《豪徳寺》でうずうず散歩◎ISISトポスめぐり#02

2024/09/03(火)08:12
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何かが渦巻く場所を求めて、チーム渦の面々がウズウズとあちこちを歩き周りレポートする紀行エッセイ「うずうず散歩」。第2回目は、イシス編集学校のお膝元、古刹・豪徳寺の過去と今を旅します。

(今回の書き手:角山祥道/エディスト・チーム渦)

 

■■招き猫伝説の残る古刹

 

 コロナ自粛も遠い昔、「豪徳寺の本楼で集まろう」を合言葉にリアル汁講が復活したのはここ最近のことだと思いながらの小田急線の中で「はて豪徳寺とはなんぞや」とはたと考え込んだ。ならば足を運ぶしかないと向かったのはすべてが蜃気楼のごとき暑い夏の盛りのことで、53[守]の本楼汁講の開始前の時間を利用して豪徳寺駅から歩いて向かって見たのだけれど、ひとりひたすらひたむきに住宅街を進む十数分は汗だくになるのに十分すぎた。

↑「碧雲関」の扁額が掛かる山門。「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味するらしい

↑山門から境内をのぞむ


 予備知識もなく山門の前に仁王立ちしてみれば、想像以上にでかい、広い。観光客とおぼしき参拝者の半数は異国からの来訪者で、こんな場所にもインバウンドの波が押し寄せているのかと驚きつつも、お参りもそこそこに真っ先に向かったのは仏殿の西、「招福猫児」を祀る招福殿であった。「招福猫児」と書いて「まねきねこ」と読む。

↑いざ招福殿へ。門前の招福猫児が中へと招く

 

 豪徳寺のあたりはかつてあの吉良氏の居城たる世田谷城があった場所で、あの吉良氏はのちに浅野内匠頭に斬り付けられたあの吉良上野介に繋がるのだがこれは余談。吉良氏がこの地に建てた小さな寺はやがて貧しくなり数人の僧と一匹の白猫がいるばかり。和尚は自分の食事を削って猫に与え可愛いがり、可愛いがりつつ猫に何度も言い聞かせる。
「汝我が愛育の恩を知らば何か果報を招来せよ」
 猫を愛でるは当然のこと、果報をねだるなど僧にあるまじきとも思うがこれが寺に伝わる伝説なのだから仕方ない。


 ある夏の日の昼下がりというからちょうど私が訪れた時分か。門のあたりが騒がしいので何事かと和尚が出てみれば、鷹狩りの帰りの武士が五、六騎。門の前を通り過ぎる刹那、門前にうずくまっていた猫がひょいと手を挙げて招いたのだという。訝しがる武士にそれならばと寺に招く和尚。するとはかったような突然の雷雨。これぞ因果応報、霊験・仏恩・猫の恩。喜んだ武将の正体こそ大坂城攻めの功労者にて幕閣の元老・井伊直孝。この縁で寺は井伊家の菩提所となり大改築・大増築、やがて猫塚がまつられ招き猫を描いたお札が出され猫の置物が作られそして今に至る。


 「世界大百科事典」は招き猫の由来として豪徳寺の故事を載せ、「日本大百科全書」は浅草・今戸焼を嚆矢とする。ようは江戸の頃いつの間にやら招き猫が縁起物となり、豪徳寺をその伝説のひとつに数える。

↑江戸の地誌『江戸名所図会』に描かれた豪徳寺(国立国会図書館デジタルコレクション)

 

 翻ってイシス編集学校の本拠・編集工学研究所がなぜ豪徳寺の地にあるかといえば、「ゴートクジの物件は、京都三角屋の三浦史朗くんが今年(二〇一二年)の夏の初めに捜し当ててくれたものだった」とは千夜千冊のくだり。またしても夏、偶然の他者の「招き」でこの地に引き寄せられていた。さては豪徳寺の猫が招いたか。

 

 招福殿のまわりには大小様々な夥しい数の招福猫児が蛙の卵のようにびっしり並べられており、聞けば願いが叶ったら奉納するのだという。寄り集まった千を超える猫、いや欲望。寒気がしたのははたして偶然か。

←異世界……

 

 招福殿からさらに西の奥へ進めば、そこは井伊家の墓所。豪徳寺を菩提所に取り立てた直孝(彦根藩二代藩主)の墓は当然のこと、十三代藩主直弼の墓も同地にあった。あの桜田門外の変の大老井伊直弼である。どの墓も立派な唐破風つきで、これはどこかで見たぞと記憶をたどってみれば天下の彦根城であった。殿様は死しても城に住みたかったとみえる。

↑彦根藩歴代藩主や正室たちの墓が並ぶ井伊家墓所(国史跡)。墓所は思いのほか明るかった

↑左は井伊直弼の墓。右は国宝彦根城。赤く囲んだのが唐破風だ

 

 江戸後期の紀行文『遊歴雑記』の「豪徳寺」の項に、住むには不便だけれど「識浪をしづめて、心月を観ずるには究竟の土地」とある。つまりは波打つ心を静めて心の月を見るには極めて優れた場所だという評価だ。豪徳寺が「心の月」を見るに相応しい場所だったとは!
 松岡正剛は、月にはフラジャイルな「かけがえのなさ」や「薄弱な意図」がひそむとみたが(『ルナティックス』)、フラジャイルを掴むには識浪を静める必要がある。やはり豪徳寺がイシスを呼んでいた。

 

 駆け足で広大な寺域を回ったが(時間がなくて本当に駆けた)、この空間こそ白猫が残した財産かもしれぬ。どんなに東京の空が狭まろうともここだけは空が残るのだから。夜には存分に月を眺められよう。

 

 山門から徒歩五分のところに世田谷線宮の坂駅。招き猫がディスプレイされた駅近のファミマで冷えたソーダ水を買い、青いチンチン電車に乗り込んだ。ひと駅先の山下駅で降り、汁講の集合場所の豪徳寺駅前の招き猫像の前にたどり着く。

↑東急世田谷線の路面電車。猫の顔にも見える……
 
 学衆を待つ間にスマホで「招き猫」を調べてみる。香川の中讃あたりでは「まねきねこ」を「真似猫」と書き、「模倣をする者」をこう呼ぶとあった(「日本方言大辞典」)。「まねる/まねぶ」を稽古の骨法に据えるイシスは、やはり猫に呼ばれていた。

▲豪徳寺駅前の招き猫。本楼汁講の集合場所は、だいたいここだ

 

《うずうず散歩のスコア》

■■豪徳寺への行き方:東急世田谷線「宮の坂駅」から徒歩5分、小田急線「豪徳寺駅」から徒歩15分(拝観時間 6:00~17:00)

■■汁講オススメ度 ★☆☆:本楼汁講の際には、猫に招かれるまま足をのばしてみたい。「招福猫児」の置物(500円~7000円)、「招福猫児付箋」(500円)など買うもよし。「江戸の空間」を体感するもよし。

  • エディストチーム渦edist-uzu

    編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。

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コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。