LEGEND50 は、実はLEGEND「50」ではなかった!
なぜなら・・・
もともと一人としてカウントしていた藤子不二雄を、私が勝手に分けてしまったから!!(チコちゃん風に)
――というわけで、今度こそホントの最終回です。
手塚治虫で始まった当連載の掉尾を飾るのは梶原一騎です。
戦後のストーリーマンガは、ある意味で手塚/梶原という両極端のあいだのスペクトルとして進行していったとも言えます。その意味で最後を締めるに、ふさわしい人物と考えました。
もう一点は、50人の中で唯一、絵の描けない人物であること、つまり「原作者」という特異なポジションであるにもかかわらず、戦後マンガ史において絶対欠かすことのできない一人として、あえてLEGEND50のリストに加えられていることの意味を考えてみた結果です。
マンガ家というのは、シンガーソングライターに似たところがあって、本来、絵を描く才能と、物語を作る才能は別々のものなのに、この両方を持っていることが求められるのですね。LEGEND50の面々を見ていて、つくづく感心してしまうのは「こんなに凄い絵を描く人が、同時にこんなに面白い話も作れる!」ということです。
当然、この両方を満たしていない人間だって、たくさんいるはずですから、どちらかに特化した職業が現れても不思議ではありません。
ところが、日本のマンガ界では、なぜかこうした分離は、さほど進みませんでした。さいとう・たかをのように自覚的に分業システムを作り上げる人もいましたが、ほとんどの作家は、一人でなんでもこなすオールマイティ性が求められたのです。
そんな中、作画や作劇だけに特化した人たちというのは、ちょっと日陰の存在になりがちです。こうした中、梶原一騎は、初めて職業としての「マンガ原作者」という地位を確立した立役者でした。
■梶原一騎を「模写」?
さて、そんな梶原一騎を模写するわけですが、原作をどう模写すればいいんだ?という話になりますよね。原稿を書き写す?
ところが梶原一騎の原稿ってほとんど残っていないのですね。原作というのは作品の下準備資料のようなものですから、作画家が読んだらそのまま廃棄されてしまう場合が多いようです。
そんな中、奇跡的に原作原稿がほぼ完全な形で残っているものがありました。1973年から76年にかけて「少年マガジン」に連載された、ながやす巧・作画による『愛と誠』です。
ながやす先生が、きちんと原稿を保管してあったのですね。わずかな欠本を除いて、ほぼ完全な形で残っています。
これが1997年に『愛と誠 梶原一騎直筆原稿集』(風塵社)という豪華本にまとめられました。
この本、当時の定価で27,500円という高価なもので、私のような貧乏人には、とても手が出せません。ところが幸いなことに『「梶原一騎」をよむ』(ファラオ企画)という本の中に三ページだけ、ほんの小さな写真の形で掲載されているのですね。
今回これを拡大コピーしてお手本にし、模写(筆写?)を試みてみました。『愛と誠』の終局に近い場面。誠と彼の実母が悲しい対面を果たすシーンです。
梶原一騎『愛と誠』原作原稿・写本
できるだけ元の原稿の筆跡を真似て書いてみました。
マンガ原作の書き方にはいろいろあり、小池一夫や雁屋哲のようにシナリオ形式で書く人もいれば、最近ではネーム形式というのも増えてきたそうです(元マンガ家とか兼業マンガ家に多いようです)そんな中、梶原一騎のように小説形式で書く、という人は少数派のようです。
上の筆写を見てもらえばわかるように、純粋の小説として読むと、さすがに淡々としすぎていますが、ト書きの部分にも独特の修辞が凝らされ、熱がこもっています。
梶原は原稿用紙に4Bの鉛筆を使って書いていました。丸っこい、ぼてっとした文字で、多少の癖があるものの、非常に読みやすいものです。一字一字が丁寧に書かれていて、勢いだけで書いているのではないことがわかりますね。ただ、行間は原稿用紙に従っているものの、縦の文字間隔は、かなりゆったりと自由に使っています。
修正は全くないですね。間違ったらちゃんと消しゴムで消しているのでしょう。他の作家の原稿を見たことがないので、はっきりとしたことは言えませんが、かなりキレイな原稿と言っていいのではないでしょうか。
さて、これだけで終わるのはちょっと申し訳ない。なにしろ最終回ですからね。最後もやっぱり、模写で締めましょう。上の原稿が、果たしてどんな風にマンガとしてアレンジされているか気になりますよね。
次の絵が、ながやす巧による作画の模写です。
梶原一騎・ながやす巧「愛と誠」模写
