発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

映画『PERFECT DAYS』が異例のロングランを続けている。アノ人も出ている、というので映画館に足を運んだ。
銀幕を観ながらふと、52[破]伝習座の一幕を思い出した。物語編集術の指南準備として、師範代たちに「好きな物語」とそれらを通して見えてくる<わたし>を考えるお題が出された。それを受けて伝習座の場で、岡村豊彦評匠が、「もっとホンモノの作品に触れてほしい」と師範代たちに告げたのだった。
好きな物語として挙げられたのは、『ショーシャンクの空に』『アンタッチャブル』『悪童日記』『ペガーナの神々』『山月記』『水滸伝』などなど。名画もあれば、[破]のアワードお題の課題本や千夜千冊で取り上げられている名作もある。作品の選定は悪くない。
だとすれば、「ホンモノの作品」とはなんだろう・・・そんなことを考えながらの映画鑑賞となった。
『PERFECT DAYS』は、ヴィム・ヴェンダースが監督し、主演の役所広司が第76回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞した映画。昨年12月下旬の公開開始から6カ月ものあいだロングランを続けている(2024年6月18日現在)。
役所広司演じる平山さんは東京・渋谷でトイレ清掃員として働いている。毎日同じ時間に目を覚まし、同じように支度をし、同じように働く。無駄なく布団をたたみ、玄関でガラケー、フィルムカメラ、鍵を決まった順番でポケットに収め、駐車場脇の自動販売機で缶コーヒーを買い、職場の公園のトイレに向かう車の中ではカセットテープでお気に入りの音楽を聴く。同僚のタカシから「どうせすぐに汚れるんだから」と呆れられても、トイレを磨く手を緩めない。
松岡校長の盟友、田中泯がホームレスを演じている。トイレのある公園で、薪を背負って踊るのだが、行き交う人たちの視界には入っていないようである。ホームレスと平山さんにはお互いに対するリスペクトすら感じられる。もしかすると、平山さん以外には見えない存在なのかもしれない。
平山さんは一見、何一つ大きなことはしていない。しかし、祈りにも似た、彼の毅然とした振る舞いは周りに影響を与えずにおかない。平山さんのやっていることは、村上春樹がいう「雪かき仕事」であり、松岡正剛がいう「別様の可能性」をつくる行為のようにも思えてくる・・・
アノ人、翻訳家の柴田元幸の役は、平山さん行きつけのカメラ屋の店主だった。洋楽や翻訳小説を偏愛する平山さんとも重なる味のあるキャスティングである。柴田元幸といえば、海外文学の目利きとして、ポール・オースター、リチャード・パワーズ、レベッカ・ブラウンといった作家の作品を日本に紹介してきた。
彼がそうした作家たちにインタビューする場に立ち会ったことがある。英米文学者らしく念入りな取材ノートをつくりつつも、「あなたとあなたの作品について交わせるのがうれしくてたまらない」と全身で訴える文学青年の姿がそこにあった。
そうなのだ。「ホンモノの作品」とは、作品とその人とのあいだに生まれる関係性のことなのである。『PERFECT DAYS』を観てこの記事を書かずにいられなくなったように、作品を読んでそれについて尋ねずにはいられなくなったように、師範代には、作品を読むことによって生まれたたくさんの<わたし>を語ってほしかったのだ。
52[破]では、物語編集術がはじまっている。好きな作品と<わたし>との格別な関係は指南を変容させずにはおかない。フォースとともに、進め、師範代たち。
白川雅敏
編集的先達:柴田元幸。イシス砂漠を~はぁるばぁると白川らくだがゆきました~ 家族から「あなたはらくだよ」と言われ、自身を「らくだ」に戯画化し、渾名が定着。編集ロードをキャメル、ダンドリ番長。
とびきりの読書社会到来の夢を見る。 54[破]開講を2週間後に控えた「突破講」でのことです。[破]に登板する師範代研鑚であるこの会は毎期更新をかけていくのですが、54[破]は、「編集工学的読書術」を実践した […]
53[破]第2回アリスとテレス賞大賞作品発表!アリストテレス大賞 小笠原優美さん
人生は物語である。人にはそれぞれの物語があるわけだが、ならば、物語など書く必要はあるのだろうか。 [破]には、3000字の物語を書く物語編集術がある。[守]の稽古を終えて卒門した学衆の多くは、この編集術に惹 […]
これは徹夜になるな。 その日私は、ツトメ帰りに会場である本楼上階の学林堂に向かった。到着し準備を始めたところに、松岡校長がふらりと現れ、離れたところに腰を下ろし静かに耳を傾ける。そして、私はうれし苦しい […]
ホトトギスが一倉広美師範代を言祝いだ。51[破]マラルメ五七五教室の師範代、一倉に日本伝統俳句協会新人賞が贈られたのである。 日本伝統俳句協会は、明治の俳人高濱虚子の孫、稲畑汀子が虚子の志を現代に伝える […]
恋せよ学衆。 51[破]はコイの季節である。対象はもちろん編集だ。編集は奥が深い。そこで、51[破]は編集を研究する「コイラボ」を立ち上げた。 まず、「いじりみよ研究所」が一部局として開設され […]
コメント
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。