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【多読アレゴリア:身体多面体茶論】奥深い声の世界、茶人は赤ちゃんに還る
- 2025/06/21(土)19:00
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身体多面体茶論は、様々な切り口で身体実験を繰り返す集団だ。己の身体に新たな可能性を拓き、その限界を超えていく。
3月の夜は、妖しく美味しい日暮里のレストランでベリーダンスに挑戦。身体がイメージをマネージできず、悔しさに唇を噛む茶人の姿は今も瞼の裏に焼きつく。
遊びに一途、笑顔で泣くのが粋な茶人のスタイルだ。
4月は「身体はメディアである」をテーマに掲げ、ボイストレーニングを体験した。
事前お題の「身体を楽器化するとは?」の問いには、「身体を振動させることが肝要」、「声帯をコントロールする」といった機能に迫った回答のほか、「自分がオーケストラの楽器なら?」という典型を探すアプローチも。早々に横道にそれ、日本の音曲を語り倒すH姿師の熱い回答は、古典芸能好きにはたまらなかった。
それでは、声の世界に挑んだ茶人の姿をお伝えしよう。
その夜は道に迷い、ようやく細い道を探りあて、いささか遅れてクラブの秘密基地に辿り着く。講師のM先生は、ボイトレっぽさの演出のためにキーボードを持参。なんともお茶目な人である。柔らかな物腰の中に、プロの厳しさが垣間見え、講義が始まると茶人の背中は自然と伸びた。

(身体知としてのボイストレーニング講義)
■音痴とは何ぞや?
M先生が驚きの一言を放つ。「どんなに歌がうまくても、この訓練をしていない人は全員音痴です」
茶人の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。歌う前には、聞くというプロセスが必要だ。はじめに頭の中に音を鳴らし、認知した音を声にする。
しかし多くの人は、認知の歪みに気づがず、音を正しく聞き取れていないのだ。プロもイヤートレーニングとボイストレーニングを続け、音の認知と発声のコントロールを日々修練している。皆が音痴から出発することに勇気をもらい、茶人は一人づつ歌声を披露した。

(アカペラで歌うことで何かがふっきれる)
■小さな赤ちゃんの大きな泣き声
か、かたい(汗)人前で、しかもアカペラで歌うことに躊躇する気持ちもあったろう。表情から緊張が伝わってくる。「赤ちゃんの泣き声って結構大きいですよね」
M先生の一言に、茶人は強ばった表情を崩し、再び頭上にクエスチョンマークを浮かべる。言われてみれば、あんな小さな身体でどうしてあんな声がでるのか。「それは身体が柔らかくて深い呼吸ができているからです」人は楽器として誕生するのだ。
しかし成長に伴い、身体はいつの間にか鳴らなくなっていた。リラックスして、息を吐く。腹式呼吸を意識し、最後まで息を吐ききるのは結構しんどい。「身体は自分のもの。他人の楽器をかわりに演奏してあげることはできません」M先生の最初の言葉が頭を巡る。声を取り戻すことは自分にしかできない。
■声になる前の音
息から音に、音から声に、声を出すプロセスを一つ一つ体感する。
(1)ふうっと吐く
なるべく早く、ふうっと肺の中の空気を最後まで吐き出す
(2)息を吸う
吸うときに空気が軟口蓋に当たると乾いてむせるので、舌に当てて温め湿らせる
(3)声になる前の音、ハミング
軽く唇を合わせたまま、舌を上の歯の裏につけ、喉の奥に空間をつくる。
声は減衰楽器なので自然に音がすぼんでいく。音が落ちないように意識すること。
(4)音を声にする
喉の奥の空間を保ったまま口を開き、「あ」の音を出す。
身体を通る空気の流れ、舌の奥の位置、ハミングのときの身体の振動、息が声に変わった瞬間。それぞれのステップを意識して、自分の身体を注意深く観察する。新しい声を手に入れるために。
ピアノの音に続き、ハミングが声に変わり部屋に響く。何度もくり返すうち、身体もほぐれ、声の響きは豊になり、「身体が鳴る」感覚に少しだけ触れる。スピーカーとマイクの構造が同じように、楽器化した身体は鳴ると同時に声を聞く。
世の中の壁がますます堅固になる現在、身体の楽器化という方法は別様の可能性を予感させる。茶人が見せた明るい表情は、そのことを物語る。
美しいハイトーンの「ふるさと」、情感籠もった「津軽海峡冬景色」、ヒゲを生やした尾崎豊、春風に運ばれ、新しい声は夜の東京に溶けた。

(だんだん笑顔になっていく茶人)
マクルーハンの「メディアがメッセージ」の言葉に倣えば、身体そのものがメッセージ。
編集を終えようとしている世界に、今日も茶人の体当たりの音が響く。
文:身体多面体茶論 茶人
アイキャッチ画像:身体多面体茶論×山内貴暉
【多読アレゴリア:身体多面体茶論】
地に足つけてスッピンでいこう!(イベントレポート編)
其儘身体尽し
身体多面体茶論④:「身体」を読む(資本主義身体編)
身体多面体茶論③:「身体」を読む(美食身体編)
身体多面体茶論②:「身体」を読む(進化身体編)
身体多面体茶論①:「身体」を斬る(導入編)