【イシスの推しメン25人目】楽天副社長から風越学園理事長へ。なぜ本城慎之介はイシス編集学校に驚いたのか

2024/03/20(水)09:39
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イシス編集学校には、この社会自体を編集していこうとする者が多く集う。軽井沢風越学園(以下、風越学園)の理事長を務める本城慎之介さんもそのひとりだ。

2020年4月に、幼稚園・小学校・中学校の混在校として設立された風越学園。本城さんはもともと楽天の共同創業者であり、副社長でもあった。その彼がなぜ、30歳で楽天を辞め、教育分野で挑戦を始めたのか。なぜ、楽天を退任後と風越学園設立後に、イシス編集学校で学んだのか。イシスの推しメン25人目は、ビジネス界からも教育界からも注目を集める本城慎之介さんに話を聞いた。

聞き手:吉村堅樹・八田英子

イシスの推しメン プロフィール
本城慎之介

 

軽井沢風越学園理事長。慶應義塾大学大学院在学中の1997年に三木谷浩史さんとともに楽天を創業。取締役副社長を務める。2002年、自分との約束として30歳で退任。イシス編集学校には2006年15[守]入門。15[破]へ進む。その後、風越学園の設立に奔走し、設立から2年後の2022年に再受講。49[守]きざし旬然教室卒門、49[破]ヤマネコでいく教室突破。翌2023年39[守]花伝所放伝[AIDA]season4受講。5児の父。

イシス編集学校による風越学園への出張ワークショップのようすはこちらから

 

楽天の共同創業者は、なぜ
「学校をつくる」と宣言して会社を去ったのか


――本城さんは、楽天の共同創業者ですよね。どんな経緯で楽天を立ち上げることになったのか、まずお聞きしてもいいでしょうか。

 

インターネットの可能性を確信していたんです。大学生のころ、金子郁容さんが阪神淡路大震災の被災者支援をきっかけにスタートしたVCOMというプロジェクトに参加していました。インターネットを活用すれば、弱い人同士もつながりあえて、相互扶助の福祉が生まれてくる。それぞれの生活よりよくしていける、と思ったんです。

 

――1995年頃というインターネット黎明期に、ネットの可能性を感じておられたとは。

 

大学院に進むと、就職活動のブログを書き始めたんです。書いていると、読者から質問が届くんですね。「スーツは三つボタンじゃなくて二つボタンがいいですか」とか(笑)。その質問、一つひとつにお返事するのが大変になってきて、質問をくれた人を勝手に登録したメーリングリストを作ったんです。そうすると「A社の面接は2対1だった」とかそこで情報交換が始まって、そのメーリングリストがメディアにも取り上げられたり。

 

――ブログからメーリングリストへ。ネットの強みである双方向性を早い時期から試しておられるのも、なんだかイシス編集学校に似ているなと思いました。

 

そうかもしれませんね。大学院を卒業したあと、もともとは日本興業銀行に就職したいと思っていたんです。高杉良さんの『小説 日本興業銀行』を読んだのがきっかけで。それでOB訪問していたら、こんなによい会社なのに辞めた人がいることを知ったんです。

 

――その方ってもしかして……

 

そう、三木谷浩史さんですね。そんな人がいるのか、と思って話を聞きにいったら、三木谷さんが面白いことを言うんです。「大きな企業が社会をつくる時代は終わった。小さい会社個人が、既成事実をつくって世の中を変えつつある時代なのだ」と。この言葉が響きました。
自分が運営していたメーリングリストが世の中をすこしずつ変えている実感もあったし、この人の言っていることは信じられると思いましたね。そこから、楽天の前身となった会社の創業から参画した、という流れです。

 

――そして、そのあと1997年に楽天ができるんですね。

 

はい。私は、システム開発を担当していました。もともとは知り合いにプログラミングと頼んだのですが期日までにはできあがらず。結局は、自分で勉強して楽天システムを自作していきました。

 

――システムから手作りだったとは。楽天が誕生してからは、あれよあれよという間に大きくなっていったのでは。

 

当時は、会社の成長が自分の成長を上回る感じでしたね。すごく焦ったのを覚えています。


――楽天の副社長として会社の急成長を牽引するも、2002年に30歳のときにおやめになるんですね。それはどうしてなんでしょう?

