遊刊エディスト:松岡正剛、編集工学、イシス編集学校に関するニューメディア https://edist.ne.jp Tue, 21 Jan 2025 08:44:52 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.5.2 https://edist.ne.jp/wp-content/uploads/2019/09/cropped-icon-512x512-32x32.png 遊刊エディスト:松岡正剛、編集工学、イシス編集学校に関するニューメディア https://edist.ne.jp 32 32 185116051 元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた#06――いらいら https://edist.ne.jp/cast/mother06/ https://edist.ne.jp/cast/mother06/#respond Tue, 21 Jan 2025 08:44:52 +0000 https://edist.ne.jp/?p=80134

 [守]の教室から聞こえてくる「声」がある。家庭の中には稽古から漏れ出してくる「音」がある。微かな声と音に耳を澄ませるのは、秋に開講したイシス編集学校の基本コース[守]に、10代の息子を送り込んだ「元師範代の母」だ。

 わが子は何かを見つけるだろうか。それよりついて行けるだろうか。母と同じように楽しんでくれるだろうか。不安と期待を両手いっぱいに抱えながら、わが子とわが子の背中越しに見える稽古模様を綴る新連載、題して【元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた】。第6回目のオノマトペは「いらいら」。え!? 何があったの?


【いらいら】

物事が思い通りにいかず、焦ったり腹を立てたりして、気持ちが落ち着かないようす。

『「言いたいこと」から引けるオノマトペ辞典』(西谷裕子/東京堂出版)

 

「えー、わからん! えー! どういうこと? もぉっ!!」

 

 いつになく声を荒げ、キーボードを叩く音が聞こえる。

 長男が取り組んでいるお題は、用法3「しくむ/みたてる」【020番:コンパイルとエディット】だ。時刻は22時になろうとしている。母は「もう明日にしな」と声をかけるが、どうしても今日中に回答をしたいらしい。明らかにイライラとした様子で、何度もお題の意味を聞いてくる。口から出てくる言葉もだんだんと荒くなっていった。

 

 「はぁー、もう、わっかんない。もうわかんないから寝るわ」と言ったそばから、「あー、なんで自分こんなことやってんの。もー!」と叫ぶ。続けて「お題の一個一個の言葉の意味はわかるけど、文章になったら全くわからない。それに64編集技法って何なの! なんでいちいちこんなむずかしい言葉を使うの! こんなんに時間を使っているのが嫌。一瞬で理解したい」。長男の困難との遭遇に、母は目を閉じた。

 

 検索窓に言葉を入力すれば、数秒で大概の情報が手に入る時代だ。生成AIの登場は、物事をはやく進める後押しをした。しかし、このはやさを誤解すれば、人から考える時間を、問いが生まれる兆しを奪うことになりかねない。瞬時にわかったという錯覚だけが重ねられれば、シミもザラつきも記憶の森に残さない日々を、過ごすことにならないだろうか。そうではいけないと母は思うが、それでいいとする世の中もあることを最近は感じる。中学2年生の長男もそんな世の中で生きている。先ほどの「一瞬で理解したい」という長男の言葉は、このことを象徴しているように思えた。

 

 加えて学校の授業は、時間で区切られ、教科で分けられ、評価のための単元テストがあり、単元ごとになんらかの理解をしなければいけない。その時々にわかるということは大切だが、たとえわかりにくいことがあってもわからなさを抱えたまま、それでもその奥へ進みたいと思えるようになってほしいと母は思う。長男は通常の授業では出会わない『問い』に、大いなる戸惑いを抱いているようだった。

 

 すべてのものを『情報』として扱う編集工学では、情報を人によって解釈の変わらない【データ】と解釈自由度の高い【カプタ】の2つに区別する。長男が戸惑っている020番【コンパイルとエディット】は、お題にある言葉をデータを扱う【コンパイル的定義】と、カプタを扱う【エディティング的定義】にして回答せよというものだ。

 

 長男の稽古模様にじっと耳を澄ませていると、そもそもよくわからない言葉もあるようだった。とりあえず、わからない言葉については、辞書で調べることにしたらしい。そして、わかりやすく、納得したものをコンパイル的定義とした。難解なのはエディティング的定義だ。エディティング的定義では、個人的な記憶を持ちよって解釈を綴ってよい。長男は小学生の頃、毒に興味を持っている時期があった。悩んだあげく、そのことをヒントに、お題である薬のエディティング的定義を回答した。

 

 さらに020番のお題では、自分が書いた文章から【64編集技法】を取り出すことになっている。64編集技法とは、[守]基本コースの全受講者が手にする松岡正剛著書『知の編集術』(講談社)でも紹介されている、あらゆる編集手法を64の項目にしたものだ。

