【師範鼎談・前編】の続きです。退院した師範たちは、なぜ文章が書けないと嘆くのでしょうか。そして、なぜ、それでも書きたいと願うのでしょうか。
【師範鼎談・前編】世界はそういうふうに出来ている――[離]を終えて手にした世界観とは からお読みください。
師範だって
迷いながら稽古する
――[離]では猛烈に回答を書かされるわけですが、どうしてそれで書けなくなるんでしょう。
得原:
書いた文章を自分で読み返したときに、つまらないと感じることが増えました。[離]を終えて「世界は未知のものであふれているのだから、自分がこれっぽっち調べただけじゃ書けない」って思うようになってしまったんですよね。
一倉:
めっちゃわかります。これだけしか調べてないのに書いちゃいけないって思っちゃいますよね……。連想力の翼はどこへ。
得原:
こんな状態のまま、[破]のAT賞の講評を書いていいのか、という葛藤もあるのですけど、そこは精一杯書けない自分と向き合いつつ。。
――講評とかって、師範も迷いながら書くんですよね。しかし、折れた翼は、また生えてくるんでしょうか。
一倉:
まだ生えてこないんですけど、でも、その状態のまま[守]の番ボー講評を書いていて。学衆さんの回答についても、時間をかけて調べていくと、少しずつ飛んでいた感覚を思い出せる気はします。でも、じつは、もとの翼を取り戻したいとは思っていないんですよね。
[離]の前は、自分のために自分が好きなように書いていたのだと思います。でも、それでは伝わらない。他の人に伝える文章を書くためには、論理で補強する必要もあるし、モードで飾る必要もある。エディストなどの場を借りながらリハビリをして、少しずつ納得いく文章を書けるようになりたいなと
みんな師範になればいい!
深夜にラブレターを書くように
――ここまで[離]を経ての変化をお聞きしてきましたが、師範活動の変化はありましたか?
得原:
[破]の4つの編集術である文体、クロニクル、物語、プランニング、全部[離]で学ぶ編集的世界観と密接に関わっていることがよくわかりました。そのつながりを学衆さんに伝えたくて仕方がないのだけど、そのまま伝えようとすると重い文章になってしまうなあ、と感じています。。
でも、そこはある程度開き直っていて。[離]の前に師範したときは、読みやすい短文で書いていましたが、いまは意識して離で触れてきた編集的世界観を伝えたい、という気持ちをそのまま書いていますね。
――[離]を終えた師範の言葉って、違いますよね。
得原:
退院したあとはずっと、夜中に手紙を書いてるような感じで文章に熱がこもっていますね。暑苦しいかもしれないと思いながら、それでも書いちゃう。
――どうしても書けない文章があるいっぽうで、書かずにはいられない文章もあるのが面白いですねえ。
大濱:
私も「機を見て自分の問いを投げ込む」ということはできるようになりましたね。いまは「これだ!」と思ったときに、書けるようになったと思います。前は、じっくり考えているあいだに旬が過ぎちゃうこともあったんですが、いまはスピードに慣れたせいでしょうか。
――花伝所は、入伝生がつかう「花伝式目」もリニューアルしましたよね。
大濱:
そうですね、式目って前季41[花]から更新されたのですが、シン式目を読んだとき「[離]の文巻みたいだな」って思ったんです。花伝所って、ふつう一回通過したら、ほとんどの人は二度と受けない講座じゃないですか。でも、私は錬成師範として戻って、式目を何度も読み返していくうちに、ここに埋め込まれた問いが幾重にもあることがわかって、もっともっと学びたいなと思いました。やっぱり、この世界には師範代という方法が必要で、「花伝式目」を身体に通したら師範代になって欲しいです。
――一倉師範は初めての師範ロール。いかがですか。
一倉:
師範代をやったときは、私「入門したら、みんな師範代になればいいのに」って思ったんです。いま師範をやっていると「師範代もいいけど、師範もこんなに面白いのか」って思ってます(笑)
――師範代との違いはどこに?
一倉:
師範代のときは、きっちりやらなきゃって思っていたんです。「指南は何日以内に返す」とか「発言は全部拾ってていねいに返す」とか。かくあるべしというルールを自分に課したので、楽しいけど大変だった。
でも、いま師範として2教室を見ていると、教室模様がぜんぜん違う。ぜんぜん違うし、かくあるべしという規範からは外れていても、イキイキしている教室を目の当たりにするんです。そうすると、自分に課したルールは何の意味があったんだろうって考えたり。
コップのお題はなぜ「コップ」?
