今回も大物ですよ。
【Legend50】は全員、大物なんですがね。
水野英子(みずのひでこ)は、もしかするとあまりマンガを読まない人にとっては、なじみの薄い名前かも知れません。しかし、この人が【Legend50】の一人として選定されているのには、ちゃんとした理由があるのです。
「世界に冠たる日本のマンガ」なんて、よく言われますが、世界中にマンガはたくさんあります。
しかし、他の国ではまず見られることのない、日本独自のマンガがあります。それは「少女マンガ」というジャンルです。戦後の日本マンガを語る上で、少女マンガの存在は、絶対にはずすことができません。とりわけ24年組の存在は大きいのですが、それは、この先おいおいご紹介していくことになるでしょう。
ところで、水野英子先生が、現在忘れられがちな作家になっている理由の一つは、その24年組という大きな断層があるためでもあります。プレ24年組は、ちょっとクラシックな世界になってしまい、好事家でもない限りなかなか手が出ないのですね。
しかし、水野英子は、ある意味で24年組以上に重要な、大袈裟に言えば「少女マンガ」というジャンルを創出した立役者とも言えるのです。実際、24年組をはじめとする後続の作家たちは皆ひとしなみに水野英子からの多大な影響を公言しています。彼女が切り拓いた地平の上に24年組革命はあるのです。
今回は、そんな水野英子先生の初期の代表作の一つ『星のたてごと』から模写してみました。
水野英子「星のたてごと」模写
(出典:水野英子『星のたてごと1』講談社)
元ネタは昭和35年の作品で、水野先生は、このとき二十歳です。私の模写ではとうてい再現できませんが、この【ゴージャス感】は、ただごとではありません。【ドレープのみごとなライン】は天下一品で、足もとまで届く長い髪もいいですね。全編を通してシルクとブロンドがうねるように乱舞していて絢爛豪華です。
こういう、【襞のうねり】のラインって模写しにくいですね。正確に写そうとすると線が死んでしまうし、かといってテキトーにざっくり描いても上手くいきません。四苦八苦しながら、なんとか仕上げました。
このように【コマをぶち抜いて】ヒロインを大きく描く手法は、高橋真琴などが先駆的に始めたものを水野英子らが洗練させていったものです。同じ画角の背景を【横にスライスして分割】する手法は、もしかしたら石森章太郎を参考にしているかもしれません。
それにしても水野英子の絵は、人物も動物も背景の建物にいたるまで、一つ一つのマテリアルに【三次元的な奥行き】がしっかりあることに感心します。当時は、ネットがないのはもちろんのこと、ビジュアル関係の出版物も十分なものではありませんでしたから、西洋を舞台にした作品を描こうにも、資料が乏しく、映画などを目に焼き付けて描いていたようです。水野英子の【カメラアイ】おそるべし!
ところで水野英子に関して、もう一つ忘れてはならないのは、彼女はれっきとしたトキワ荘グループの一人であるという事実です。つのだじろうのような通い組ではありません。紛れもない住人の一人でした。
トキワ荘が語られるとき、なぜか水野先生のことはネグレクトされがちなのですね。トキワ荘を舞台にした物語などでも、下手をすると、まるでいなかったようになっています。(『まんが道』には水野英子が一切出てきません。)
もちろん、現実には水野英子と他のトキワ荘の住人達が疎遠だったわけでは全然ありません。水野英子は、石森章太郎、赤塚不二夫と三人でU・マイアというペンネームを作り、いくつかの作品を残しています。
この三人で、どんなマンガを描いたか想像がつくでしょうか。
実は少女マンガです。
当時は少女マンガの多くは男性作家が描くものでした。ちばてつや、赤塚不二夫、石森章太郎、横山光輝、藤子不二雄、松本零士、白土三平といった 【レジェンド50】の多くの作家が、若い頃に少女マンガを描いています。
そんな中で、水野英子は極めて早い時期の女性作家の一人でした。彼女の出現によって、多くの男性作家たちが打ちのめされ、もはやここは男の出る幕ではない、という流れを生み出したのです。現在につらなる少女マンガのフォーマットが確立されるのが、おおむね1960年前後なのですが、そこで最も大きな役割を果たしたのが水野英子でした(他に重要な作家としては、わたなべまさこ、牧美也子などがいます)。