(出典:梶原一騎・ながやす巧『愛と誠』⑭講談社)
いや、これは大変でした。
ながやす巧といえば、劇画系の作家の中ではトップクラスの実力者で、画業半世紀以上にわたる活動の中、近年ますます絵に磨きがかかっている超絶絵師の一人です。今回模写したのは、ながやす先生がまだ二十代の頃のものですが、すでに相当な完成度ですね。まさに最後を飾るにふさわしい難事業となりました。
今回模写に使用したページは、たまたま背景がほとんどありませんが、他のページはそんなことはなく、わりとびっしりと描き込まれています。これを、ながやす先生は、全くアシスタントを使わず、たった一人で描いていたそうです。
この絵の密度で週刊連載をたった一人でやるなんて狂気の沙汰というほかありません。事実、この当時のながやす先生は、平均睡眠時間二、三時間、食事とトイレ以外はずっと机にしがみつき、布団で寝たことがなかったといいます。足掛け四年にわたる連載が終わる頃には、ガタイの良いながやす先生の体はげっそりやつれ果てていたそうです。
とにかく模写してみてあらためてわかったのですが、【細部】にいたるまで一切の手抜きはなく、筆の走っているところもありません。きっちり厳密に【アタリ】を取っています。【几帳面】なお人柄が忍ばれますね。梶原先生の原稿をきちんと保管していたのもさもありなん。
■手塚と梶原
さて、『愛と誠』は、『あしたのジョー』『巨人の星』と並ぶ梶原一騎の代表作の一つで、彼の全業績の中でも、ある種の集大成のような作品です。
『巨人の星』にはじまる梶原伝説は、この作品によって、ほぼ閉じられたといっていいでしょう。60年代半ばから70年代半ばという、ほぼ十年のあいだに、梶原一騎は、日本マンガ界を、ごっそり塗り替えるような大事業を成し遂げてみせたのです。
このことはどれだけ強調してもしすぎることはありません。
上にも述べたように、戦後の少年マンガは手塚治虫と梶原一騎に代表される二大潮流のバリエーションということができます。
その上であえて言うと、日本のマンガ界で、常に優位を保っていたのは実は梶原一騎型の方だったのです。
「少年ジャンプ」の標語として知られる「友情・努力・勝利」という言葉が象徴的です。これはつまるところ、梶原一騎的なものを純粋培養して抽出したエッセンスと言えます(ただし「勝利」については若干留保が必要です。梶原一騎は、たしかに華々しい勝利も描きましたが、一方で「敗北の美学」にこだわる作家でもありました)。
手塚マンガにも友情や努力などがないわけではないですが、主要な成分ではありません。モダニスト手塚には、梶原一騎的/浪花節的/熱血ド根性お涙頂戴成分は希薄でした。
おまけにスポーツマンガも手塚は描けませんでした。人間の定めたルールの中でガムシャラに頑張る、というノリは手塚には無縁のものだったのです。
連載第二回「手塚治虫②」でも指摘しておいたように、自己も他者も同一平面上に載せた上で、はるかに引いたところから眺める鳥瞰的な視線。これが手塚です。
こうしたクールで理知的な側面は、「熱血少年マンガ」にとっては斥力として働きます。やはり主流とはなりにくいのです。
手塚治虫を<始祖>とする戦後マンガ史観に対しては、様々な疑義が呈されることもありますが、大筋では間違っていないでしょう。手塚治虫こそが、マンガの「方法」を確立した立役者であるという事実は揺るぎません。しかし、その「内容」を子細に検討してみると、実は非手塚的なもの、もっと言えば梶原一騎的なものこそが、戦後マンガの中心的エートスを形成しているとも言えるのです。
今日でも、社会現象的メガヒットを記録するようなキラーコンテンツの多くは「バトルマンガ」です。何らかの価値をめぐる激しい戦いが描かれている。
そしてその中では、汗と涙とド根性の浪花節的世界が今なお息づいています。
「ぜってーゆるせねえ!!」「オレが守ってみせる!!」これです。
まだ怒りに燃える闘志があるなら巨大な敵をうてよ!! うてよ!! 撃ちてし止まん!!の世界です。
そこでは正邪の区別は明確で、ときに主人公に闇の成分が流れ込むことはあるものの、道義的正義は我にあり、というのが基本です。
そして正義を炸裂させるためには当然、敵が必要なのですが、なぜか主人公の前には、許しがたい価値観を有した人物が次から次へと現れ、その上、彼らはなぜか主人公と同じ文法規則に基づいて行動しているので、敵対的ではあれ、対話が可能です。そんな彼らとのあいだに、スポーツやゲームに似た闘技空間が用意され、そこで思う存分、血みどろになるまで戦い合うのです。