お題の意味を深堀りしてみる
一倉:
師範代も師範も、イシスの人はみんなやったらいいのにって思いますし、[離]もみんなやったほうがいいと思うんです。
――翼をもがれたのに!?(笑)
一倉:
はい(笑)。[離]の学びって、何かを体験したら「それってどうなっていたっけ」とプロセスをリバースエンジニアしていきますよね。それで気づいたんですが、イシス編集学校に入って最初のお題って「コップは何に使える?」ですよね。
コップのお題って、よく考えれば、なんの稽古もしないで回答するお題ですよね。日常生活の経験があれば、誰でも答えられる。それって、すごいことだなと思って。もともと「編集」ってそうじゃないですか。意識しなくても誰もが「編集」をしていて、それをリバースエンジニアリングするから「編集工学」になる。
イシス編集学校に入って最初のお題が、どうして「コップは何に使える?」になったんだろうか、とか、いまはそんなことも考えてます。
得原:
誰もが触ったことがあるようなものならお皿でもフォークでも箸でも良さそうなのに、なんでコップなのか、ということですね。
一倉:
香保総匠に教えていただいた『よくわかるメタファー』(瀬戸賢一著、ちくま学芸文庫)のなかに、コップの話が出てくるんですよね。細くて長くて、中になにか入れられるという形態が、言語を話しはじめるうえで必要だった、とか。
――「中身がない」っていうのが重要なのかもしれませんね。たしかに白川静が発見した「サイ」も、神の言葉を入れるうつわですよね。
大濱:
コップには中身を自由に入れられるし、入れた中身を自分の身体に入れることができるっていうのがありますよね。中身の出し入れができる……。
――以前、冨澤学匠がおっしゃっていたのは「コップはどこにでも置ける」ということでした。たとえば、靴下なら台所に置きたくないとか、モノによっては場所の制限があるんですよね。
得原:
コップだと「地を変える」ということが実感しやすいんでしょうかね。なぜ、コップじゃないとダメなのか、みなさんの見方を聞いてみたいですね。
師範は自分でお題をつくり
――あらためて、師範ロールの面白さをうかがってもいいでしょうか。
大濱:……師範って、わかりにくいじゃないですか。
一倉:わかる(笑)。
大濱:
でも、師範っておもしろいですよね。師範代は、もちろん場や世界をイキイキさせることができるけれど、師範はもっとできる。滞っているところを活性化させるために。
――師範代は一つひとつのお題があるからリニアな取り組みになるけれど、師範はお題の制限がないぶん、もっと自由に飛び込めるのかもしれませんね。
大濱:
そうそう。それに、自分でお題をつくっていけるのが師範です。編集学校のなかのお題だけじゃなくて、社会のお題もつくっていける。そう思うと、実世界と接続させやすいですし。
一倉:
師範って、ほんとに何するかわからないですよね。誰に尋ねてもわからない(笑)。ならば、自分でやりながら答えを出すしかないなと思って始めました。
それでわかったのは、やっぱり師範って、自分でメイキングしていくロールなんだな、と。師範代がいて、学衆さんがいて、その動きに突き動かされる。
――師範って、自分では選べないロールですよね。師範代なら、花伝所を出て手を上げたらなれるけれど、師範は「やってください」と依頼されないとできない。はじまりからして、自分の意思ではないところにあるのも面白いですね。
得原:
師範代は「教室」という世界をつくるわけですが、それは膜のなかの出来事。自分が師範代のときは、その膜のなかの生態系さえ保たれていればいいと考えて、あまり他の教室の様子も見ませんでした。
でも、師範になったら、自分が世界だと思っていた教室はひとつの細胞だったと気づいたんです。となりには別の細胞がいて、ほかにもたくさんの細胞がいて、半年前には別の細胞がいて……。
師範になってはじめて、自分自身を53[破]という生き物のなかのひとつとして見ることができるようになりました。学匠・番匠・評匠という骨格があるとすると、師範もまた臓器のひとつで。イシス編集学校って、校長がつくった生き物なんだろうなって気がします。
師範鼎談
3師範のプロフィール
一倉広美
48[守] キャンピング・サティ教室(高津法子師範代・梅澤由光師範)入門。48[破]突破、38[花]放伝。51[守]五七五クノー教室師範代。51[破]マラルメ五七五教室師範代として登板。16[離]言命院退院ののち、現在54[守]師範として初登板。一般企業の広報として働く俳人。多読アレゴリアTVにも出演中。https://edist.ne.jp/just/allegoria_tv/
得原藍
39[守]本読ブランコ教室(増本志帆師範代・廣瀬良二師範)入門。39[破]突破。29[花]に進むも途中リタイヤ。36[花]で放伝を果たし、49[守]でふたたび学衆に戻った後、50[守]柑橘カイヨワ教室師範代・50[破]柑橘パイディア教室師範代として登板。51[破]師範を経験し、16[離]言命院を退院。現在53[破]師範。理学療法士。イシスの推しメンにも登場。https://edist.isis.ne.jp/cast/oshimen18_eharaai/
大濱朋子
45[守]ストールたくさん教室(若林牧子師範代 森由佳師範)入門。45[破]突破、35[花]放伝。48[守]点閃クレー教室師範代、48[破]点閃クォート教室師範代として登板。15[綴]叢衆を経て、39[花]にて初めて錬成師範に。その後、52[守]白墨ZPD教室で2度目の師範代登板。16[離]兆励院を退院のち、現在42[花]錬成師範に。石垣島の中学校教員。遊刊エディストでは「石垣の隙間から」を連載中。https://edist.ne.jp/cast/ishigaki_essay09/
アイキャッチ画像:大濱朋子
梅澤奈央
編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
イシス編集学校メルマガ「編集ウメ子」配信中。
【師範鼎談・前編】世界はそういうふうに出来ている――[離]を終えて手にした世界観とは
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イシス編集学校という母体から生まれたプロジェクトは無数にあります。たとえば、九天玄氣組や曼名伽組、未知奥連、奇内花伝組などの地方支所。たとえば、林頭&方源によるpodcast番組「おっかけ千夜千冊ファンクラブ」に、[離] […]
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