 

これは以前から決めていたことなんです。三木谷さんは、30歳で銀行を辞めていたんです。だから自分もそうしようって。そのことは、

以前から三木谷さんに念押ししていたんです。でも、いざ辞めると伝えたら、三木谷さんに反対されたんです(笑)。「俺が辞めたときはサラリーマンだった。でもおまえは、上場企業の副社長だよ。そんな簡単にはいかないよ」と。

 

私が30歳で辞めることが自分との大事な約束だと食い下がっても、なかなか三木谷さんは納得してくれず。いろいろ考えました。面白くて難しくて長く続けられて、やりがいがあることに挑戦したかった。それは何か。考えていると、「教育」かなと思いあたって。当時はそんなに興味があったわけではないのですが(笑)「学校をつくりたい」って言ったんです。

 

――「学校をつくる」というのは、三木谷さんに納得してもらうための方便として出てきたんですね。教育の経験っておありだったんですか。

 

いや。学校で働いた経験ないし、教員免許ももちろんありません。でも、楽天と同じことはできなくとも、なにか別のことはできるだろうなとは思っていました。当時から自信過剰だったんですよ(笑)。

 

 

焦げた手袋、泣く少年。

それが新しい学校のヒントになった

 

 

――楽天を退任してからは、どんなふうに学校づくりを進めていったんでしょう。

 

公立中学校の校長として現場を経験したり、全寮制の中高一貫校をつくろうといろいろ動いたりしました。どんな学校をつくったらいいんだろうってずっと迷い続けていました。楽天での経験から、リーダーシップを発揮できるこどもたちを育てないといけないんじゃないかという呪縛もあったり。けれど、軽井沢に移住して、自分のこどもを預けるために「森のようちえん ぴっぴ」に見学にいくと衝撃的な体験がありました。

 

――「森のようちえん ぴっぴ」は、園舎をもたない野外保育の幼稚園なんですね。写真を見ると、子どもたちが自然のなかで自由に遊んでいる様子がとても楽しそうです。そこで、どんなことがあったんですか。

 

2009年1月の寒い時期、子どもたちが雪のなかで遊んでいました。昼ごはんの時間になると、みんながたき火のまわりに集まってきました。当時2歳児のヒサくんは、手袋を外して、たき火の周りの石に置いて、焼きおにぎりを食べ始めたんです。これは何か起きるよな、と思って私は見ていました。スタッフも、ちゃんと見てはいましたが、声はかけない。やがて、当然のように手袋が焦げ始めました。ヒサくんはわんわん泣いている。

 

――幼稚園のスタッフは、見ているだけだったんですね。

 

私が「あれじゃあ、手袋は焦げますよね」ってスタッフに話したら、「そうですね」と。「でも、先週はヒサくん、手袋を燃やしちゃったんです」と返答があって。これに衝撃を受けたんです。彼は、「燃やす」と「焦がす」というふたつの失敗ができたんだ。前回、燃やしたからこそ今回は焦がすに留まったんだ、と。たっぷり失敗して、じっくり学んでいる。そう思ったんです。

 

――失敗を見守るというのも胆力がいりますね。子どもを信頼しているのがわかります。

 

ええ。こんな幼稚園にはうちの子どもじゃなくて、僕が通おうと思って(笑)、そこで働き始めました。結局7年、保育者として経験を積みました。

 

――学校をつくる下準備として?

 

いや、学校をつくることを忘れて、ですね(笑)。一生懸命、保育者をしていました。すると、夢のなかに三木谷さんが出てきたんですよ。2015年秋です。夢のなかで「本城、おまえの使命は何なんだ」と怒られまして。それで、学校をつくろうと本腰入れて動き出した感じです。

 

――僕吉村も、夢に松岡さんがよく出てきます。そして怒られます(笑)。

 

お告げってありますよね。たぶん、それを呼んでいるのは自分自身なんですが。

 

――風越学園はどんな計画から始まったんでしょうか。

 

まず、情景を描いたんですよね。設計図とかコンセプトとかメソッドとか理念というよりも、物語を先につくりました。朝はこんな感じで、お弁当の時間はこんな様子かな……と。学校での子どもや大人の情景を思い描くところからです。

