【多読ジム】千夜リレー伴読★1769夜 デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ『洞窟のなかの心』

2021/04/27(火)15:37
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 多読ジムには、「書院」というコミュニケーション・ラウンジがあります。[守]・[破]でいうところの「勧学会」に相当します。そこでは「読相セイゴオ語録365」と大音美弥子冊匠の「スタジオ語録」が毎日配信され、図像編集をシェアする「マッスルギャラリー」や「おみくじ本」など企画型のお題やコンテンツがふんだんに用意されています。


◆多読ジムpresents「千夜リレー伴読」

 

 その企画の一つに「千夜リレー伴読」があります。これはタイトルのとおり、松岡正剛校長のウェブ千夜千冊を「伴読」するという多読な試みです。大音冊匠、金宗代代将、小倉加奈子析匠、米川青馬多読師範、福田容子多読師範、吉村堅樹林頭が「リレー」形式でお届けしています。

 多読ジムの書院でのみ会員限定で配信してきた「千夜リレー伴読」、エディスト連載化の第2回目は、1769夜 デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ『洞窟のなかの心』。担当は米川です。

 


◆芸術が洞窟から始まったことには必然性があった

 

 当然ながら、1769夜の全文を読んでいただきたいのですが、最も重要なのは結末部分です。抜粋します。

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 洞窟に生じた人類の新たな心性は、人類の心性の中に洞窟的なるものを生じさせたのである。
 こんなふうに書いている。少し要約しておいた。‥‥後期旧石器時代の洞窟では、地下の通路と部屋は地下世界の「内臓」なのである。その中に入ることは地下世界へと物理的かつ心理的に入ることだった。ここに、この体験は「霊的体験」にも変容される可能性をもった。いや、そもそも洞窟に入ることが霊的世界の一部になることだったのである。装飾的なイメージングはこの未知なるものへの道標であったろう。
 また、こうも書いている。‥‥意識変容状態は、たんに階層化された宇宙の観念を生み出すだけではない。それはこの宇宙のさまざまな区域へのアクセスを可能にし、それによってこうした区分の妥当性を追認することだったのである。
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 ご存知の通り、人類が遺した最古の芸術は、ショーヴェ、ラスコー、アルタミラなどの一連の洞窟画です。『洞窟のなかの心』の著者デヴィッド・ルイス=ウィリアムズは、僕たちの祖先が洞窟画を描いたのは、彼らが洞窟のなかで意識変容状態に入ることを覚え、新たな心性を生じさせたからだ、といいます。つまり、芸術が洞窟から始まったことには必然性があった、というのですね。

 

 

ラスコーの洞窟画

 


◆劇場には心身を現実から引き離してくれる何かがある

 

 1769夜の序盤には、こうも書かれています。

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 「洞窟」のような「暗がりフォーマット」が重要であったことについては、その後の劇場文化、写真の登場、映画の発達、ミュージアムの隆盛にもつながっている。暗い洞窟に何かが蟠っていたのである。

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 僕は、ここ10年近く、週1~2回のペースで劇場に通っている「暗がりフォーマット大好き人間」なので、1769夜に書かれていることは実感的によ~くわかります。この一夜を読んで、「僕はもしかしたら、お芝居よりも劇場に行きたいのかもしれない」と思ったほどです。松岡校長のおっしゃるとおり、劇場は、映画館・ミュージアム・ライブハウスなどとともに、代表的な「都会の洞窟」です。都会の洞窟たちには、確かに僕らの意識を変容させ、心身を現実から引き離してくれる何かがあります。


 余談ですが、首都圏の劇場のなかでも、特に洞窟感があるのは、STスポット(横浜)アトリエ春風舎(小竹向原)小劇場B1(下北沢)あたりです。いずれも地下にあり、こじんまりとしていて、若手や尖った演劇人たちの意識変容状態を覗き見ることができます。また、僕が知る限り、日本で最も洞窟感の強い劇場は、静岡・舞台芸術公園にあるSPACの「楕円堂」です。クロード・レジは、楕円堂をまさに洞窟として最大限に活用していました。

 


◆『ナルニア国物語』や『ゲド戦記』の暗がりに憧れて

 

 子どもの頃、僕はちょっとしたスキマに入り込むのが好きでした。猫みたいに、部屋の隅っことか、押入れと壁のあいだとか、物置きのなかの荷物が置かれていない狭い一角とかで、じっと佇んだり、本を読んだりするのが心地よかったんです。
 だから、『ナルニア国物語』の主人公たちが、洋服だんすのなかに隠れて遊んでいるうちに、たんすの奥からナルニア国に入っていくのを読んだときは、本当に羨ましかった。ゲド戦記の2作目『こわれた腕環』にも憧れました。入り組んだ地下神殿に閉じ込められたゲドと、地下神殿の巫女・テナーが、まさに地下世界の「内臓」をさまよって霊的世界の一部になり、そこから脱出する物語です。僕は地下神殿の内部をことこまかく想像してはワクワクしていました。

 

 

 

 その頃からずっと、僕は暗がりを愛し、意識変容を起こしたかったんだな、と思います。皆さんはどうですか?

  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。

コメント

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川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。