【三冊屋】落下するマダニ 転移する琵琶法師(高木洋子)

2020/09/04(金)10:38
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 生物たちが独自の知覚と行動でつくりだす世界を「環世界(Umwelt)」という。おなじ時間と空間を共有しているが、どの生き物もそれぞれに違う世界を生きている。

 「世界はひとつ」と信じて生きてきた人間たちにとって自分という輪郭が崩れる概念ではないか?


 この「環世界」がちょっとユニークなマダニの生態をみてみよう。マダニは木の上に棲み、じっと通りかかる獲物を待ち続ける。そしてたまたま通りかかった獲物の発する微量な酪酸の匂いを察知し、体温で位置を感知して獲物の下に落下して吸血する。これらの一連の営みがマダニの「環世界」なのだ。
 一方、人間の「環世界」の研究は進んでいないが、特異な「環世界」をもつ盲目の琵琶法師をみてみよう。彼らは暗闇に住み、聴覚と皮膚感覚で世界を体験する。

 人間の知覚の大部分を占める視覚の統御から解放された琵琶法師はその自己の輪郭や主体のありようは常人とは異なるものだった。そんな心身の状態は異界に住む見えないモノの波動と同調でき、そのざわめきを声という語りによって代弁することができた。

 自己の輪郭がないがゆえに容易に転移されるシャーマニックな職能をもっていた。琵琶法師が途絶える今ではこの霊威を発する不思議な「環世界」は知り得ない事が多くある。


 「環世界」はどうも視覚優位で物質主義の現代人からは姿を隠している世界のようだ。置かれた環境に埋め込まれた存在として自分を捉えてみる。マダニのように嗅覚や触覚をたより、琵琶法師のように視覚以外の感覚を研ぎ澄ますとその世界は少しずつ現れるのかもしれない。

 

●3冊の本:

 『生物から見た世界』ユクスキュル/岩波文庫
 『目で見るものと心で見るもの』谷川俊太郎他/草思社
 『琵琶法師』兵藤裕己/岩波新書

  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:宮崎滔天
    最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
    photo: yukari goto

コメント

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山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025