<特報>新年に「吉」を呼び込む現代書シンポジウムレポート

2024/01/15(月)18:00
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 書は年の瀬を渡った先の新年に「吉」を呼ぶ文化である。2024年1月4日の仕事始めの日に合わせて千代田区日比谷図書文化館で“現代書を語る”シンポジウムが開催された。

 このシンポジウムは1957年に設立されて2年間で幕を閉じた「日本前衛書作家協会」に注目した永井画廊(東京中央区銀座)の展覧会オープニングイベント。日本前衛書作家協会は高度経済成長期が始まり激動する社会情勢の中で、従来の書壇の因習性と向き合いつつ、革新的な動きを促進するために井上有一や比田井南谷などの書家たちが発起人となった組織であった。

 シンポジウム登壇者は、イシス編集学校校長の松岡正剛、東京藝術大学名誉教授の秋元雄史、鳥取県立美術館整備局美術振興監の尾﨑信一郎、天来書院取締役会長の比田井和子、永井画廊代表取締役永井龍之介である。

 今回は、日本美術史、日本書史からみた現代書についての松岡の語りをレポートする。

 

 

 

 日本の前衛的な書に対して熱く沸騰していなければダメだ、と松岡は長年感じていた。しかしながら、どこかで日本の書がおかしくなった。能を大成させた世阿弥、派手な格好で身分の上下に遠慮をせずに振舞うバサラ、京都竜安寺に代表される枯山水を創った作庭師らが活躍した南北朝時代あたりまでは正常だった。

 江戸時代以降、御家流が手本を使って手習いするという形式で誰もが書ける書へと大衆化させたことが書を堕落させた一因と推測する。現代では、ブルースをベースにしてジャズが生まれたような変化がないままに、似たりよったりの曲ばかりがつくられるJポップ音楽に近い状態である。書はもっと格別なモノなのだ。

 

 

 

 書を前衛的に復活させるヒントは「臨書」にある。アートでは自然、街、人間などの外界を見る。一方、臨書では別の人が既に書いたものに近づき、内側にある失意や自我を見抜いて書く。このメソッドが面白い、と松岡は強調する。手塚治虫がディズニーに触発されてマンガを描いたように、人工物の中に第二自然の造形を見出す可能性が臨書のプロセスにある。

 先達として肖るべき人物の一人は登壇者であった比田井和子さんの祖父・比田井天来。明治から昭和初期にかけて活躍した天来は臨書の研究を積む。言霊にあたるようなモノを感じ取りつつ、独自の新しい書風となる方法の型を構築していたのだ。

 

 松岡は古代日本における漢字の伝来についても注目する。私たち日本人は文字を発明しないまま縄文時代まで生き抜いた民族だった。口頭でのコミュニケーションと縄文が使えれば、生活する上で文字は必要なかったのかもしれない。

 弥生時代以降に中国から朝鮮半島を経由して到来した漢字と出会って、日本人は戸惑ったに違いない。しかしながら、デファクトスタンダードの中国の読みにこだわらず、訓読み、音読みという方法を駆使しながら、漢字から平仮名を生み出すにいたった。ここに日本人の書の秘密がある。

 例えば、奈良時代の光明皇后『楽毅論』の書は王羲之を臨模しつつ、男気を感じさせる気迫がこもる。平安時代の空海が最澄に送った手紙である『風信帖』の書は端正で律義でうまい。そして両方とも自由であった。彼らより前の時代の万葉人たちが中国の漢字の中にある畸(キ)や逸(イツ)なる部分に注目し、別様の可能性を感じとる意思が脈々と受け継がれていたのだ。私たちも書の制作プロセスに注意を向け、新たな見方、基準を見つけたい。

 

 書は美術であるか否か。司会の永井龍之介さんから「書は美術ならず」論争について松岡は意見を求められる。明治15年、洋画家である小山正太郎と、美術家である岡倉天心の間で闘いがあった。

 松岡が軍配を上げたのは岡倉天心。しかし一歩踏み込み、「アートと言うよりもアルス(技芸・技能)」と強調した。アートの中に編集術や方法の型がないとつまらないのだ。

 前衛書の中に潜んでいる深さと速度を持って突き進む生命力に満ちた編集的な美を見つけたい場合は、「“日本前衛書作家協会(1957-59)に注目”展」に足を運びたい。

 展示会の会期は1月20日まで。詳しくはコチラ

 

写真提供:松岡正剛事務所

 

参考文献:

『書はどういう芸術か』石川九楊/中央公論新社

『教養としての書道』前田鎌利/自由国民社

  • 畑本ヒロノブ

    編集的先達:エドワード・ワディ・サイード。あらゆるイシスのイベントやブックフェアに出張先からも現れる次世代編集ロボ畑本。モンスターになりたい、博覧強記になりたいと公言して、自らの編集機械のメンテナンスに日々余念がない。電機業界から建設業界へ転身した土木系エンジニア。