学衆が編集世界の奥を覗くことができる特別な機会。そのひとつが「汁講」だ。
オンライン稽古の空間からいっとき離れ、師範代という「編集的方法」の存在をリアルに感じる。そこでは、編集の型をつかった「相互編集」が起こる。
50[守]第2回伝習座で、堀田幸義師範は汁講を「節供」に喩えた。
編集学校にはいくつもの設えがある。師範代が設えるもののひとつとは汁講だ。汁講を季節で喩えるなら「節供」。日常の編集稽古をケとするなら汁講はハレの日。橋の向うへ誘う汁講にするにはどうしたらよいか。
チーム 遊わく走 堀田幸義師範
学衆にとって汁講は、hereとthereの間に架かる橋の存在を知る瞬間でもあるのだ。
■汁講を相互編集の場に仕立てる
汁講をプランニングするのは師範代だ。教室の「与件」をベースに汁講のターゲットを描く。プランニングには「不足」の発見も必要だ。編集はいつだって思ってもみなかった別様の可能性に向かいたがっている。
「与件」や「不足」が見つけにくいのなら、なにかのモデルに肖ればいい。
汁講を『見立て日本』の「見世」に喩えてみる。
師範代が見世番となり、編集的方法を陳列する。学衆は、これぞと思う引札を取り、師範代からその日限りのお題を受け取る。それは、「見世」の不足を編集するお題かもしれない。
汁講を「見世」に喩えて語る阿部幸織師範
「不足の発見」=「ないもの」フィルターで情報を集める
企画やプランニングは、「何が足りないか」ということに着目することから始まる。「不足の発見」は、編集を起動させるための大きな契機になる。【003番:部屋にないもの】講義編より
堀田師範は過去にこれを実践した。47[破]万事セッケン教室の師範代だった堀田は、ファッションに疎いという自分の「不足」を編集の起点にし学衆に自分の「見世着」の編集を委ねた。
学衆はこれまでの稽古で手にした型を使って、師範代に編集をかけたのだ。
■汁講になにを「持ち寄る」か
汁講はもともとなにかを持ち寄るもの。自分のなにを持ち出すか。その教室ならではのネーミングをして、新しい汁講を仕立ててほしい。
チーム 晴コウ・雨どく 佐藤健太郎師範
学衆による「見世着」編集の実践例を受け取った師範代は、それぞれに汁講のプランニングを始めた。教室のワールドモデルからなにを持ち出すか。そこにどんなモデルを重ねるか。
20もある教室が、それぞれにしかつくれない「見世」を開けば、そこには新しい「仲見世」ができるだろう。日々の稽古から少し外に目を向けて、編集的方法で交わし合う。そこは縁日のような空間だ。
「仲見世」の先にはどんな橋が架かるだろうか。それは50[守]のわたしたちだけが、渡ることのできる橋だ。
阿部幸織
編集的先達:細馬宏通。会社ではちゃんとしすぎと評される労働組合のリーダー。ネットワークを活かし組織のためのエディットツアー も師範として初開催。一方、小学校のころから漫画執筆に没頭し、今でもコマのカケアミを眺めたり、感門のメッセージでは鈴を鳴らしてみたり、不思議な一面もある。
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