 

 回答手順に混乱した長男は、編集64技法の説明も求めてきた。まずは、[編纂]と[編集]があること。エディティング的定義では、[編集]の技法がいくつも使われていること。例えば、虹の色の名をつらねることは【列挙】。わざとおもしろおかしく言ってジョークにすることは【諧謔】。などなど。少しだけ解説すると「あっているかどうかわからんけど、こんなんでいいの?」と何度も確認しながら、キーボードを叩いていた。不安なのだろう。答えのない問いというのは、母が思っている以上に心をかき乱すようだった。そういえば、母もコンパイルとエディットでは、休日の朝から晩までをついやしながら、わからなさにまみれ悶えた記憶がある。

 

 「わからない」というもどかしさに胸をかきむしる。そこには「わかりたい」という渇きがあると思いたい。それはとても人間的な営みだ。だから「わかる」ということが困難な時、人は様々な反応を表すのだろう。諦め、苛立ち、攻撃、不安。それらは、マイナスなエネルギーとして忌み嫌われることが多いが、見通しのよい舗装された平坦な道にはないひずみだ。時にアスファルトの割れ目にもなる。また、そこから生え出る雑草のように、生命力に溢れた感情なのではないだろうか。しかし、検索窓で得られる瞬時にわかったという錯覚に慣れると、人間的な感情に耐えられず、思考を放棄することがあるように感じる。

 

 諦め、苛立ち、攻撃、不安という一通りの反応を終えると、長男は静かにモニターに向かっていた。何かを乗り越えたのかなと少しだけ安堵する。しかし、彼のパソコンの画面をのぞいた母は、自分の目を疑った。そこはすでに自作のゲーム画面に変わっていた。 

 「切り替え、はやっ」

 母は心の中でつっこんだ。

(文)元・師範代の母

 

◇元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた◇

#01――かちゃかちゃ

#02――ちくたく

#03――さくっ

#04――のんびり

#05――うんうん

#06――いらいら

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松岡正剛の魂「伝説の本屋 『松丸本舗』リターンズ」、君はもう体感したか?(丸善丸の内本店 2/28 までフェア開催) https://edist.ne.jp/just/matsumaruhonpo_return_fair/ https://edist.ne.jp/just/matsumaruhonpo_return_fair/#respond Sun, 19 Jan 2025 23:30:10 +0000 https://edist.ne.jp/?p=80312

「夢か幻か」   福原義春

 

あれは幻だったのか。

東京駅北口の丸善丸の内本店の四階に松岡正剛の魂が呼び寄せられた。

魂は昔在った本屋さんを近未来的に実現することを要求した。

魂はまた、画一的な本棚の中に押し込められるのを嫌った。

魂が本棚のあちこちの座りにくい場所にちょこんと座ったり浮遊したりしていたような気がした。

 

あれは幻だったのか。そうではない。

 

松丸本舗の事件はまもなく幻となる。

だがその記憶は世の中に次の種を残した。

どこでどう発芽することになるか。

まだ誰にも判らない。

『松丸本舗主義 奇跡の本屋、3年間の挑戦。』p.3から引用

 

 

2009年から2012年まで3年間オープンした、松岡正剛校長が手掛けた幻の書店「松丸本舗」には、実に多くの人々が魅せられた。資生堂名誉会長 福原義春氏も、その一人だったに違いない。『松丸本舗主義』に寄せられた福原氏のメッセージは、”それは幻などではなかった。なぜなら、その証として、2010年6月27日の東京新聞に、松丸本舗ロゴ入りエプロンを着けて店内にいる自身の写真が掲載されたからだ” と締めくくられている。福原氏の書斎を再現した本棚も存在した。ご自身も松丸本舗という奇想天外な書店空間を大いに楽しんだことだろう。続きは同書328ページを読まれたい。

 

福原氏をして夢か幻かといわせたその魅惑の本棚空間が、2024年12月26日、丸善丸の内本店によみがえった。松岡校長逝去への追悼企画として、2025年2月28日まで「伝説の本屋 『松丸本舗』リターンズ」(ブックフェア)が、本店3階のミュージアムゾーンで開催されている。

 

フェア実現に奔走された大音美弥子さんにお話を伺った。当時、松丸本舗でブックショップエディター(BSE)をつとめられた姿が『松丸本舗主義』巻頭カラー写真として大きく掲載されている。

 

書籍『松丸本舗主義』大音美弥子さん

『松丸本舗主義』巻頭見開きカラーで掲載された、当時松丸本舗で開催された「共読」の様子

 

