草むらで翅を響かせるマツムシ。東京都日野市にて。
「チン・チロリン」の虫の音は、「当日は私たちのことにも触れてくださいね」との呼びかけにも聴こえるし、「もうすぐ締め切り!」とのアラートにも聞こえてくる。

どうしてここで来週の放映は「なし?」(選挙のため)と叫んだ人が多かったのではないでしょうか。花の下にて春死なん、は比喩ではなかったのか…。
大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。
第27回「願わくば花の下にて春死なん」
米の値を左右するのは政(まつりごと)
「米の値が下がらぬ」という江戸時代の悲鳴が令和にこだまするかのよう。蔦重の知恵に基づいて田沼意知が講じた施策も奏功せず、むしろ町には田沼親子を怨ずる声が溢れます。そのような中、蔦重は日本橋のお店の旦那衆と共に米の値を下げる新たな策を意知に進言します。以前の策は蔦重の言葉から意知が拾い上げて思いついた策なら、今度の策は蔦重が、いや日本橋の旦那衆が自ら知恵を絞ったもの。幕府が米を買い上げて安く売る、これはもはや商売ではなく、政(まつりごと)、という蔦重の熱のこもった提案に意知が突き動かされました。
あまりに違う親子
三浦「血は争えぬとはよう言ったものと。息をするように政(まつりごと)の話をなさる」
意知「ああ、政より面白い話などまずない」
意次「のう、山城守」
意知「はい、主殿頭様」
(意次親子、笑う)
若年寄に抜擢された田沼意知の策が採用され、父・意次の首もつながった、と田沼親子が語り合う場面がありました。「もう少し早く印旛沼の干拓が進んでいれば…」、「蝦夷地でも米が作れるようになれば」と国の未来を語り合う姿に、思わず側近の三浦が漏らした言葉です。おどけての呼び掛けではありますが、父、ではなく「主殿頭様」、息子、ではなく「山城守」と官職で呼び合うのも自然なこの親子が、この時代、阿吽の呼吸で国を動かしていたのです。
一方、今回、中心に据えられたのは佐野政豊・政言親子でした(「政」治が「豊」かに、または「政」治の「言」葉、と、共に名に「政」が入っているのが皮肉なものです)。
「田沼は元は佐野家の家臣だった」ということを示す系図を、佐野は意知を通じて意次に渡し、よしなに取り計らってもらうよう画策したのですが、かんばしい結果が得られないどころか系図も返してもらえない(そう、意次が八つ当たりして池に投げ捨ててしまった、あの系図です)。将軍主催の狩りの場で政言は自らの矢が獲物に当たったと信じ、将軍を待たせてまで獲物を探しても見つからず、かえって信用を落とすことに。一方、政言の言葉を信じ獲物を共に探した意知への評価は上がる一方。
将軍・綱吉から賜った家宝の桜が咲かぬといって嘆き、刀を振るう父を身をもってとめる政言にとって、田沼家に贈った桜が別の神社に寄進され、それが見事に花を咲かせている。家臣がのさばり、主が身を細らせて暮らす姿に、九人の娘のあとにたった一人生まれた男子に対する期待に応えられない自分の惨めな様子が重なります。親子で国政を担う田沼家と、意を通じることもままならぬ老いた父を抱える自分。追い詰められた政言が選んだのは…、そう、「殿中でござる」、だったのでした。
栄耀栄華に耽る?
田沼父子はあらゆる醜聞のなかで、平然と、栄耀栄華に耽っている、官職の要席は賄賂と情実で占められ、政治は軽薄な思いつきと、意次その人の好みによって左右され、特に次つぎと発せられる広汎な課税政策は苛斂誅求にさえ傾きつつあった。
山本周五郎「栄花物語」の主人公の一人、河井保之助はこのように考え、田沼親子を政界から排除すべく密偵の役目を自ら担います。しかし調べれば調べるほど、田沼意次の考えや施策がいずれも理にかなったものであることに気づくのです。
一方、保之助の遠縁であり、また親友でもあった、もう一人の主人公・青山信二郎は、旗本の身分を捨て、田沼親子を風刺する戯作者となります。やがて田沼意次に呼び出されれた信二郎を、田沼は咎めることなく、ただ真に知りたかったこと─「なぜ書くのか」─という理由だけを問うたのでした。
「とのものかみ意次」 信二郎はそっと呟いた。中ノ口から外へ出ると、感動したよ うに溜息をつき、空を見あげながら云った。「とのものかみ意次、――相当なものだ、どんな汚名をきせたところで、あの人を傷つけることはできないだろう、――想像したとおりだった、会えてよかった」
この二人の目を通じて、次第に田沼意次が本当はどのような人物だったのかが読者に示されていきます。河井保之助──青山信二郎という対照的な二人の間に、彼らが真の像を知りたかった田沼が存在しているとしたら、もう一方の極には、信二郎の愛人であり、やがて保之助の妻となる、蠱惑的な女性「その子」がいました。田沼意次が世間の悪評と裏腹に実は思慮深い人間ということが明らかになっていくとするならば、その子は魅力的に見えて、実は虚偽に満ちた存在。この四人が形作る菱形が、やがて崩れていく─。
そしてまた人の噂がどのように虚像を作り上げていくのか、という道筋に、蔦重が作る本も、またその虚像を作り上げる一端を担うものだという点に皮肉さを感じるのです。風刺も度を超すと、世の理さえ危うくなる。では「ちょうどよい按配」とは、いったいどこにあるのか。
こうして見ると、政言が追い詰められていった背景には、事実よりも先に「語り」が走り、誇張や印象、あるいは利害に彩られた噂話が、人の判断を狂わせていく構造がありました。まさに、それは現代の私たちの社会とも地続きです。
ちょうどこの放送回の翌週は、選挙のために放映が一回お休みになります。誰を選び、誰を退けるのか。その選択の前で、私たちはどれだけ「真の姿」を見ようとしているでしょうか。外のものを排除せよという声が高まり、政に関する言葉が極端な色を帯びてゆく時、「米の値」とは異なるかたちで、社会の根を揺らすのは、やはり「語り方」そのものなのかもしれません。
江戸の蔦重が本を編んだように、現代の私たちもまた、日々、語りを編み、像を作り、誰かを持ち上げ、誰かを貶めています。風刺はときに真実を照らしますが、毒を含めば誤射もする。政言が耳にした甘い言葉と、私たちの耳に届く派手なフレーズとの間に、いったいどれほどの違いがあるというのでしょう。
「花の下にて春死なん」とは、まことに見事な最期を夢見る詩のようでありながら、皮肉なまでに現実に引き寄せられていきました。その構造を、私たちはただの「過去」としてではなく、いまこの選挙の季節においてこそ、〈政治と言説〉をめぐる鏡像として見つめ返す必要があるのかもしれません。
(第二十八回は次回の放送に合わせて、七月二十七日の週にお届けします)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十六
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