 

――それにしても、ECサイト学校とはまったく分野が違いますが、うまく馴染んだんでしょうか。

 

それはよく聞かれましたね。「インターネットをやっていた人が教育に関わると、教育のスピードって遅く感じるでしょ?」って。でも、私はそうは思わなかったです。教育のスピード感って、のようなイメージです。なかにいるとすごく速いのですが、離れてみるとゆっくりに見える。

 

ぜんぜんスタイルが違うので、それがむしろよかったのかもしれません。前に進む場合でも、楽天にいたときは陸上を走るイメージだけど、学校ではプールのなかで平泳ぎするとか犬かきするくらい違います。

 

――楽天創業にしても、森のようちえんで活動し始めたり、風越学園の設立に向けても一気に働くとか、とにかく本城さんってバイタリティにあふれていますね。

 

関係あるのはどうかわかりませんが、小さいころからダイヤブロックで遊ぶのがすごく好きでした。つくったら壊す、壊したらつくるの繰り返し。「つくって飾る」とか「見本どおりつくる」ということには、楽しさを感じなくて。「つくってこわす」を繰り返して、だんだんバージョンアップさせるというやり方を基本にしていたのを思い出しました。

 

 

学校の創設者・理事長だから分かる

イシス編集学校のすごさ

 

 

――本城さんが編集学校に最初に入門されたのは2006年。森のようちえんに出会う前、学校づくりのため、さまざまに模索されていた時期ですね。

 

あのときは「変化したい」と思って、イシス編集学校に入りましたね。以前からイシスのことを知っていて、そのとき「そういえば、あれがあったな」とふと思い出して。

 

――そのあと、2020年に風越学園を立ち上げ、2022年、50歳の節目にイシスを再受講。そのときの感触はいかがでしたか。

 

いくつも驚きがありました。ひとつは、イシス編集学校自体に対してです。まえに受講したときと変わっていないことが多かったこと。最初からデザインされていたんだなと気づいて驚きました。

 

――[守][破]のお題は、少しずつアップデートされているものの、大枠は開校時からそのまま。きっと、学校づくりの大変さをご存知の本城さんだから注目できたポイントですね。

 

もうひとつの驚きは、自分自身の変化です。私自身が、学びに対して貪欲になっていて、場に対する意識が変わっていることに気づきました。再受講してみると、ほかの学衆とも交わしあおうとか、師範代にもっと積極的にはたらきかけようとか思ったんですよね。

 

――期間をあけて再受講すると、自分の変化がわかるんですね。お仕事で編集学校で学んだことは活かされていますか。

 

風越では、イシスで学んだということをオープンにしています。スタッフの中には「編集学校っておもしろそう」と感じて、入門した人もいます。

 

――どんなおもしろさを感じているんでしょう。

 

私自身の変化じゃないでしょうか。編集学校に入ると、自分自身が編集されますよね。だからかなと思います。とくに[花伝所]では、「自分が自分を編集していっているかもしれない」と強く感じました。

 

例えば、使う言葉がすこし変わっていき、動きが変わったのだと思います。例えば、「どこに注目しているの?」ではなく「注意のカーソルはどこにあるの?」と言うようになっています。「注目」は静止したままだけど、「注意のカーソル」は動かしていけますよね。

 

――本城さんご自身が、師範代的なふるまいで、スタッフのみなさんや生徒さんの可能性を広げていそうですね。

 

編集学校で学んだことはどんな現場でも使えると思います。風越学園の採用条件として「イシス編集学校の[破]を突破していること」というのを挙げたいくらいです(笑)。さらに[花伝所]でも学んでいて、受容・評価・問いという師範代の方法を身に着けていたら、もうばっちりなはずですから。

 

――これから風越学園をどのように編集していきたいと考えておられますか。

 

風越学園も4年目になりました。組織を長く続けていくとき、「変えよう」という気持ちが出てくるけれど、「ここは変えない」というところはしっかり守るのが大事だと思っています。イシス編集学校にも変わらないものがあるように、風越学園はなにを変えないのか。風越学園の「型」はどこにあるのか。それを見極めていきたいですね。

 

 

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  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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