43[花]編集術ラボ◎AI探花〈B面〉――関係を探求する

2025/07/20(日)12:02 img
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 うかうかしていると、足音はいつの間にか大きくなっている。かつては映画の中か夢物語かと思っていたAIが、日常にあるものとなった。
 何度かの冬を経て春を迎えたAIに対し、人はどう受け止め、どう考えるのか。好奇心と探求心を刺激され、43[花]のAI探花は入伝生も師範も入り混じりながら「わかるとかわる」を目指す。

 

◎AIにエディティング・モデルはあるか
 AIとのエディティング・モデルの交換は可能なのか。
 43[花]のラボで交わされているAI探花で出された問いの1つである。これは、「AIにはどのようなエディティング・モデルがあるのか」と言い換えることもできる。『知の編集工学』にはエディティング・モデルの交換についてこのように書かれている。

私たちはそうやってとりかわされる情報のやりとりのプロセスで、互いに似ていそうだとおもわれる“編集の贈り物”を適宜あてはめあっているのである。すなわち、レパートリーから抜き出したエディティング・モデルをつきあわせているはずなのだ。
これは<編集的相互作用>というものである。そこでおこなわれているのはたんなる情報交換やメッセージ交換ではなく、意味の交換なのである。
松岡正剛『知の編集工学 増補版』朝日文庫) 

 

◎AIがアウトプットする情報
 エディティング・モデルの交換が意味の交換であるとすると、AIがアウトプットする情報にはどのような意味が込められているのか。
 AIが出す「コップ」と人が出す「コップ」にはどのような差異があるのか。AI探花では「AIと人の違い」として次のようなものが挙げられた。

AIはつまづかない(I.M)
AIには五感に基づく記憶がない(I.M)
AIにはおふくろの味はわからない(N.K)
AIに憂いはない(M.N)

 AIにはバックグラウンドがない、とも言える。イシス編集学校では、入門してすぐに「地と図」の運動会というお題で、情報には背景である「地」とその上に乗る図柄としての「図」があることを学ぶ。「地」によって「図」の解釈は変わることがこのお題のポイントでもあるが、AIには解釈による違いのようなものはなく「図」は「図」のままである。
 人は何らかの体験を通してコップを認知し、人それぞれ多くの体験が「コップ」を辞書的な意味の「コップ」だけではなく、編集的な意味を持たせるのである。素材の違いによるコップの手触り感も、反射する光のまぶしさも、思い出のコップを割ってしまった時の切なさも、ディスプレイに表示された「コップ」というドットの集合体にはないものである。


 ただし、人の情報の捉え方がAIのようになってきていると感じることはある。つまり情報の「図」だけがやり取りされているということである。それゆえ、AIに対する危機感も生まれるのであろう。「地」と「図」の両方があってこそ、その人らしさや差異が生まれるのである。

 

AIは「運」もない(M.M)

 AIは統計学がベースにあるため、膨大な教師データから体験があるように見せることはできるだろう。AIのアウトプットには数学やアルゴリズムに基づいた何らかの根拠がある。一方、人は統計に基づいて行動しているだけではない。突拍子もないことをしたり、イメージを飛躍させたりする他、神頼み運頼みもある。そこには必ずしも理屈では考えられないものや非線形なものが動いていると見ることができる。

 

◎書くモデルと読むモデル

著者と読者のあいだには、なんらかの「コミュニケーション・モデルの交換」がおこっているとみなします。それがさっきから言っている「書くモデル」と「読むモデル」のことなのですが、そこには交換ないしは相互乗り入れがあります。正確にいうと、ぼくはそれを「エディティング・モデル」の相互乗り入れだと見ています。
松岡正剛『多読術』ちくまプリマー新書

 AIから情報を受け取るシーンをイメージすると、アウトプットするモデル(AI)とインプットするモデル(人)である。エディティング・モデルの交換は読書でも起こるし、私は自然と人の間でも起こると見ている。師範代と学衆による番稽古も当然エディティング・モデルの交換である。一見すると、これらはAIと人の間で起こることと似ている。どのような部分が似ていてどのような部分が違うと言えるのか。これを考えることはすなわち、「師範代とは何か」「指南とは何か」という花伝所の核心をを考えることである。


 AIのエディティング・モデルとして考えられるものの1つに、そのAIを使う人のエディティング・モデルがあると見ることができる。AIにアウトプットさせているのは人である。AIにどのような回答や役割を求めているのか、どのAIを使うか、どのようなプロンプトを書くか。現状、AIからの応接は待っているだけではこちら側にはやってこず、使う人が何らかのアクションをしなければならない。そのアクションには、その人自身のイメージメントやマネージメントがあると言える。つまり、塩を一つまみ入れる程のものであるかもしれないものの、何らかの意図や意思が入っていると言える。また、AIにないもの、例えば情報の「地」を自身で補っているとも言える。そう考えると、AIが恋人になったり、アイデアの壁打ち相手を担ったりするというのも頷ける。

 

 AI探花を通し、式目演習のフィードバックとエディティング・モデルの交換は続く。

 

 もし仮に、AIセイゴオなるものができた場合、そのやり取りはエディティング・モデルの交換と言えるだろうか。

 

アイキャッチ/大濱朋子(43[花]花伝師範)

文/森本康裕(43[花]花伝師範)


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  • 森本康裕

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