edit=to give out 「きめる/つたえる」編集とは【52[守]伝習座】

2024/01/21(日)19:40
img

 

伝えたいと思っても、掌からこぼれ落ちてしまうものがある。

 

52[守]伝習座の用法解説で、福井千裕はそう語った。

 

遊刊エディストライターの福井は、イシス編集学校[守]講座の師範代にむけて、自身が書いた記事を用いながら、メディエーションについて「ギブ・アウト」した。

 

「エディット」という言葉には、ギリシア語やラテン語でいうと、edere(外に出す)=「出して与える」「自分から渡す」「産出する」という意味が躍動している。英語で言えばさしずめedit=to give outというふうになる。ギブ・アウトするのが編集なのである。

 

『知の編集術』(松岡正剛)

 

見たことや考えたことを言葉にするだけなら「give out」にはならない。editだと言うなら、受け手にとってギフトであってほしい。

 

では、それはどうやって?

 

編集術では、最後に語り部にこそいっさいが委ねられることを理想としている。子供が聞いたのか、病人が知ったのか、誰に伝えれらるのかによって、最後の編集の仕上げは変わっていくべきなのである。

『知の編集術』(松岡正剛)

 

子供の頃の思い出を恋人に聴いてほしいのか、映画を観た感想を友人に共感してほしいのか。誰に、なぜ「give out」するのか。見たものを見たままに伝えたのでは、editにはならないのだ。

 

板書する福井千裕。見たものを、受け手にとって「旬」にすることをターゲットに置くと、「見え方」に変化が起こる。

 

編集によって「きめる/つたえる」ことで、思いがけない景色が見えてくるのだと福井は言う。

 
書こうとする目で世界をみつめる。そうすると、自身の見る力以上のものが訪れる。書けそうもないと思うようなモノゴトが集まってくる。「メディエーションに向かうということは、自分一人ではたどり着けなかった別世界への扉の鍵を貰えるということなのだ」と。

 

 

ここから福井は、自身が書いた記事を取り上げながら、ライターとして目撃したいくつかの景色を、受け手となる師範代へ「give out」した。

 

 

■「きめる/つたえる」編集で情報を動かす

 

イシスの魅力が大噴出!「90秒タイムアタック」8連発!【82感門】

【第82回 感門之盟】のコーナー企画「90秒タイムアタック」の記事。福井は、90秒で出来ること、90秒に象徴されること、90秒に制約されることなど、90秒がキーとなるモノゴトを連打して、このコーナー企画の速度や密度を、記事の冒頭で読者にインプットした。「地」を動かしてシソーラスを広げることで、対象となる「図」の意味を際立たせた。

 

 

 

 

次男坊が帰ってきた!【本楼エディットツアーレポ】

未入門者向け学校説明会(エディットツアー)のワークでは、参加者同士が初対面であってもすぐに打ち解け対話が弾む。編集術を使った”明かし合い”が、みな心地よいのだ。福井は「参加者同士が家族のように見えた」そうで、参加者に長男、次男、お父さんと呼び名をつけた。「そう見えた」ならそのフィルターで名付けてみる。ネーミングすることで、新たな関係やストーリーが動き出す。

 

 

 

イシスがコンビニジムに!?汗をかきかき編集中!【82感門・リハ】

校長の松岡は、津田一郎氏との対談本『科学と生命と言語の秘密』で、「センスの良さというのは、かかわっている場に対して何かをほしがるから動く」「不足に気付かないとセンスによる編集は動かない」と語っている。「編集に向かうセンサーが、”ここにないもの”と結びつくと”センス”になる」と福井は言い換えた。目の前で起きていることと、そこにないものを組み合わせ、「コンビニジム」と、まずは呼んでみる。そうすると見え方が変わってくる。モノゴトを面白がる秘訣でもある。

 

 

 

松岡正剛が語る「師範代になるための5つの条件」(40[花]入伝式)

福井は、校長が語ったことをそのまま書くのではなく、「校長が語っているように”見える”ようにする」のだという。校長らしい言い回しの文体にする。校長の「知」が顕れている部分に焦点をあて思い切って他を捨てる。語りの順番もカット編集する。「校長の語りの”意図の模倣”をしたい(ガブリエル・タルド)」「校長のメッセージを”見える”ようにしたい(パウル・クレー)」のだ。

 

 

 

■きめなかったこと つたえなかったこと

私はなかでも「ちらちら」が重要だと思ってきた。これはもともとは「散る」なのだ。日本人は桜の花や思いが散ることを惜しみ、その風情に万感をこめた。
『見立て 日本』(松岡正剛)
 
 伝えようとして見つめるからこそ、見えてくるものがある。その場に漂っているものを感じ目を凝らす。消えてしまわないように手を伸ばしてみる。
 
けれど、「伝えられなくてこぼれ落ちてしまったものがある」と福井はいう。

 

祈るような様子で何かを見つめる[守]の鈴木康代学匠。感門之盟でのワンショット。

 

福井はなにかの象徴を見た。消えてしまいそうに、ちらちらと揺れ動く”それ”は、確かに掌に触れたはずだった。「きめる/つたえる」ことができなかった”それ”は、いまでも福井の傍らにある。

 

欠けたものや間に合わなかったもの。それを片割れとして抱えていくことが、決して枯れることのないeditの水源になる。

 
そう語る福井は、ちらちらと揺れる水源を、伝習座の用法語りという場に「give out」した。語られなかった”それ”が、「きめる/つたえる」という方法によって、旬の編集になった瞬間だった。
 
語られたことも、語られなかったことも、こんこんと湧き出る編集の水源なのだ。
 
 
■「give out」のその先へ
伝えたいことを、伝えたいと思っている人たちへ。あなたのアウトプットが相手に届いたときの相手の眼を、声を、仕草を、想像してみるといい。そのアウトプットが可笑しみみであっても、悲しみであっても、驚きであっても、相手を震わせるような「give out」であってほしい。
 
最後にもうひとつ、福井の記事を紹介したい。
 
イシス編集学校の各講座の修了を言祝ぐイベント【感門之盟】の最後を飾る映像の制作現場レポートだ。福井は、【感門之盟】での出来事を同時進行で撮影/編集するアクロバティックな現場の様子を追っただけではなく、その映像が来場者へ「give out」された瞬間も記録した。
 
 

(記事より引用)

最後に、第82回感門之盟にかかわったすべての人の名前がエンドロールで流された。どこか儚く、どうにも恋しい感門ラストのシャボン玉。ひたすらそれを追いかける人たちの潤んだ目が、とてもきれいだった。

 

 

 

イシス編集学校の52[守]では、用法4「きめる/つたえる」の稽古が始まった。師範代は、学衆から届く回答に、このエンディング映像に見入る面々のようなまなざしを向けている。

 

師範代も学衆も、「ないもの」を掘り起こすように、「give out」なメディエーションに向かって欲しい。

 

  • 阿部幸織

    編集的先達:細馬宏通。会社ではちゃんとしすぎと評される労働組合のリーダー。ネットワークを活かし組織のためのエディットツアー も師範として初開催。一方、小学校のころから漫画執筆に没頭し、今でもコマのカケアミを眺めたり、感門のメッセージでは鈴を鳴らしてみたり、不思議な一面もある。