私にとって、師範ロールは「スコアリング」の実践と実験の積み重ねでした。その試行錯誤はロール名が花目付、花傳式部と変遷した今も変わりません。
今シーズンの「花伝式部抄」は、そのスコアリングの方法と、スコアリングを巡る考察について、これまでの経緯と成果を総括しながら語り紡ぎます。
編集八段錦
1.区別をする(distinction) ‥‥情報単位の発生
2.相互に指し示す(indication) ‥‥情報の比較検討
3.方向をおこす(direction) ‥‥情報的自他の系列化
4.構えをとる(posture) ‥‥解釈過程の呼び出し
5.見当をつける(conjecture) ‥‥意味単位のネットワーク化
6.適応させる(relevance) ‥‥編集的対称性の発見
7.含意を導入する(metaphor) ‥‥対称性の動揺と新しい文脈の獲得
8.語り手を突出させる(evocate)‥‥自己編集性の発動へ
この八段錦の特徴は、7段目までは情報が主語になっているところにある。また、6段目までは情報が自己組織化をおこしているとみなしている。さらに新しい文脈を獲得するプロセスが7段目で重視される。
こうなってはじめて、いよいよエディティング・プロセスから新たな“語り部”が誕生してくるのである。最後になって語り手としての自分が編集の責任をとっていくわけなのである。
編集学校の様々な仕組みのうち、最もユニークなものは「師範代」の存在と言えるでしょう。教室での編集稽古をホストするロール機能は言うに及ばず、昨日まで学衆だった者が、希望さえすれば、わずか数週間の研鑽による認定を得て今日の師範代として立つことができるのです。
その点、「師範」は番期選考委員会によって指名され、任命されます。師範代ロールが認定制とはいえ場への自発的な関与に基づくことと比せば、師範ロールが任命制であることは特筆すべき点です。しかもほとんどの場合、師範は担当教室をサポートする業務以上には、特定のミッションが個々に明示されることはありません。
にも関わらず(いや、「だからこそ」と言うべきか)、師範代には用意される「花伝式目」のようなテキストやカリキュラムが、師範には用意されません。畢竟、イシスの師範は否応なく与件から自発的に「give→find→make」を起こし、能動的に「問・感・応・答・返」を運ぶことが求められます。
このことは編集学校に入門した者にとって、師範代登板までが学衆ロールであることを示唆すると同時に、学衆から師範代への着替えより、師範代から師範への着替えの方が、「自己編集性の発動」を当為とする点で、より相転移の質が大きいことを示しているように見えます。
そうだとすれば、師範ロールこそが個々に特有の視点やスキルを持ち込み、独自の問題意識を基に編集を起こすことが求められている筈なのですから、イシスの師範にはそれぞれの「師範生成物語」があって、そのあらすじは英雄マザーに相似させて語ることも出来るでしょう。
ところが、こうした師範物語の多様を、これまで私たちはあまり積極的に共読してこなかったように感じています。
そこで本稿は「1.情報単位の発生」として、まずは「師範生成物語:フカヤモトカの巻」を語り起こすところから始めることにいたします。
2015[36守]
FMサスーン教室で師範代登板。控えめな学衆ばかりが集まった9人教室を全員卒門に導いたが、進破した学衆は一人だけだった。卒門率100%、進破率11%。(フカヤ)
2016[37守]
編集学校開校15周年を迎え、書籍『インタースコア』が発刊。「NEXT ISIS」の旗印が掲げられるなか、講座カリキュラムの大改編が行われて「スコアリング」「BPT」「地と図」「編集八段錦」などが編集稽古のお題として組み込まれる。(ISIS)
2017[39守]
初めて師範ロールを担い、3教室を担当。師範代の編集実践とその編集成果について相関関係を見出せず考え込む。(フカヤ)
イシス編集学校は、その校名「ISIS」(Interactive System of Inter Scores)に「スコア」を冠している通り、編集工学を学べば学ぶほどに「スコアリング」という概念の深淵さを思うことになります。
その学びの軌跡は、私の場合、孤軍奮闘ながら継続的に取り組んできたプロジェクトである「発言スコア」の研究と同期しています。発言スコアとは、編集稽古及び式目演習の中で日々Editcafeに記録される「言葉」の動向を定量的に試験計測し、記録したスコアの総称です。その実践は地味で愚直な作業の繰り返しでしたが、その営為を通してしか得ることのできない発見があったと感じています。
