ISIS 20周年師範代リレー [第41期 山田細香 苦行を足場に、見晴台へ]

2021/11/14(日)09:00
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2000年に産声をあげたネットの学校[イシス編集学校]は、2020年6月に20周年を迎えた。第45期の師範代までを、1期ずつ数珠つなぎにしながら、20年のクロニクルを紹介する。

 

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山田細香は泣いていた。激務に悶えて泣いていた。自分を超えて泣いていた。山田が41[守]B面方眼教室師範代として登板した2018年夏、大阪は揺れた。6月には最大震度6弱の大阪北部地震、7月には西日本豪雨。ヒビの入った民家に、容赦のない長雨。相次ぐ災害に交通網も「JR西日本全線運転見合わせ」など嘘のように麻痺。人々は疲弊していた。

一級建築士の山田は、建築の構造設計が仕事だ。耐震偽造問題以降、煩雑化した業務におされ、毎日帰って寝るだけの生活。師範代には憧れたが、どうしてもその余裕はない。けれど、山田は諦めない。「やりたいから、やる」 腹を括って師範代を引き受ければ、37[守]凱旋シラブル教室で薫陶を受けた師範代大音美弥子を思わせる、編集的世界観へ向かう重厚な指南を積み上げつづけた。感門之盟を終え、山田は涙ぐんでいた。「仕事がつらかった。だから師範代をやっていてよかった」 学衆さんが私を師範代にしてくれた、私を変えてくれるのは他者なのだ。そう、山田はしんから実感したのだ。師範代としての編集稽古は「日々の救い」だったと形容する。

 

高校生のとき、寺山修司作・蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』を見て舞台芸術に憧れた。丹下健三の作品集に興奮し、建築学科を志す。卒業制作では「仮設の演劇舞台」をテーマに定め、寺山修司の舞台をリバースエンジニアリングした。山田の「仮設」という問題意識は、建築工学としては異端。毛色の変わった人と見られていた。しかし、編集工学となれば話は変わる。仕事の手法と、アブダクションを基礎とする編集工学が共振していった。

[守][破]の師範代を終えると、迷うことなく13[離]へ。史上初、蜷川別当賞・倉田方師賞の特別賞の二冠を獲得。『情報の歴史21』編纂プロジェクトに参画し、20周年感門では川野貴志とともに近畿大学ビブリオシアターで司会を担当。34[花]では錬成師範にも引き抜かれる華々しい活躍ぶりだ。だがその裏にはつねに苦悩があった。

35[花]入伝式で「略図的原型」に関するレクチャーを任されれば、松岡校長の手書きシェーマを3度トレース。徹底的な準備のもとクリアで堅牢な講義をするも、「何度なぞっても、どうしてもわからない」と悔し涙をにじませた。まわりが止めるほど準備をしても、甘んじない。錬成前には、雨の建築現場で足場から滑り肋骨を折る。その痛みさえも加速力に変え、キレのある頼もしい指導をみせた。忙しいときほど仕事は5倍に、危機こそチャンスオペレーション、自己を変えるのは他者と知る。松岡校長の教えを身に纏うようにヨージ・ヤマモトの黒衣だけを着て、山田細香は自己のスクラップ&ビルドに邁進する。

◎師範代メッセージ◎


 

>あのときメッセージ>

大阪北部地震、西日本豪雨、自然の驚異に怯えライフラインが滞る中でも、指南と回答は動き続けた。水増し改ざん、業界偽装事件の渦に呑まれ溺れそうになっても、学衆が新しい旅の地図を引き寄せてくれた。A面の戦いはB面の冒険で乗り切れると知った。

 

>これからメッセージ>

編集は新たな概念を発生させ《別様の可能性》を広げる。今こそ偶発性を歓迎し、多様性に向かいたい。

 

B面方眼教室  山田 細香

 


 

●あの日!あの時!千夜千冊!●

◯「かたり」の奥には「しるし」がある
1677夜 坂部恵『かたり 物語の文法』
…2018年6月12日

◎日米ミメロギアに見る、アナロジカル思考のススメ
1673夜 松山幸雄『ビフテキと茶碗蒸し』
…2018年5月02日

⦿不安と挫折と破綻こそが「人に成る」ための契機
1680夜 吉福伸逸『世界の中にありながら世界に属さない』
…2018年7月20日

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  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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