今回のフェアで再現されたのは、松丸本舗のなかでも「本殿」と呼ばれていた、求龍堂版千夜千冊全集を再現する棚組だ。イシス編集学校では、昨年9月に「第84回感門之盟 25周年 番期同門祭」が行われ、松丸本舗ブースが展示フロアで展開された。今回のフェアでは、その際にBSE 5人でつくった書籍リストを核として、松岡正剛事務所の寺平賢司さんが千夜千冊に掲載されていない関連図書である通称“枝本”をプラスした。全集7巻のそれぞれから200冊以上が選ばれ、トータルでは1500タイトルほどがそろえられている。

 

また、コーナーの中央にある柱から右側は松岡校長著書コーナーとなっており、全集でいえば“黒本”にあたる書籍が並ぶ。黒本とは、総重量13.0kgにもなる7冊の全集に付随した、黒光りする「書物たちの記譜」と名付けられた1冊の特別巻のこと。その黒本には、松岡の年譜が綴られている。

 

フロアには、当初を再現するかのように、重要な書籍には「Key Book」の赤い帯が巻かれ、校長直筆のグラフィティが飾られている。松丸本舗を訪れたことのある人には懐かしく、初めての方々にも新鮮な驚きを提供する仕掛けだ。

松丸本舗@丸善丸の内本店

 

書店業界に一石を投じたプロジェクトである松丸本舗の再現フェアをつくるにあたり、書籍リストや棚づくりに参加した4人の皆さんからメッセージをいただいた。閉店後に夜を徹して準備したメンバーたちだ。

 

<岡村豊彦さんからのメッセージ>

okamura 松丸本舗の時代はBSEではなく、毎週通う常連客だったのですが、2年前から始めた青熊書店の経験を買われ、棚組みに参加しました。作業は「Key Book」帯を巻くところから始まり、まずは本殿の5巻を担当。『忘れられた日本人』『日本の歴史をよみなおす』『ひかりごけ』どれも松丸本舗で出会った本でした。

 物語講座2綴、6離、14花、25守破師範代という時期で、どうやったら視野を広げられるか悩んだとき、ヒントをもらいに行ったものです。そのとき、迷宮のような棚の並びの中で導きの星になってくれたのが「Key Book」の帯をまとった本でした。1冊1冊帯を巻きながら、誰かの読書の扉を開く、鍵となってくれればと思いました。

(53破評匠、多読アレゴリア「音づれスコア」聴匠・岡村豊彦)

 

<森山智子さんからのメッセージ>

森山さん かつて松丸本舗では不定期に松丸ツアーというのを開催していて、BSEが旗をふりふり松丸本舗の棚の全てをご案内していました。「ほらここ、ご覧ください。松岡正剛直筆のメッセージがかいてありますよ」と、棚に書かれた文字をご案内すると、みなさん本の見え方が一変するんです。お客様の視線を浴びて本たちも嬉しそうで。。例えば5巻の棚には「日本の秘密は、翁童、神仏習合、護法童子・・・」というのが書いてありましたが、役に立ちます!とか〇〇さん大絶賛!といったメッセージの何倍も何重も多様な「問い」が立つというしかけ。今回。松丸本舗リターンズにも出現していますので、是非自分だけの「問い」が誘う本を手にとってくださいね。

(元松丸本舗BSE、多読アレゴリア「着物コンパ倶楽部」部長・森山智子

 

<川田淳子さんからのメッセージ>

川田さん 松丸本舗といえば文脈の棚。千夜千冊で紹介されたキーブックを中心に、意味のつながりが棚の上下斜めに走ります。 たとえば。空海の『三教指帰』の右隣に儒教や道教、インド思想の本が並び、左隣には水銀(丹生)などの鉱物の本が並び、さらに修験道の本がやってくる、とか。そうやって本の並びに意味が生まれ、本棚全体がえもいわれぬ風景、ストーリーを表現してくれるのです。

 キーブックの周辺をそうやって繋ぐ「枝」となる本も、出版状況の変化で、松丸本舗当時とは違ったものもあります。けれど、本の並びが棚に魅力を与えることは変わりません。松丸フェアで、そんな棚の意外な顔に出会ってください。あなたなら、どんなストーリーを見出しますか?

