今こそ日本を考える!吠えるバジラの輪読座

2020/01/07(火)10:33
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  「今の世の中に情報なんて溢れてませーん!」。バジラ高橋こと高橋秀元の声が本楼に響き渡る。

 

 編集学校唯一のリアル講座である輪読座。今期は日本陽明学を確立した熊沢蕃山の『三輪物語』を輪読している。予備知識がなくても問題はない。バジラの図象解説で、陽明学とは何か、蕃山が中国で生まれた陽明学をどう編集して「日本陽明学」にしたのかを知ってから本に向かう。
 陽明学の方法の一つ「立言」を説明しているとき、バジラは現代と陽明学を重ね合わせ声を荒げたのだった。

 

 

 中国明時代の儒学者、王陽明が起こした陽明学には、三つの永久不滅なものとして「三不朽」の思想があり、「立徳、立功、立言」の三位一体からなっている。立言は有言実行と言い換えることもでき、実践を重視する陽明学では、世のために人々と共に行動するには、意見や提案を公表する「立言」が重要だとバジラは語る。「黙ってやっても自分の事くらいしかできないでしょ」と、言葉を発することがいかに大事なのかを繰り返す。

 

 この日、バジラの体調は本調子ではなかった。高熱を出し寝込んでいたらしく、輪読座開催が危ぶまれていた。しかし、心配とは裏腹にバジラの声はいつにも増して力強かった。
 近頃は、行動をするときに自分の言葉で発言することができない。そのためにコピー情報ばかりが幅を利かせているのだと、バジラは今日の社会がもつ根本に切り込む。現代への憤りが、風邪の熱を昇華させアツい想いへ転換した。
 そして口にしたのが冒頭の発言だ。

 

 蕃山の日本陽明学のベースとして、「三不朽」に「致良知説」と「知行合一」を加えたもう一つの三位一体が展開される。反乱と不満のアイダにいる「人」に対して働きかける陽明学の考えこそ現代の問題に不可欠だと、今期蕃山を取り上げた意義を語った。図象解説はその後もトコトン続き、解説だけで3時間を費やした。

 

 輪読座は、単に古典を輪読するだけではない。『遊』創設期から松岡正剛校長の片腕でもあったバジラの「日本という方法」を交えて本と相対することができるのだ。コピペやプラスチック・ワードだらけの社会問題に対し、本や歴史を通して考えることができるのだ。そしてバジラが語る。「この輪読座自体がちょっとした陽明学の場だね」。
 さあ、今こそ社会や日本を歴史を通して考えてみてはいかがだろうか。

  • 衣笠純子

    編集的先達:モーリス・ラヴェル。劇団四季元団員で何を歌ってもミュージカルになる特技の持ち主。折れない編集メンタルと無尽蔵の編集体力、編集工学への使命感の三位一体を備える。オリエンタルな魅力で、なぜかイタリア人に愛される、らしい。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。