一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。
それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞令程度にしか受けとめていなかった。そもそも校長がお愛想を言うような人ではないことを、私は充分に理解していなかったのだと思う。あの松岡正剛は、なんとも無邪気であどけない顔を持ってもいたのだ。
日時の連絡を受け、道具を詰め込んで豪徳寺へ向かうと、本楼はヘアショーのステージの如く設えられていた。つまり、出来事を記録するための撮影班が手配され、それを観覧するための席がささやかながらも用意されていたのである。寒い季節だったので、ヘアカットされる校長が座る席には赤外線のヒーターが回されていた。
その室礼は、いわば“見せるための表舞台”(ハレ)と“準備のための裏舞台”(ケ)とがシームレスに混在する「編集空間」だった。もちろん校長の指示があってこその設営だったのだろうけれど、主と客と、時と場とが渾然一体となってつくり上げた、格別な一期一会のための舞台装置だったように思う。其処で私はホカヒビトさながらに、ミコトモチの喜寿を祝う奉納舞を献じたのだ。
おそらく、刃物を持って校長の後ろに立った者は、編集学校では私だけだろう。校長は、その刃先の形状と、それを納める鞘の赤さと、鋏を開閉する音の律動とを興味深く観察し、「これはなに?」と道具の一つ一つについて質問し、カットケープに施されたプリーツのしなやかなヒダを愛で、髪が梳かれ、断たれ、整えられてゆく一部始終に、子犬のような目をして身をゆだね、“鋏の舞”の手際と段取りを味わい尽くしているように見えた。それを、居合わせた少数の面々が見守った。
私はあの日の出来事を、「型の継承」をめぐるメタフォリカルでシンボリックなセレモニーだったと考えている。何故なら、校長の髪は美容師による手入れが必要なほどの状態ではなかったし、髪型の変化を望んでいるわけでもなかった。それを察した私も、デザイナーとして記名性のある造形を避けるように努めた。すなわち、あの場で求められたのは“編集成果の別格”よりも“編集過程の結構”だったのだ。
編集とは、それが生む果実にばかりではなく、それを成す営為にこそ生命が宿ることを忘れるべきではない。その奥義を、触知的な体験として確認しあうための、あれは通過儀礼だったのだと思う。
花傳式部 深谷もと佳
アイキャッチ&写真:後藤由加里
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
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