そこにはサディズム・マゾヒズム的成分が濃厚に加味され、主人公はズタボロになって、死の淵にまで追い詰められるのですが、ケレン味たっぷりに見得を切る主人公の凄愴美ともいえる様に読者は陶然とさせられるのです。
こういった物語類型は、あきらかに手塚の生み出したものではなく、梶原一騎のものだと言わざるをえないでしょう。
■最初の使徒、福井英一
戦後マンガに新しい文法を導入し、大きな潮流を作り上げた手塚治虫も、その後の道のりは決して平坦なものではありませんでした。
手塚の生きた戦後四十年のマンガ界は、まさに激しい下剋上の世界で、次々と現れる新興勢力が、ドラスティックなイノベーションを起こし、先行世代を一掃してしまうということの繰り返しでした。
そんな一刻の油断もならない世界で常に第一線で活躍し続けた手塚治虫は、まさにバケモノのような人ですが、そんな手塚も何度か決定的な危機に遭遇しています。
手塚が、その後何度も味わうことになる脅威の、最初の一撃となったのが、1950年代の福井英一の登場でした。
福井は戦後の少年マンガ界に彗星のように現れ、それまで手塚の独占していた王者の地位をあっという間に追い落とし、押しも押されもせぬ人気作家になってしまいます。
彼が開拓したのは、スポーツマンガ(『イガグリくん』)や剣豪マンガ(『赤胴鈴之助』)の領域でしたが、モダニスト手塚にはない泥臭い作風は当時の少年たちに爆発的に受け入れられたのです。
このときの手塚の福井に対する嫉妬はそうとう激しいものだったらしく、いろいろなエピソードが語られています。手塚は自作の『漫画教室』の中で、福井の描いたマンガのコマ割りを「悪い例」として掲載し、それを見て激怒した福井にねじ込まれて謝罪する、などという事件もありました。
結局、福井は過労がたたって5年に満たない作家活動のうちに夭折してしまうのですが、「その訃報を聞いたとき、正直ホッとした」と、後に手塚は告白しています。
もしもこの福井が、もう少し長命を保っていたら、日本マンガ史にどのような足跡を残したのだろうと思うと想像がふくらみます。
福井の代表作とも言うべき『イガグリくん』では、ライバルや悪役との息詰まる死闘や、原爆投げ、巴投げなど必殺技の応酬、戦いを通した友情などが描かれ、のちの少年マンガのスタンダードを形作ったといえます。
そもそも戦後、手塚マンガが人気の面で、圧倒的に他を引き離していたかは疑問があります。
「人間にはインテリと大衆の二種類がある」と言った呉智英氏は「同じく子どもにも、インテリ少年と大衆少年がある」とも言っていました。
昭和20~30年代当時、手塚を熱烈に支持していたのはインテリ少年であって、多数派である大衆少年たちは、福井英一系統の剣豪マンガやスポーツマンガを愛好していたのです。
のちに社会的発信力を持つようになった文化人(=元インテリ少年)たちの回想によって、当時の子どもたちは皆、手塚マンガを夢中になって読んでいたと思いがちですが、そんなことはなく、大部分の子どもたちは、実はもっと泥臭いものを好んでいたのでした。
その実力において他の作家陣をトラック何周分も引き離していた手塚治虫は、人気においては必ずしもトップという訳ではなかったのです。そのことは手塚自身が一番よく承知していることでした。
そしてそれが誰の眼にも顕著な事実として白日の下にさらけ出されることになったのが、昭和40年代に入ってから起こる、劇画勢力の中央進出、とりわけ「少年マガジン」を中心とした新しいタイプの少年マンガの出現でした。
そしてその中心人物となった者こそが梶原一騎です。
おそらく手塚の全生涯において最大級の脅威を与えた人物であり、その作家生命が絶たれかねないほどに彼を追い込んだ人物こそが梶原一騎だったのです。
(梶原一騎②につづく。)
◆◇◆ながやす巧のhoriスコア◆◇◆
【細部】70hori
背景のカケアミなども非常に繊細で丁寧です(再現出来てません)。
【アタリ】62hori
輪郭も安定していますね。おばちゃんのボテッとした体形もみごと。
【几帳面】65hori
筆圧のしっかりした、きれいに閉じた線で、これは描くのに時間がかかりそうです。
アイキャッチ画像:梶原一騎・川崎のぼる『巨人の星』①サンケイ出版
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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