水野英子が少女マンガに持ち込んだのはラブロマンスの世界です。少女マンガは恋愛を描くもの、というのは当たり前のように思われますが、水野以前は、少女マンガといえど、恋愛を真正面から捉えることはなく、手塚治虫の『リボンの騎士』などに、ほのかな憧れという形で示される程度のものでした。それまでの少女マンガは、生き別れの母、不幸な少女、といったお涙ちょうだいの日本的メロドラマが主流でした。そこへ水野英子は、外国を舞台にしたハリウッド映画のような絢爛豪華な世界を描いて見せたのです。
水野英子を見出したのは、講談社の名編集者、丸山昭でした。マンガに限らず、どのジャンルでもそうですが、評価の定まっていない有象無象の群れの中から、ほんとうにスゴイやつは誰なのかを見分け、育て上げることのできる名プロデューサーの存在こそが重要です。戦後マンガ史上、名編集者と呼ばれる人は何人か名前が挙げられるかと思いますが、その中でも丸山昭は最も重要な一人です。
この人は、見どころのある若者を次々と東京に呼び寄せては住まいの世話をするなどして、トキワ荘グループの礎を築きあげた人でした。
手塚治虫に『リボンの騎士』を描かせるなどして少女マンガの屋台骨を組み立てた丸山が、次に白羽の矢を立てたのが水野英子です。中学卒業後、下関の魚網会社で働いていた15才の少女の元に、丸山が一通の手紙を送ったことが、レジェンド水野英子の誕生のきっかけとなりました。丸山は偶然、手塚治虫の家の押し入れから水野英子の投稿原稿を見つけ出し、その非凡さをただちに見抜いたのです。
この丸山編集者の指導のもと、最初は原作つきマンガなどで力をつけ、石森、赤塚との合作であるU・マイア作品などの修行期間を経た後、いよいよ発表されたのが1960年のオリジナル作品『星のたてごと』でした。 北欧神話をベースにした、これほど壮大なスケールのドラマは破格のものでした。水野英子の登場により少女マンガの可能性は、いっきに拡大することになったのです。
さらに『すてきなコーラ』『ハニーハニーのすてきな冒険』といった作品で、ラブコメの元祖ともいえるロマンチックコメディのジャンルを創出し、『白いトロイカ』(1964)では、前代未聞の近代史ドラマに挑戦しています。これも当時としては常識はずれの企画で、編集部の猛反対を押し切ってのスタートだったと言います。しかし、これこそが、のちの『ベルサイユのばら』(1972)をはじめとする、少女マンガにおける史劇物のルーツとなるのです。
1969年に発表された『ファイヤー!』は、ウッドストックの時代を背景に、ロックとカウンターカルチャーを正面から扱った破格の作品でした。レディコミなど影も形もない時代に男女のベッドシーンを描いたりして物議をかもしています。
少女マンガの定番ともいえる瞳の中の星を最初に発明したのは誰か、ということについても、それこそ諸説あるのですが、水野英子が大きな役割を果たしたのは間違いのないところです。とにかく、「少女マンガ」と聞いた時に私たちが思い浮かべる定型的なフォーマットの多くを水野英子が創出していたのです。そのため、水野英子は「女手塚」なるあだ名で呼ばれることがあります。
たしかに、業界のイノベーターとしては手塚並みの仕事をしたと言えるでしょう。しかし手塚と決定的に違うのは仕事に対するスタンスでした。手塚は、まるで亡者か悪魔のように仕事に取り憑かれた男でしたが、水野英子は仕事よりプライベートを優先したのです。
大作『ファイヤー!』の執筆後、水野英子はシングルマザーとしての生活を優先するため、人気絶頂の中、第一線から退く決断をします。
ときあたかも、少女マンガ界に24年組革命が起きているさなかのことでした。水野英子の薫陶を受けた若き作家達が、いよいよその才能を大爆発させつつあったのです。そうした時代の転換期を前にして、水野英子は業界の最前線から一歩引く選択をしました。結果的に、以後のマンガ史の中で大きな爪痕を残せなくなってしまったのは残念でなりません。
現在、水野英子先生は、自費出版で『トキワ荘日記』という本を出したり、トキワ荘の資料保存や復興などのプロジェクトに積極的に関わっていらっしゃいます。今こそ、資料がきちんとした形で残せるかどうかギリギリの瀬戸際だという危機感を持っていらっしゃるようですね。トキワ荘グループの中では、なにかと軽い扱いをされがちだった水野先生が、今や一番率先してトキワ荘のために頑張っていらっしゃるのだと思うと胸が熱くなります。
アイキャッチ画像:水野英子『星のたてごと1』朝日ソノラマ
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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