【三冊筋プレス】理不尽な共生論(小倉加奈子)

2020/10/17(土)10:41
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 ゲノム解析の結果、ヒトの遺伝子配列の中に想像以上に膨大な内在性レトロウイルスが発見された。ヒト内在性レトロウイルス(HERV)は、約3000万~4000万年前に、霊長類の間で水平感染を起こしていたレトロウイルスだと考えられている。ある時、このウイルスがたまたま生殖細胞に感染し、ヒトゲノムに組み込まれ、宿主の遺伝子のひとつとなった。HERVの祖先と推測されるレトロトランスポゾンを含むとなんと、ヒトゲノムの半分近くがレトロウイルスに関連した配列であるという。わたしたちは、“半ウイルス的存在”であるともいえようか。

 

 ウイルスは「身体を捨てて、情報として生きている」と山内先生は云う。つまり、ウイルスの意味論の眼目は、ウイルスが情報としてふるまう、ということだ。ならば、“情報ウイルス”は絶滅したり、撲滅させられたりするのだろうか。ウイルスが生命であるならば、個体としての生死があり、ひとつのウイルス種としての誕生と絶滅があるはずだ。しかし、ヒトゲノムの中に存在する情報ウイルスは、生きているとも死んでいるとも言えず、絶滅とも異なる不思議な状態である。情報ウイルスっていったい何なのだろう?


 そんな疑問を感じながら読み進めたのが、『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』である。わたしたちヒトが、様々な病原ウイルスに晒されながらも絶滅せず、今現在も存在していることは奇跡である。これまで地球上に出現した生物種のうち、実に99.9%以上はすでに絶滅してしまっているという。


 生存できるか否かは運である。偶然である。たまたま劇的な環境の変化に対応できた者だけが生き残るという「理不尽な絶滅シナリオ」を生物に課しているのが自然であり、ダーウィンの進化論の本質でもある。


 自然淘汰のプロセスは、適者の活動の痕跡──かつてどのような変異が存在したか、それがどのように選別されたか、の痕跡を破壊しながら進む。痕跡が消された適者は、まるで選ばれし者のように輝いて見える。


 著者の吉川氏は、進化論が、日常生活の中で拡大解釈され、お守り代わりに使われていると指摘する。何もかも進化論で語り過ぎる傾向がわたしたちにはあるようだ。それは、物事の繁栄と衰退の結果を原因と取り違え、成功者を選ばれし優れた者と一元的に評価する。偶発性を無視し、しばしば人間を傲慢にし、偏見を生む見方をもたらすこともある。


 タレブはリスク論の専門家であるが、理不尽で偶発的で予測不能で、しかし、ひとたびそれが起こると甚大な被害を及ぼすブラック・スワンの存在を指摘してきた。その存在下であえて「身銭を切れ!」と彼はいう。リスクを取って投機しろ、身銭を切らないかぎり、進化は起こりえないという。身銭を切るという行為は、傲慢さを抑制しつつ、失敗から学び、社会システムを進化させることに貢献するという。フラクタルな世界を読み解き、理不尽な現象にも耐えられる反脆弱的な社会システムを構築していく必要性を訴える。タレブは、行き過ぎたグローバル資本主義による人類の絶滅を危惧しているようだ。

 

 身体を捨てて情報となったウイルスに限っては、進化論から自由だと思う。別の生物種の中に内在化するという究極の共生によって、絶滅という事象を安々と乗り越えているように見える。なんだかウイルスが偉大に見えてきた。


 ウイルスの情報としてのふるまいに着目すれば、偶発性を取り込み、積極的に他者との共存を目指していく新しいリスク論や進化論を生み出せるように思う。吉川氏にそれこそ進化論の拡大解釈であるといわれるかもしれないが、彼が、『理不尽な進化』で掲げた「人間をどうしていくのか」という大きな問いに対するわたしなりの回答である。そしてタレブのリスク論は、このコロナ・パンデミックを通してどんなふうに進化していくのだろうか。情報ウイルスを取り込んでいくのだろうか。


 『ウイルスの意味論』に、進化論とリスク論を重ねて読むことはとても刺激的であった。ウイルス学は、進化や絶滅リスクを学問していく上で新たな視野を提供するものだと再認識した。


 コロナパンデミックという特大のブラック・スワンがの黒い羽根を広げる今、「理不尽な共生論」とでも表現できる新しい思考方法を、奇跡的に存在している生物種のひとりとしてこれから試していきたい。身銭を切って。

 

 

●3冊の本:

 『ウイルスの意味論 生命の定義を超えた存在』山内一也/みすず書房
 『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』吉川浩満/朝日出版社
 『身銭を切れ 「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』ナシーム・ニコラス・タレブ、望月衛(監訳)、千葉敏生(訳)/ダイヤモンド社

 

●3冊の関係性(編集思考素):一種合成型

 

  • 小倉加奈子

    編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。

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コメント

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山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025