発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

2004年7月7日、千夜千冊第1000夜『良寛全集』がアップロードされました。これからどうなるのか。過去ログを読みながら待っていると、7月22日、千夜一尾として『エレガントな宇宙』がアップされました。末尾には「未確認な次夜に続く」とあり、驚かされました。
1001夜その2が7月30日、その3が8月6日、その4が8月27日に更新されます。長い尻尾だなと思いながらさらさら読んでいると、スクロールしていた手が止まりました。
「一時中断やむなきの弁」。えっ、胃がん? 入院されるの? 当時、私は入門前。まだ独身、京都暮らしで、MKタクシーという会社でMK新聞という小さなメディアの一人編集員をしていました。
観光トピックスを中心に取材し、記事にするにあたって枯山水、枕草子、方丈記、あれこれ検索しているとしょっちゅう「千夜千冊」というサイトがひっかかる。読み始めたのは850夜ぐらいだったと思いますが、2004年は914夜の司馬遼太郎に始まり、1000夜が近づくにつれて、ドストエフスキー、ユゴー、近松、道元、馬琴、ホメロスと大作が連打されていきました。
横にいつも出ていた「イシス編集学校」のバナー広告。編集の方法を誰かに教わりたいという思いも高まっていましたが、千夜のラインナップが凄すぎて、松岡さんがますます謎の人物になってきていました。周りには「東京で高額な商品を買わされたりするんじゃないか」と心配されたりしました。
千夜一時中断で、松岡さんが生身の人物だということを実感しました。入門しよう。けど学校がどうなるかわからない。まずは快復を待つことにしました。2004年12月26日、1001夜その5が更新されました。「よかった! 治らはったんや」。三か月後、京都で行われた講演に、取材と称して駆けつけました。ナマで見た校長は『知の編集工学』の表紙写真からずいぶん面変わりされていました。
松岡校長は、手術直後の「医療的人体」からチューブが一本ずつ抜かれ自前の身体に戻っていくプロセスを感じながら「自分の体は、人工なのか自然なのかと考えた」と語っています。(連塾第六講『詫び・数寄・余白 アートにひそむ負の創造力』)
千夜一尾が閉じ、松岡校長の全面治癒が伝えられた12月26日は、スマラ島沖でマグニチュード9.1の地震が起きた日でもあります。ここから連想した、2004年を語る一冊がこちらです。
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『ツナミの小形而上学』
ジャン‐ピエール・デュピュイ著、 嶋崎正樹訳
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癌、地震、アウシュビッツ、ヒロシマ・ナガサキ、9・11。そして22万人もの死者を出したスマトラ大津波は、「自然的悪」な
のか「人間に潜む悪」なのか。
デュピュイは1755年のリスボン大地震がきっかけで起こったヨーロッパ思想界の転換をたどり、ルソーの「科学的知識の不十分さがリスボン大地震の災厄を増幅させた」という言葉が、近代につながる「リスクの思想」と「憎悪の思想」を作ったとみています。次第に「人間に潜む悪」が「自然的悪」を飲み込み、やがて悪意不在の大災厄=「システムの悪」だけが残るだろう。thoughtlessness(想像力の欠如)が破局への道を加速させるだろうと予測します。
本書の日本語版が出版されたのはフクシマのあと、2011年7月でした。校長は3・11後の番外編1439夜で取り上げ、「ましてや神なき日本では、メディアが大衆を味方につけたふりをして、正義と悪を仕分けしているに過ぎない」と書いています。「コロナ」という言葉の後に、無自覚に「禍」という言葉をつける2020年の今こそ再読したい。災厄、事故、損傷から新しい形而上学を掬いだす端緒にしていきたいと考えます。
入門したあと、【校長室方庵◎校長校話】で入院前後のやり取りを読みました。【ともかく以下のことを読んでください 2004年8月11日】【みんな、優しくも熱いメッセージをありがとう。アテネは編集学校にあったんですね。2004年8月18日】。
自然と人工とシステムのアイダ、隙間での、「説明を見出せない私たち自身のことを想って痛みを分かち合う」インタースコアそのものでした。大変長くなりました。では、2005年へ。スタジオふきよせの松尾亘冊師にバトンを渡します。
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。