イシスなオリンピックは「あと」が勝負 知祭り・番ボー・AT賞【47[守] 46[破]】

2021/07/13(火)17:44
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世界中で祭りへの槍玉ばかりがあがるこの夏、イシスは松岡正剛を「知祭り」にあげている。編集学校の有志が奔走し、全国50近い書店で千夜千冊エディションフェアが開催中だ。7月9日付けセイゴオほんほんによれば、「実売も土用のうなぎのぼり」。日本全土が知まみれだ。

 

編集学校に目を転じれば、7月11日が祝祭の日だった。47[守]は番ボー、46[破]はAT賞。ともに当期2回目にして、最後の講座横断型フェスティバルが幕を閉じた。

 

守学衆たちは「今は大谷・昔はイチロー」と新旧の野球ヒーローを見比べ、「光琳の雷・応挙の幽霊」と夏の自然現象に対角線を引いてみせた。「ミメロギア」なる松岡考案のエディトリアルゲームに興じる番選ボードレールでは、今期は144人が6つのお題にエントリーした。

 

映画から物語をつむぎだす[破]アリスとテレス賞にも、突風が吹いた。師範代たちによる馬車馬のごとき導きと土壇場の卓袱台返しは、師範 福田容子が「鬼神のよう」と讃えた。それに呼応する学衆も執筆に没頭。あたりめ乱射教室学衆Fは、3000字の字数制限にも関わらず「5万字書いてしまいました」。記録的な稽古模様だった。エントリー率は76%、51名が英雄を生み出した。

 

集められた作品は、12日早朝、律師 八田英子が集約。総文字数16万字超、A4用紙200枚を超える長大なファイルが選評委員に送付された。学匠 原田淳子は、1作品ずつ綴じるよう「ホチキスの儀」を委員に申し渡す。選評会議は今週末18日に開催される。

 

イシスはあとの祭りこそ全力だ。番ボーもAT賞もエントリーされた作品は、それぞれ同朋衆や選評委員など目利きの師範陣が筆をふるって講評を贈る。誰かの紡いだ言葉は、べつの誰かがしかと受け取り、熨斗をつけて送り返す。これがイシスの礼節。夏はまだ始まったばかりだ。

  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
    イシス編集学校メルマガ「編集ウメ子」配信中。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。