外国語から日本語への「翻訳」もあれば、小説からマンガへの「翻案」もある。翻案とはこうやるのだ!というお手本のような作品が川勝徳重『瘦我慢の説』。
藤枝静男のマイナー小説を見事にマンガ化。オードリー・ヘプバーンみたいなヒロインがいい。
「すぐに日本橋に移ってしまうからね(忘れられちゃうのよ)」。そう語ったのは、「べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館」を「大河ばっか!」メンバーで訪れた折、足を延ばした江戸新吉原耕書堂の先にあった、お茶飲み処の女主人でした。それは2月末のこと。まだドラマが始まったばかりで、蔦重が日本橋に進出したら、確かに吉原は忘れられてしまうのかもしれない。そう思っていた…が、どうしてどうして。ドラマの中盤になっても、そして日本橋へと舞台を移してからもなお、吉原にこだわった作品だったのではないでしょうか。
大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇめぇ~!!とこぼれ話をお届けします。
吉原とはどのような場所だったのか
ヴェネツィアで教養の高い女を探すとなると、「コルティジャーナ」と呼ばれる、一種の高級芸者に行きつくしかないのである。コルティジャーナとは、もともとの意味は宮廷の女ということで、このような名称で呼ばれるくらいだから、肉体的に美しいだけでは充分でない。楽器を見事に弾く才能から、文学についても一家言持つ必要があり、それに詩などものするようであれば、まずは一人前のコルティジャーナであると言うことができる。要するに、紳士方と教養ある会話を交わすことが、彼女たちの第一の仕事であった。その次にくる第二の仕事だけを重要視するようでは、コルティジャーナに通う資格のない、不粋人とされたものである。
塩野七生『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』
洋の東西を問わず…というと言い過ぎかもしれませんが、遊女というと教養が高いのが当然というのを不思議に感じていました。
吉原にいた女性たちもまた、読み書きができ、生け花や茶道に通じるなど、当時の市中の女性たちと比べてはるかに高い教養を身につけていたようです。
けれど、それは「美談」として語ってよいものなのか。そう考えると、吉原という場所が、男性の欲望に応える「商品」として、女性に知性や教養を求めてきた結果であることが見えてきます。蔦重のような貸本屋から本を借りて楽しむ遊女たちから、蝦夷地開発に向けた裏工作をするほどまでに知恵が回る(かなり危なっかしいものでしたが)、そしてそれに違和感がないたが袖花魁のような女性たち。
社交の場として客の言葉に耳を傾け、世の動きを敏感に感じ取っているからこそ、彼女たちの知性が磨かれていったのだと思います。
蔦重が吉原にこだわったのも、朝顔姐さんや瀬川の身の上を思いやっただけではないのではないでしょうか。情報がもっとも生き生きと行き交う場としての吉原を盛り立てたい、そのような気概があったようにも思えるのです。
蔦重の最後の贈り物?
江戸府内各所にある岡場所にお上の手が入るたびに官許の遊里の吉原が引き取ることになる。遊女が増えるのはよいが困った問題も生じた。
吉原は京の島原遊廓以来の格式やら仕来たりを遵守して、御免色里の権威を守ってきた。それが岡場所の摘発のたびに女郎、飯盛女を吉原が受け入れるのは、「吉原の岡場所化」を招いた。
ゆえに岡場所から下げ渡される遊女に一切目を向けない大見世もあった。
佐伯泰英『吉原裏同心(15)愛憎』
蔦重が最後に吉原にもたらしたもの、それは「新吉原定書(1795年)」でした。史実としての裏付けは定かではありませんが、蔦重の没年(1797年)を考えると、物語としては「あってもおかしくない」出来事です。
吉原で商いをする以上、守らねばならないしきたりを明文化し、お上のお墨付きをもらう。無粋と知りつつも、吉原の流儀を守るための定めを蔦重が提案し、亡八衆の親父さんたちが肯う。これまでに幾度となく描かれてきた蔦重vs亡八衆。時に調子よく、時に階段から突き落とす衝突を経て、最後は蔦重の提案に、親父様がたの「やるか」「おう」とまとまる。なんと粋な脚本でしょうか。
それはまた、死期が近づいていた鬼平の
「吉原はさらに厳しくなるであろう、それでも時には蓮の花が咲く泥沼であってほしい」
という願いを叶えるものでもあったのです。
書を持って世を耕す
そして最終回。
鬼平は蔦重を呼び出し、ある駕籠かき屋の前へと連れていきます。そこで交わされた鬼平と蔦重の会話に、瀬川の「せ」の字も一切出てきませんでした。しかし、誰もがすぐに瀬川のことだとわかったのではないでしょうか。
本を読む駕籠かきに近寄り、しゃがみこんで話しかける女性の後ろ姿。二人は、その姿に近寄ることも、声をかけることもしませんでした。なぜ、声をかけなかったのでしょうか。それは、彼女が瀬川であって、同時に瀬川ではなかったからでしょう。
「書をもって世を耕す」。それは、蔦重ひとりだけが成し得ることではなかったのです。蔦重の思いを引き受けた江戸の一人ひとりが、本を手にし、それを伝えていくこと。その営みこそが「書をもって世を耕す」という理念の真の姿だったに違いありません。
しかもそれを体現していたのが、かつて吉原の花魁だった一人の女性でした。そこに、この物語が伝えたかった大切なメッセージの一つが、静かに、しかし確かに具現化されていました。
女将さん、最後まで、吉原にこだわる蔦重を描く、こだわる脚本でしたね。
多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」では、大河ドラマを単なるエンターテイメントや知識として消費するのではなく、その奥底にある「骨」の手応えを、仲間と共に語り、分かち合っています。
時にはこぼれ話も、時には「あの時、あんな大河を…」なんて思い出話も。歴史の奥にある一シーンをリアルに取り出し、再現する。一緒に作り上げてみませんか、手に取るような歴史の一場面。
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多読で楽しむ「大河ばっか!」は大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブ。物語好きな筆司たちが「組!」になって、大河ドラマの「今」を追いかけます。
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