【イシスの推しメン/21人目】クリエイター夫婦がイシスで「夢」を叶えた?! 漫画家・今野知が思い出した「青春」とは

2023/05/27(土)08:20
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自分の欲望を押しこめて、人は大人になっていく。かつての「やりたかったこと」は押入れの奥にしまいこんだまま、その存在すらも忘れてしまう。しかしイシス編集学校の「編集稽古」の最中、学衆たちはしばしば押し入れに眠る宝物を見つけだす。そして、あのとき大事にしていた石ころの欠片が、いまも輝きを失っていないことに気づくのである。


遊刊エディストの人気連載「イシスの推しメン」20人目は、漫画家・今野知さん。イシスに入ってどうして顕微鏡にハマることになったのか。なぜあの「青春物語」が書けたのか。ご夫婦で受講した感触は。イシスに入って、かつての「夢」を叶えた経緯を聞いてみた。

 

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聞き手:八田英子 ほか

イシスの推しメン プロフィール

今野知

マンガ家、イラストレーター。複数のペンネームを使いわけ、4コマ漫画からキャラクターデザインやエッセイ執筆までおこなう。コミックは、日・中・韓・インドネシアにて出版。児童向け雑誌では子どもたちのヒーローを作画し、通信社発行の漫画の監修も担当。イシス編集学校にはコロナ禍の2020年4月、基本コース46期[守]に「家族割」を利用して夫婦で入門。夫婦そろって応用コース46[破]を突破、[遊]物語講座14季を績了し、今野夫妻の名がイシスで轟いた。[守]ではお題が出るとすぐに回答。教室の稽古を先頭で牽引した。最近のマイブームは顕微鏡。

 

■マンガ家、イラストレーター、そして、

 ゆるキャラの「中の人」

 

――今野さんは漫画家さんなんですね。

 

漫画だけでなく、イラストやデザインなどさまざまなジャンルの仕事を請け負っています。私のなかで核になっているのは、子ども向けの英語新聞に掲載する4コマ漫画です。もう13年以上になるでしょうか。お題として送られてきた1つの英単語をもとに制作する4コマ漫画を監修していて、たまに作画をすることもあります。それ以外にも、企業名は言えないのですが、とある「ゆるキャラの中の人」もしていたり……

 

――中の人?!

 

海外のキャラクターですが、かわいい感じのゆるキャラです。SNS上で、さまざまなコンテンツを発信しています。「嫁にしたい」と言うコメントを見たときは、身が引き締まりました(笑)。

 

――いまそのアカウントを拝見していますが、あら。これはかわいいですね。王道のゆるキャラという感じがします。キャラクターの「中の人」って、どうやったらなれるんですか。

 

 スカウトされたんです。ぼくは今は坊主頭の漢という感じですが、描くイラストはそれに似合わぬ可愛らしいものが多いんですね。で、そのイラストを見て、「このキャラクターには今野さんがあうんじゃないか」って依頼してくださったんです。

 

――最近では、男性が美少女のアバターをまとって活動する「バーチャル美少女受肉」いわゆる「バ美肉」というものもありますよね。ああいう感じで、キャラクターになりきっておられる感じなんですか。

 

いや、そうでもないんですよね。自分のなかに少年と少女がまざったような感性が残っているからでしょうか、ふつうにつぶやいているだけで「この子っぽい!」って言われますね。

 

――そもそも、どうしてイラストや漫画を描くお仕事を始められたんですか。

 

ゆるキャラのお仕事もそうですが、ぼくの人生は、何かを目指してそれを叶えてきたわけではないんです。絵を描くのは好きだったので、20歳から描いていました。27歳のときでしたでしょうか、mixiで漫画を公開したらゲーム業界の方からお声掛けいただいて、ゲームのキャラクターデザインなどを始めるようになりました。そのあとも周りの方々から頼まれるままに、猫マンガや猫エッセイをつくったり、子ども向けの絵を描いたりして、いまに至るという感じです。

 

▲今野さんの手による自画像。8つの顔があるが、これは口元が違うだけ。たくさんの顔を奥様とお子さんに見てもらい、いちばん今野さんらしいものがアイキャッチ画像のために選ばれたという。

 

■夢を叶えようと入門したイシス
 そこで思い出した、かつての青春


――とすると、どうしてイシス編集学校に入門されたんでしょうか。

 

人生で一回くらい、自分の夢を叶えてみたいなと思ったんです。ぼくは、マンガやイラストを描く仕事をしていますが、小さい頃の夢のひとつに文章を書くことがありました。それで、文章の学校を探して、見つけたのがイシス編集学校でした。

 

――たまたまネットで見つけた学校へ飛び込むのは勇気が必要だったのでは。

 

「編集」という言葉が気になったんです。イシスに出会うまえから、ぼくのなかで「自己編集」がキーワードになっていたんですよ。

 

――自己編集、ですか。

 

ぼくは、趣味で描いていた絵がたまたま仕事になってしまっただけでした。そのため、自分が絵を描きたいのか、なにかを表現したいのかなど、自分の欲望がうまく整理できていないことが多くて。そのため、自己編集が必要だなと感じていました。

 

――入門してみて、そのあたりの感触はいかがでしたか。

 

いやあ、面白かったですね。お題は、自分と向き合うものが多いじゃないですか。回答を考えているうちに、「自分はこれが好きだったな」と思い出すことが多かったです。

 

――私梅澤は、46[破]番記者時代に拝見した今野さんの物語作品が忘れられないんです。応用コース[破]で書かれた物語は、俳句に熱中する高校生を主人公としたもの。漫画『ちはやふる』のようなみずみずしい青春小説でしたよね。アリス大賞も受賞されていましたが、あれほどのキラキラな青春を描いたのはなぜだったんでしょうか。

