今回のお題は「桜」である。
そこで、まず考えたのは、例によって「マンガに出てくる桜って、なんかなかったっけ」だった。(毎回、ネタには苦労しているのだ)
しかし、真っ先に浮かんでくるのは、マンガよりも、むしろ映画やアニメなどに出てくる桜吹雪の映像だった。
むせかえるほどに咲き誇る桜並木の映像は、無条件に快楽中枢を刺激してくるものがある。ここぞというところで満開の桜など出してこられると、「ベタやな」と思いつつも、陶酔感に浸ってしまうのはいかんともしがたい。
その点、動きがなく、基本的にモノクロであるマンガは、ちょっと不利なのである。
満開の桜吹雪の美は、言ってみれば、超ベタな美である。
ほとんど収拾のつかないほどの絢爛豪華な美の極致である。
桜の樹の下には死体が眠ってるとかいう話も、そのあまりのベタ的美しさに、人は何か不穏なものを嗅ぎ取るからなのかもしれない。そこには死体ぐらい埋まっていないと帳尻が合わないほどの妖気が漂っている。
そしてそのベタ的美しさに呼応するかのように、我が国では、桜を愛でるオヤジ的宴会文化が発展してきた。
梶井基次郎の「桜の樹の下には」では、どこか青年的客気の抜けない語り手が、桜の樹の下の死体を幻視する。そしてそこで初めて
「今こそ俺は、あの櫻の樹の下で酒宴をひらいてゐる村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めさうな気がする」
という境地に至るのである。
いわば、死体の力によって、若者は、ようやくオヤジ文化に象徴される「世界」と和解することができるのだ。
満開に咲き誇る桜の美しさには、それほどの振幅がある。
梶井基次郎「桜の樹の下には」は
『檸檬』(新潮文庫)ほか
多数の作品集に収録されている
さらに、これは全く偶然のことではあるが、桜の季節は、近代以降の日本において、年度替わりの時節となり、卒業入学就職などのシーズンと重なることになった。
イニシエーションの儀式が、桜のイメージとぴったりかぶさる精神文化を、我が国は、図らずも獲得してしまったのである。
一時期、小池都知事などが音頭を取って、年度始まりを世界標準の9月に改正しようなどという動きがあったが、なんかちょっと嫌だった。
桜のない入学式や卒業式なんて…と思ったものだ。
これまで様々なドラマ、マンガ、歌謡曲などで、桜は、青春の甘酸っぱさとともに語られてきた。オヤジ文化と同じぐらいに、桜は、思春期男女にとっての貴重な文化資源でもあったのだ。
そこで思い出すのが、中原俊監督による1990年の映画「櫻の園」である。
原作である吉田秋生のマンガは、言うまでもなく傑作である。しかし映画版のそれも、決して原作に勝るとも劣るものではない。
いや実を言うと、私はこの映画版「櫻の園」が大好きなのである。少女趣味全開で、あまり大きな声で言うのは恥ずかしいのだが…。
映画版の「櫻の園」は、原作のエッセンスを換骨奪胎し、高校の創立記念演劇の開幕二時間前の出来事をリアルタイム演出で見せてくれる。まるでほんの一瞬、咲き誇っては散っていく桜のように、少女たちのかけがえのない青春の一断面を切り取って見せたのである。
女子生徒たちの会話劇は(今観るとそれほどでもないが)、当時としては革新的なほどのドキュメンタリータッチで、劇場公開時に観たときには、いたく感動したものだ。
出演者の中で、当時すでに名の知れていたのは、つみきみほぐらいで、あとはほぼ素人に近い新人たちばかり。中島ひろ子ほか、のちに活躍の場を広げることになる多くの女優たちが、この時ほぼデビューに近い状態だった。
当時、中堅女優となりつつあったつみきみほも、いい芝居を見せてくれた。
彼女の役どころは、演劇部内で、ただ一人浮いている花のあすか組なツッパリ少女なのだが、実は中島ひろ子にほのかな恋心を抱いている、という役どころで、一世一代の名演技。
そしてなんと言ってもラスト間際で、さりげなく登場する満開の桜並木のシーンが、まことに見事であった。
というわけで、映画「櫻の園」を、強くオススメする次第であるが、注意点を一つ。
2008年に、同じ中原俊監督が撮った「櫻の園」は、同じ監督の同じタイトルの作品とは、とても思えないほど、天と地ほども違う作品なので、決してお間違えのないように!
(了)
アイキャッチ画像:(素材)映画「櫻の園」パンフレット
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堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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