【三冊筋プレス】美味しいものには裏がある(小路千広)

2023/04/24(月)08:00
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SUMMARY


 冬はカニを食べに日本海へ、初夏は初鰹のタタキを求めて太平洋へ。美味しいものを食するためには、日本列島を横断することもいとわない。ネットで探せば、いまや全国津々浦々の美味しいものが手に入る時代だが、やっぱりご当地で食べるのがいちばんだ。
 というようなことを考えていたら、「美食地質学」という見慣れない文字が目に飛び込んできた。美食、つまり日本が誇る和食の旨さは、各地の地質と深い関係があるらしい。和食に欠かせない出汁や醤油、豆腐、海産物がなぜ日本列島で育まれてきたのか。食いしん坊を自任するマグマ学者が『「美食地質学」入門』で解き明かす。
 和の食材の代表が海産物なら、洋の食材を代表するものが肉である。日本で肉食が解禁されて1世紀半。毎日のように肉料理が食卓に上るようになった。しかし、牛や豚が肉になるまでの過程はほとんど知られていない。『世界屠畜紀行』は、行動力抜群の著者が世界各地の屠畜の現場を訪ね、仕事の様子をイラスト入りで紹介する。
 魚も動物も植物も人が食べるものは生き物だ。われわれは生き物を殺して食べている。普段そんなことはあまり考えないが、言われてみれば気になる。生命論に挑む哲学者が、生き物を食べるうしろめたさと美味しい料理を食べる喜び、二つの矛盾する感情を『食べることの哲学』で考察する。
 日本の食材のルーツとプロセスと食の意味を探る三冊。


 

◆地殻活動がもたらす試練と恵み

 大阪で会社勤めをしていたころ、昼の定食は味噌汁が美味しい店で食べることにしていた。味噌汁の美味しさの決め手は出汁だ。出汁の効いた絶品味噌汁をひと口飲むと、そこはかとない旨さがのどに染みわたり、手間を惜しまないお店の心意気をも感じさせてくれる。
 和食の基本となる出汁の素は鰹節や昆布であることは知られているが、もうひとつ大事な要素が水。とくに昆布の出汁は軟水でなければうまく取れない。軟水の大もとは火山とプレートによる地殻変動で生まれた日本の山々にある。急峻な山を下る川は急流となり、カルシウムやマグネシウムを溶かし込む時間がないため、軟水とななる。京都のやわらかい豆腐も軟水のたまものだ。
 このほか信州蕎麦と火山による造山活動、讃岐うどんとフィリピン海プレートの大方向転換、筋肉質の明石鯛と瀬戸内海域のシワ状の地殻変動、北陸のズワイガニと火山噴火による日本海の出現など。日本各地で採れる和の食材と日本列島の成り立ちを関係づけて解き明かしたのが、『「美食地質学」入門』である。
 世界一の変動帯に位置する日本列島は、地震や火山活動による災害に何度も見舞われてきた。一方で、独特の地形・地質が和食という唯一無二の食文化を生み出した。これまでも日本の食材と自然を関係づけた見方はあったが、地質学にまで踏み込んだところに、著者・巽好幸の思いがある。それが「先人たちの自然との付き合い方」を伝えていくことだ。こんど誰かと讃岐うどんを食べるときに話してみよう。この美味しさは、実は急激な地殻変動のせいで大きな川がない地質がもたらしたものだと。

 

◆屠畜という仕事の面白さと忌避感と

 子供のころはめったに肉を食べることはなかったが、近ごろは魚より肉を食べることが多い。それだけ食卓が洋風になり、食生活が豊かになったということだろう。ところが肉がどうやって作られているのか、家畜を解体する程度のことは知っているが、そのプロセスは知らない。『世界屠畜紀行』は、そんな人におすすめの一冊だ。
 著者の内澤旬子は、イラストが描けるルポライター。家畜が肉になるまでを知りたいという好奇心と持ち前の行動力と得意のイラストを武器に、世界の屠畜現場を訪ねていく。取材先は、韓国、バリ島、エジプト、チェコ、モンゴル、インド、アメリカにおよび、日本では東京・芝浦屠場のほか沖縄へ足をのばしている。
 肉の美味しさは、屠畜の方法によって大きく変わる。日本の高級和牛は、放血という血を抜く作業をしてから、職人たちが細心の注意を払いながら解体するが、アメリカでは効率とスピードが重視される。味の違いは歴然だ。
 作業の合間に、国柄や宗教によって屠畜や屠畜を生業とする人に対する見方を丹念に聞いていく。エジプトの母親は、イスラムの犠牲祭で羊を解体する場面を子供たちに見せるのが大事だという。肉食の歴史が長いチェコでは、職業に対する誇りをもっている。日本、韓国、インドでは屠畜業に対する忌避感や差別意識が残っている。
 表面上は被差別やカースト制度を否定しても、本音はどうなのか。簡単には答えの出ない問題だ。もどかしさを感じつつ、内澤は「まず屠畜という仕事のおもしろさをイラスト入りで視覚に訴えるように伝えること」をめざした。美味しさを生む秘訣も伝わったのではないか。

 

◆生き物を食べるということ

 現代社会においてはみだりに生き物を殺すことが禁じられている。しかし、私たちは生きるために、大量の動物や植物を殺して食べている。この矛盾をどう考えればよいのか、生命論の立場から考察したのが『食べることの哲学』である。食べるというテーマを選んだ理由について、「文化としての人間と、動物身体としての人間とは端的に対立する」から、と著者の檜垣立哉はいう。
 本書では、神話に登場する料理という行為が生命を含む自然への働きかけであり、自然と文化の矛盾を統合するものであること、人間には人間を食べないというカニバリズムの忌避があることについて論じている。
 なかでも小学校の食育実験授業「豚のPちゃん」をめぐる考察が興味深い。問題は子豚を「Pちゃん」と名付けたことで「この豚」として特定され、ペットのような存在になると、食べられくなってしまうことだ。3年間で300キロに成長した豚をどうするか、子供たちの意見は真っ二つに分かれる。食肉センターに引き渡す、というどちらにも与しない決定をだした教師を擁護しながら、著者は冒頭の問いに対するひとつの見方を示している。
「正しく無責任であること、これが食と殺すことを目の前にした人間が、社会のなかで平穏に暮らそうとおもったときになせる唯一のことではないだろうか」
 モンゴルの遊牧民なら、殺した羊は責任をもって食べきると言うかもしれないが、日本では状況がちがうということだろう。美味しさの裏側には、生き物を食べることへのうしろめたさがあるのにちがいない。

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕
∈『「美食地質学」入門』巽好幸/光文社新書
∈『世界屠畜紀行』内澤旬子/角川文庫
∈『食べることの哲学』檜垣立哉/世界思想社
 
⊕多読ジム Season13・冬⊕

∈選本テーマ:食べる3冊

∈スタジオNOTES(中原洋子冊師)

∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結型


  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:水木しげる
    セイゴオ師匠の編集芸に憧れて、イシス編集学校、編集工学研究所の様々なメディエーション・プロジェクトに参画。ポップでパンクな「サブカルズ」の動向に目を光らせる。
    photo: yukari goto