 

もともと児童文学を書きたいという漠然とした夢はあったんですが、あの物語を書いているときはじめて「ぼくは青春を求めているんだ」って気づいたんですよね。稽古中、音楽を聞いていたのですが、物語稽古のときは選ぶものがザ・ブルーハーツとか銀杏BOYZとかばかりで。自分でも不思議なくらい、青春っぽい曲がしっくりきたんです。そして、気づいたらあの青春物語が出来上がっていました。

 

――稽古中に自分の求めているものに気づいたんですね。[破]の担当だった尾島可奈子師範代からはどんな指南がありましたか。

 

そうそう、尾島師範代に言われた言葉で忘れられないものがあります。あの物語に登場する女性について「『タッチ』の浅倉南ちゃんみたいですね」ってコメントくださったんです。それがずっと心に残っていて、[破]を突破するあたりでふと、なにかがわかったんです。

 

尾島師範代こそ、みんなの南ちゃんじゃないか!って。叱るときは叱ってくれるし、応援するときは心から応援してくれる存在で。ぼくにとって、イシスでの体験自体が青春のようなものだったのかもしれません。

 

 

■クリエイター夫婦がふたりで編集稽古をしてみたら
 「かつての興味」を思いだすイシス編集学校


――今野さんは「家族割」を利用して、ご夫婦でイシス編集学校を受講されているんですよね。アイキャッチもご夫婦がそろったイラストをご用意してくださいましたね。

 

そうです。もともとぼくが「こんな講座あるけど、どう?」って誘ったんですが、妻のほうがのめりこんでしまって驚いています(笑)。ふたりで、基本コース[守]、応用コース[破]と進み、[遊]の物語講座まで受講しました。ぼく自身は物語講座の受講を迷っていましたが、妻がぐいぐい引っ張っていってくれました。

 

――家庭のなかに同志がいるのは心強そうです。奥様はどうしてご受講されたんでしょう。

 

妻はゲームのライターなんです。プロとして文章を書いているものの、自分の物語を書いたことがなくて、ぼくと同じように積年の夢を叶えるべくイシスに入ったようです。

 

――受講中、ご夫婦ではどんな会話がなされていたんですか。

 

会話はイシスのことばっかりになりましたね(笑)。日常会話で「見立て」とか編集術の用語を使っていますし、うちの子どもへの接し方もずいぶん変わったと思います。夫婦ふたりとも、対話を通じて、いろいろな視点がもてるようになったからでしょうか。

 

――師範代的なコミュニケーションを、家庭内でも取るようになったんですね。

 

ぼくが[守]の番ボーで入賞したり、[破]物語AT賞でアリス大賞をとったときなんかは、大いに妻に自慢しましましたが(笑)

 

――そういえば、今野さんは文章を書くのが苦手だったとうかがいました。

 

そうそう、ほんとうに文章がへたくそなんです。仕事でもエッセイを書いているのですが、とんでもない時間がかかるんですね。ですから、苦しみながらイシスで文章をいっぱい書いているのをみて、妻から「ドMだね」って言われていました(笑)。教室の仲間の文章を見て、「こんなの自分には書けない」って泣けてくることばかりでしたよ。

 

――それでもめげずに続けられた理由は。

 

自分の文章力には絶望してましたけれど、でもやっぱり面白かったんですよね。南ちゃんのような師範代が励ましてくれましたし。それに、ぼくは好きなものにはすごくのめりこむほうで、今は顕微鏡にハマっていて……

 

――顕微鏡ですか。

 

いま研究用の顕微鏡5台あるんですけど、明日またもう1台来るんです。あまりにもぼくが顕微鏡のパーツを買うので、妻が呆れてます(笑)。顕微鏡では、ミドリガメの水槽にはえたを見たり、ヒルガタワムシという微生物などを観察しています。自分のなかではひとつのシャーレが、生命の惑星のように感じるんです。そのヒルガタワムシの姿をモニターに映しながら仕事をしています。

 

――……ええと、それはご趣味で?

 

そうですね、仕事には全く関係ありません。イシスに入って、いままでなんとなく好きだったものに手をだせるようになったんですよね。顕微鏡以外でも、むかしから字が汚いのを気にしていたので子どもと一緒に書道教室に通ったり、恐竜の骨が気になってしまってオークションでぼろぼろのものを落札してアロンアルファで補修したり、松岡校長もお好きな鉱石とかを集めたり……

 

――どうやらイシスの経験を経て、好きなもののフタが開いてしまったようですね。

 

伊丹十三監督の映画「マルサの女」で大好きなセリフがあるんです。「ポタポタ落ちてくる水をコップにためているとき、たまった水を飲んじゃだめ」「コップから溢れてくるものを舐めなさい」というものです。このセリフはお金を貯める秘訣として出てきたものですが、エンタメをつくるのも同じだと思うんですよ。めちゃくちゃのめりこんで、そこから溢れてしまったものがなにかを生みだす。物語講座のときは、顕微鏡をのぞきこむシーンなんかの描写はすらすら書けました。

 

――「編集は遊びから生まれる」ということをまさに体現しておられるようです。

 

ぼくにとって、イシス編集学校は「文章をうまくするためのツール」だけではなかったんですよね。それ以上に、自分と向き合って「そういえばこれが好きだった」という興味を思い出して、世界が勝手に広がっていったというありがたい場でした。

 

アイキャッチイラスト、文中イラスト:今野知 

アイキャッチデザイン:山内貴暉

 

 

シリーズ イシスの推しメン

 

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  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
    イシス編集学校メルマガ「編集ウメ子」配信中。