(元松丸本舗BSE・川田淳子)

 

<大音美弥子さんからのメッセージ>

oto miyako たとえば『銀の匙』。2000年4月に千夜千冊31夜にアップされた中勘助の名作は松岡正剛の大のお気に入り。求龍堂版全集で第1巻第1章の冒頭に配置したのは「読書というものの香りがわかる」から、と必読を促している。エディション『少年の憂鬱』1章「失われた時へ」でもプレヴェールや啄木と並んでおとなをどぎまぎさせるために登場する。千夜千冊ファンなら必携の文庫だが、安野光雅のイラストを加えた愛蔵版が2019年に出版され、19世紀末の日本を甦らせていようとは。書店に日々出入りしていないと、こういうことがわからない。愛読書のアップデートや「もどき」の連打など、やっぱり書店、とくに松丸本舗は既知を未知に変えてくれる空間なのだ。

(元松丸本舗BSE、多読アレゴリア冊匠、「終活読書★四門堂」堂守・大音美弥子)

 

 

当時の松丸本舗を撮影した写真や松岡校長の執筆風景、千夜千冊メイキング動画など、映像資料も展示されている。松岡正剛校長の面影を感じたいなら「伝説の本屋 『松丸本舗』リターンズ」へ。Facebook、X、Instagramでも、訪れた方々がそれぞれの感想を綴り始めている様子が見受けられる。話題が広がりつつあるようだ。関東近辺の方々も、遠方の皆様も、期間中に一度はぜひ足を運んでみてほしい。

 

 


  • ●追悼 編集工学者・松岡正剛 伝説の本屋 「松丸本舗」リターンズ 開催

・期間: 2024年12月26日(木) 09:00~2025年02月28日(金) 19:00

・場所:丸善丸の内本店 3階

・特典:お買上げの方には、第一弾「ショッパー(点丸ブクロ)」、第二弾「ブックバンド」を配布するとのこと。(なくなり次第終了)

関連情報:

https://honto.jp/store/news/detail_041000108734.html

https://book-link.jp/media/archives/18779 


 

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武邑光裕の新·メディアの理解⑥ テクノポリー(技術支配)への対抗文化は可能か?  https://edist.ne.jp/nest/mitsuhiro_takemura06/ https://edist.ne.jp/nest/mitsuhiro_takemura06/#respond Sat, 18 Jan 2025 23:27:46 +0000 https://edist.ne.jp/?p=79992 マクルーハンとメディア形式 

マーシャル・マクルーハンは、20 世紀半ばの世界を大胆に分析し、テクノロジーが人類をどこへ導くのかという予言的なビジョンを提示した。以下は、マクルーハンの 1964 年の著書『メディアを理解する:人間の拡張』の冒頭からの引用である。 

 

「断片的な機械的な技術によって3000年にわたって爆発的に発展してきた西洋文明は、今や内側に向かって崩壊しつつある。機械の時代、私たちは身体を空間に拡張した。今日、1 世紀以上の電気技術を経て、私たちは中枢神経系自体を地球全体に拡張し、地球に関する限り空間と時間の両方の制限を廃止した。私たちは急速に、人間の拡張の最終段階、つまり意識の技術的シミュレーションに近づいている。その段階では、さまざまなメディアによって私たちがすでに感覚と神経を拡張したのと同じように、創造的認識プロセスが集団的かつ組織的に人類社会全体に拡張される。」 

 

マクルーハンの生きた時代には、インターネットもソーシャルメディアもAIも現れていなかったが、彼は現代の「人間拡張の最終段階」を見通していたかのようである。彼の最も引用されたアイデア、「メディアがメッセージである」に焦点を当てよう。この不可解で挑発的なフレーズは何を意味するのだろうか?マクルーハンの重要な考え方は、あらゆるテクノロジーの本当の効果は、それが実際にどのように構築されているかというその形式(形態)から生じるということである。この考え方は、彼の有名な格言である「メディアがメッセージである」の中心となるものである。 

 

マーシャル・マクルーハン 訳:栗原裕、河本仲聖『メディア論 人間の拡張の諸相UNDERSTANDING MEDIA』(みすず書房)

 

メディアとコンテンツ 

ここで言う「形式」とは、情報を伝えるために使用されるテクノロジーやツール(テレビ、ラジオ、印刷物、インターネットなど)を指し、それを通じて伝達される特定のコンテンツ(テレビ番組、書籍、ウェブページなど)を指すものではない。マクルーハンにとって、メディアの構造と特性は、それが伝えるコンテンツよりもはるかに深く、人々が世界を認識し、世界と関わる方法を形作る。 

 

例えば、テレビのニュース番組と印刷された新聞は同じ内容を伝えるかもしれないが、その形式(テレビと印刷物)は根本的に異なる効果をもたらす。テレビは、視覚と聴覚の即時性、感情的な関与、受動的な消費スタイルを促す。一方、印刷物は能動的な読解を必要とし、直線的な思考を促し、文章を通して批判的分析を行う。 