物語のはじまりは、連鎖して起こった3つの出来事でした。
1つめの出来事__
私は[36守]FMサスーン教室で、控えめな学衆ばかりが集まった9人教室を全員卒門に導きましたが、[破]へ進んだ学衆は一人だけでした。
当時の私は、いわば「卒門率至上主義」とも呼ぶべき編集態度に偏向していましたから、全員卒門の達成感に浸るばかりで、進破は学衆の自発性に委ね、あまり熱心に後押しすることはありませんでした。
けれど、時を経て師範代体験を振り返るにつけ、はたして編集稽古の充実は卒門率のみによって測り得るのだろうか? と、鈍痛のような「問」が負債のように胸の裡に積み上げられていくのを感じることとなりました。
2つめの出来事__
時を同じくしてイシス編集学校は開校15周年を迎え、「NEXT ISIS」の旗印が掲げられるなか、[37守]で講座カリキュラムの大改編が行われて「スコアリング」「BPT」「地と図」「編集八段錦」などが編集稽古のお題として組み込まれます。(この37期改編を、私は「インタースコア改編」と呼んでいます)
3つめの出来事___
その後1期を置いて、私は[39守]で初めて師範ロールを拝命して3教室を担当します。
初任師範が3教室を見るのは異例でしたが、3教室のうちの1つが青眼釉薬教室(景山和浩師範代)だったことは冨沢陽一郎学匠(当時)の配慮でした。何しろ、[守]の師範や番匠を長く歴任する大ベテランの師範代が満を持して再登板する教室ですから、新任師範にとって負担は小さいうえに勉強になるだろう、ということです。実際、景山師範代のエレガントな指南や教室運営を間近で見ることは、私に多くの学びをもたらす編集体験となりました。
けれど、あらゆる場面で師範代が非の打ち所のないエディターシップを発揮した青眼釉薬教室は、結果的に全員卒門を果たすことが出来ませんでした。一方その傍らで、新任師範代の2教室はそれぞれに小さくない不足を抱えながらも、揃って卒門率100%をスコアしました。
さて、この3教室で起きた出来事は何を意味し、どう捉えるべきなのか…。
師範として編集稽古の現場に携わるほどに見えてくることは、師範代の編集プロセスやアプローチが必ずしも結果と相関しないという事実です。
結果にコミットするのであれば、講座完了率や受講継続率が100%に近いことは有力な評価基準になるでしょう。一方で、「師範代」が編集工学の学習者であることを思えば、その学習歴の長短や、教室運営について定量スコアされる数値に関わらず、そのプロセスにおける工夫や健闘や献身を大いに讃えるべきです。
はたして師範は、担当教室を見守るうえで、師範代の編集実践とその編集成果について、プロセスと結果との間のどこに相関関係を見出し、どのような評価を見出せば良いのでしょう。師範とは、何をスコアリングすることを求められて師範代のワキに立つのでしょう?
私自身の師範代体験が得体の知れない編集的負債を生んだこと。「インタースコア」なる掴みどころのない概念が外部情報としてもたらされたこと。師範ロールを担うことが否応なしに「問・感・応・答・返」のループを起動させたこと。
こうした自己問答をぐるぐると繰り返すなかで、私にとっての「与えられた問題」は自ずと「発見する問題」「作り出す問題」へと相転移し、やがて「インタースコア」という命題が私の胎内に着床するに至ったのです。
花伝式部抄(スコアリング篇)
::第10段:: 師範生成物語
::第11段::「表れているもの」を記述する
::第12段:: 言語量と思考をめぐる仮説::第13段:: スコアからインタースコアへ
::第14段::「その方向」に歩いていきなさい
::第15段:: 道草を数えるなら
::第16段::[マンガのスコア]は何を超克しようとしているか
::第17段::「まなざし」と「まなざされ」
::第18段:: 情報経済圏としての「問感応答返」
::第19段::「測度感覚」を最大化させる
::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
::第21段:: ジェンダーする編集
::第22段::「インタースコアラー」宣言
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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花伝式部抄::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
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