【三冊筋プレス】「欲望」という名の電車に乗って(中原洋子)

2023/04/20(木)08:04
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SUMMARY


 人が食べているものは気になる。同僚のお弁当、他人の家の冷蔵庫の中、お行儀悪いが、とってもとっても知りたいのだ。『食の地平線』で玉さんこと玉村豊男は、世界各地の食習慣に関する謎を解明すべく現地へと飛ぶ。食欲は探究心を呼び覚ますトリガーだ。
 食べたいという欲望を生物学的視点で捉えると、植物と人間の共生が浮かび上がる。マイケル・ポーランは、『欲望の植物誌』の中で、植物たちは甘さ、美しさ、陶酔を武器に、生き残りと繁栄をかけて人間たちを動かした、と説く。植物にとっては、相手の生物の欲望こそが進化の最も重要な鍵となる。人間もまたそれらの需要と供給を管理していくことで経済的繁栄を手にした。
 世界中どこでも好まれ売れる商品を「世界商品」という。それを独り占めにできれば巨大な利益を得られる。
 16世紀後半から19世紀初頭まで、砂糖は「世界商品」だった。『砂糖の世界史』で川北稔は砂糖が人類に与えた大きな影響に注目する。戦争を引き起こし、奴隷制度を生み出し、植民地となった国の文化を大きく変えてしまった砂糖。「食べたい」という欲望を「儲けたい」にすり替えて、現代社会はさらに突き進む。


 

◆グルメブーム

 1980年代初頭、グルメブームが起こり飽食の時代の幕が開いた。料理や味、食材についての知識や情報を料理人ではなく、食べる側が語り、食のエンターテイメント性がグッと身近になった時代である。食は快楽であり、消費は美徳となっていく。バブルの絶頂と崩壊に向けて、人々の欲望が走り始めた。

 

◆売れっ子エッセイスト

 グルメブームで一躍「売れっ子エッセイスト」となったのが玉村豊男である。1カ月間の締め切りが30本、年間10冊以上の本を出して「月刊・玉村豊男」とからかわれたこともあるという。『食の地平線』では、食と文化のつながりを求めて世界各地を訪れた。まだネット環境などなく、情報は全て自分の足で取りに行かねばならなかった時代だ。自らも料理の腕を揮う玉さんは、探究心の赴くまま、パリに向かい、エジプトへ飛び、シルクロードを走り、アメリカにも足をのばすのだ。食材や食習慣のルーツを辿り、食べて考える。食材を語るうえで中国は外せない。食材の多くは中国が原産だ。私たちがイタリア原産だと信じているパスタだって、13世紀頃に中国北部から西アジアの砂漠地帯を渡り、イタリア半島に伝わったのだ。

 

◆ベジタブル・ロード

 大根、人参、ネギ、白菜、日頃親しんでいる野菜たちにも深くて遠い過去がある。あるところから発した野菜が、人々の手によって様々の土地に運ばれ、その風土とそこに住む人々の嗜好や必要に応じて、様々の形に変化していく。人参やタマネギは、新疆・中央アジア近辺から東へ、西へと伝わっていった。人々の努力によってより大きく、より甘く改良されながら、もともとは野草だったその植物は、野菜へと変身を遂げていったのだ。

 

◆進化的戦略

 野草から野菜への変身を、植物の「進化的戦略」と喝破するのは、米国のジャーナリストで作家のマイケル・ポーランである。著書の『欲望の植物誌』は、人類と4つの植物(リンゴ、チューリップ、マリファナ、ジャガイモ)との共進化について、まとめられた一冊だ。実際に現場を訪れ、調査し、植物と人間の未来を問うている。
 ポーランは、植物たちは甘さ、美しさ、陶酔を武器に、生き残りと繁栄をかけて人間たちを動かしている、と本書の中で語っている。
 「栽培化」という言葉いは、人間が主体となって植物を飼育するイメージがあるが、植物側の視点に立つと全く逆の景色が見えてくる。植物の進化にとっては、相手の生物の欲望こそが最も重要な鍵となる。理由は単純で、相手の欲望をより多く満たすことのできる植物ほど、より多くの子孫を残すことができるからだ。そして、人間もまた市場におけるこれらの植物の需要と供給を管理し、文化的、経済的繁栄を手にしたのである。

 

◆ライフスタイルの転換点
 新しい食材は社会を変え、新たな文化を生む。食べ物はそれ自体が一つの情報だ。新しい情報の大量の流入は、確実に社会を変えるのである。16世紀の後半から19世紀の始まりにかけての二百数十年が、人類が現在のライフスタイルを徐々に形成していく、大きな転換期であったことは間違いない。日本料理も、懐石料理、割烹料理といった形が固まってくるのは室町から江戸初期にかけての頃であるし、インドに辛いカレーができて朝鮮半島にキムチが生まれたのもこの頃だ。トマトやジャガイモやトウモロコシが新大陸から旧世界へ伝わり、現在の西洋料理の基本的なレパートリーが形成されていくのも、フォークやナイフが食器として使われだしたのもこの時代だ。そして、私たちは新たな食品と出会ったのである。

 

◆世界商品

 それは「砂糖」だ。その甘さは人々を虜にした。世界中どこでも好まれ売れる商品を「世界商品」というが、16世紀後半から19世紀初頭まで、砂糖は「世界商品」だった。世界商品を独り占めにできれば巨大な利益を得られる。そのときどきの世界商品をどこの国が握るか、という競争が、近代の歴史のテーマであった。
 砂糖の甘さは人々を熱狂させ、需要が高まった。砂糖きびの栽培に適したアフリカ・大西洋の島は植民地化される。川北稔は『砂糖の世界史』の中で、この変化は、戦争を引き起こし、本格的な奴隷制度を生み出し、植民地となった国の文化を大きく変えてしまった、と断言する。国全体をプランテーション化してしまったために、これらの地域は砂糖きびしか作れない「モノカルチャー」となった。奴隷制度が廃止されても、その地域には奴隷であった黒人が大勢残り、砂糖きび以外に経済の活路を見いだせずにいる。現代でもこの地域が発展途上国であるのはそれが原因だ。

 

◆果てしなき欲望 
 「食べたい」という欲望を「儲けたい」にすり替えて、現代社会はさらに突き進む。「欲」は文明や文化を発展もさせるが、ある民族や文化を滅亡させることもある。「欲望」という名の電車の終着駅はまだ見えてこない。ここで停まれ、私は降りたい!

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕
∈『食の地平線』玉村豊男/文春文庫
∈『欲望の植物誌』マイケル・ポーラン/八坂書房
∈『砂糖の世界史』川北稔/岩波ジュニア新書
 
 
⊕多読ジム Season13・冬⊕

∈選本テーマ:食べる3冊

∈スタジオみみっく(畑本ヒロノブ冊師)

∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結

 『欲望の植物誌』→『砂糖の世界史』→『食の地平線』


  • 中原洋子

    編集的先達:ルイ・アームストロング。リアルでの編集ワークショップや企業研修もその美声で軽やかにこなす軽井沢在住のジャズシンガー。渋谷のビストロで週一で占星術師をやっていたという経歴をもつ。次なる野望は『声に出して歌いたい日本文学』のジャズ歌い。