先日、夕飯を食べる準備をしている時に、長男が透明のガラスコップと赤い琉球グラスを見せ私に言った。
「ねぇお母さん、前まではこっちのコップだったけど、今はこのコップ」
一瞬、意図が分からずフリーズする私。
「? …好みが変わったってこと?」
冷蔵庫からお茶を取りながら長男は答えた。
「違う違う。こっちじゃ物足りなくなったってこと」
「ふうーん、あんたもそんなことが分かるようになったんだね」
「何言ってんの?」
「えっ?」
食い違う親子の会話。想定する【地】が違うから、思い浮かべる【図】が違うことにしばらく気づかない母(師範代)。
そういえば…、アタマの中の記憶を探る。以前は好んで使っていた小ぶりの透明ガラスコップだったが、最近は流しでも洗い物として見かけなくなっていた。
中学1年生になった長男は、見る度に身長が伸び、ご飯を食べる量も増えている。運動部に入っているので、いくら食べても太らない(羨ましい)。コロンとした赤い琉球グラスを右手で持ち、重さを確認しているかのように手首から揺らす仕草が思い出される。記憶の中では、多分お茶だろうが、何が入っているのかまでは分からない。
透明のガラスコップは、何を受け入れるかで見た目を劇的に変える。牛乳が注がれれば清楚な乳白色に、麦茶だと快活な琥珀色に、お〜いお茶なら緩和な枯草色に、我が家ではジュースが注がれることは滅多にないが、特別な日の葡萄色はパチパチと喜びが弾け上機嫌に見えた。
コップといえば、ISIS編集学校では再生の女神イシスと並ぶシンボルといっても過言ではない。
10月30日に開講された52[守]の最初のお題は、「001番:コップは何に使える?」である。松岡校長の著書『知の編集術』(講談社現代新書)134ページにも紹介され、編集稽古001番にしてモーラ的なお題だ。白墨ZPD教室では、回答締切日の11月1日には教室の9名全ての学衆さんからの回答が届き、その多様さに筆者の頬は緩み、目は大きく見開いた。その一部を紹介しよう。
蟻を入れて育てた学衆(A・S)もいれば、スタッキングやロケット作りをして大いに遊んだ学衆(H・K)、そのままの姿を眺めていたかと思いきや一部を割ったり溶かしてオブジェにした学衆(F・M)もいる。「取り扱い注意の武器」(K・T)や 「コーヒーと共に癒しアイテムに」(K・Y)なんていう回答も飛び出した。私の教室は「音を鳴らす」学衆も多く、どんぐりを入れて、2つのコップを真ん中でくっつけたり(T・R)、棒で叩いてチーンという音を出したり(I・R)、ふちをなでてシンギングボウル(I・A)のようにして教室内に多彩な音色を鳴り響かせてくれた。
入れる物やコップそのものの素材、動詞を動かせば、コップはコップではなく違う名前へと姿を変えるから不思議だ。
コップはさらに姿を変える。中でも筆者を唸らせた回答がコチラ。
○逆さにすると、周りのものより浮力があるものの保持(学衆O・T)
うーん…。うーん。 ? である…。
花伝所で手にした式目をフル回転し、全力でリバース・エンジニアリングする。
……。
こんな時は自分に固執してはいけない、情報のレパートリーは自分の中だけにあるわけではないのだ。意識を自分の外側に投企した時、ある会話が降りてきた。
「この前は気体を捕まえる実験をしたよ。上方置換法!」
中学に入り徐々に勉強が難しくなってきたという長男だが、理科だけはわかると自慢していた時の会話だ。
そうか、気体を集めようとしているのだな。
美術教師をしている私は、毎時間、美術室に生徒を迎え入れる。あるとき、理科の授業を終えた生徒たちが美術室に入ってくるなり、「まだ鼻が変な感じがする」とアンモニアの話をしていたことを思い出す。上方置換法は、今の子供達にとってはアンモニア臭で繋ぎ止められているのかもしれない。しかし、中学時代にこの実験をやったことのない私は、気体の捕集に仄かなトキメキを感じていた。そのトキメキを学衆のOさんは、指南を読んでのメモとしてこんな風に返してくれた。
「気体の捕集法」。この単語を見たときに、文学的な表現なら、コップ(瓶)って空間を切り取って保管できる形をしているんだなぁと思いました。思い出の土地の雰囲気を瓶に詰める。といったものも誰かがやってそうではありますね。これも思い出のために使っているのでしょう。
そうだ! 久しぶりに帰省し空港に降りた瞬間に感じるあの匂い。冷えた土の空気が鼻腔を駆け抜ければ、あの頃が鮮明に蘇るように、心と体を切り離さないように、私たちは思い出の土地を心のコップにそっと保持しているのだろう。
あらためて、コップの懐の深さに感嘆する。コップは私たちにアフォーダンスされるのを待っているのだ。
大濱朋子
編集的先達:パウル・クレー。ゴッホに憧れ南の沖縄へ。特別支援学校、工業高校、小中併置校など5つの異校種を渡り歩いた石垣島の美術教師。ZOOMでは、いつも車の中か黒板の前で現れる。離島の風が似合う白墨&鉛筆アーティスト。
52[守]師範代として、師範代登板記『石垣の狭間から』を連載していた大濱朋子。今夏16[離]を終え、あらためて石垣島というトポスが抱える歴史や風土、住まいや生活、祭祀や芸能、日常や社会の出来事を、編集的視点で、“石垣の隙 […]
虹だ。よく見ると二重の虹だった。見ようと思えば、虹は何重にもなっているのかもしれない。そんなことを思っていると、ふいに虹の袂へ行きたくなった。そこで開かれる市庭が見たい。 そこでは、“編集の贈り物”が交わされていると […]
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公立中学校に勤める私は、人の子供の教育ばかりで、自分の子供は寝顔しか見ていない毎日に、嫌気がさしていた。ただ、ただ、消費されるだけの自分の命を俯瞰しながら、いつからこん風になってしまったのだろうと問うていた。そんな折に […]