インターネットやVRの黎明期、現代のソーシャルメディアからAIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。2017年よりCenter for the Study of Digital Life(NYC)フェローに就任。『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)で、第19回電気通信普及財団テレコム社会科学賞を受賞。基本コース[守]の特別講義「武邑光裕の編集宣言」に登壇。2024年からISIS co-missionに就任。
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