マクルーハンの枠組みでは、形式とはメディア自体の特性や構造、すなわちコミュニケーションの方法、知覚の形成、社会との相互作用を意味する。形式に焦点を当てることで、マクルーハンはテクノロジーが人間の思考や文化にいかに深く影響を及ぼすかを明らかにした。その影響は、テクノロジーが提供する特定のコンテンツよりも甚大であり、この視点は、メディアやテクノロジーが個人や社会に及ぼす変革的な影響を理解する上で基礎となるものである。 

 

それぞれのテクノロジーは、私たちを変え、新たな欲望や可能性への暗黙のメッセージを伝えている。銃を撃ったことのある人なら誰でも、初めて銃を持ったときのことを思い出すだろう。銃はある意味、あなたに語りかけ、メッセージを伝える。銃はあなた自身を変えるのだ。 

 

ニール・ポストマンと「テクノポリー」 

マクルーハンは、多くの読者を困惑させたが、こうしたメッセージの力に抵抗し、その力から逃れる方法を明確には示してくれなかった。マクルーハンに続く20世紀のメディア・エコロジーの創始者で文化評論家が、ニール・ポストマン(Neil Postman, 1931年2003年)である。ポストマンは、マクルーハンのテクノロジーに対する中立性を否定し、私たちはテクノロジーに対するコントロールを取り戻すことができると主張した。 

 

ニール・ポストマンの1992年の著書『テクノポリー:テクノロジーによる文化の征服(Technopoly: The Surrender of Culture to Technology)』(邦訳『技術vs人間―ハイテク社会の危険』GS研究会翻訳、新樹社 1994)は、テクノロジーと社会の関係を批判的に検証し、テクノロジーが支配する現代の文化、とりわけ技術的全体主義社会を予見していた。ポストマンは『テクノポリー』の中で、まず道具を使う文化とテクノポリーを区別している。 

 

「テクノポリー」という用語は、ポストマンが作り出した造語である。これは、ギリシャ語の語根である「テクネ」 (τέχνη、techne、すなわち芸術、工芸、または技能、さらに技術を意味する)と、「ポリ」(πολις、polis、すなわち都市または国家を意味し、より一般的に「独占」や「寡占」のような複合語では「支配」と解釈される)を組み合わせたものである。 

 

ポストマンのこの本は、テクノロジーの革新が数多くの利益をもたらす一方で、文化的価値を支配し、再形成する可能性があること、そしてその際には伝統文化、批判的思考、倫理的考察が犠牲になることを探求した。ポストマンは、テクノロジーを無批判に受け入れること、そしてテクノロジーが人間の文化を形成する上で決定的な力となる可能性を懸念していたのである。 

 

ニール ポストマン 翻訳:GS研究会『技術vs人間 ハイテク社会の危険』(新樹社)

 

侍文化と刀 

すべての文化は道具を持っているが、一部の文化は道具の用途を制限し、それを正しく方向付けるのに必要な道徳的資源を有していた。その明確な例として、彼は日本の侍文化に言及していた。刀の洗練と使用は、強力な社会規範によって厳しく規制・指導されていた。刀を振るうことは確かに強靭さをもたらすが、武士文化はそうした感情を抑制し、生産的で健全な目的へと向かわせるための「文化」を形成した。そのため、名誉の要求から、刀の使い方は極めて特殊な事態に限られ、名誉が著しく損なわれた場合には、刀で切腹することも求められた。これは、強力な道具を所有しながらも、その道具をいつ、どのように使うかを統制している社会集団の例である。これが道具を使う文化である。 

 

しかし、テクノポリーでは、道具が主人となる。道具はそれ自体の生命を持つようになり、多くの事前の道徳的信念や制約を排除する。テクノポリーとは、「テクノロジーにその正当性を求め、テクノロジーに満足を見出し、テクノロジーにその命令を仰ぐ」社会である。このような社会では、テクノロジーの進歩は本質的に善であり、不可避であり、自己正当化されるものと想定され、テクノロジーが文化、価値観、人間の幸福に与える影響について、ほとんど批判的な検証が行われない。 

 

テクノポリーの主な特徴 

テクノポリーでは、テクノロジーの優位性が、統治、教育、経済、さらには倫理を含む生活のあらゆる側面を支配していく。伝統的な知識、知恵、文化的な慣習は、時代遅れ、または無関係としてしばしば退けられる。意思決定は、技術的および科学的専門家、あるいはAIによって行われるようになり、道徳的、哲学的、または人文的な考慮事項は脇に追いやられてしまう。 

 

数値化された生活によるデータと測定基準が、成功、価値、進歩を測る主な基準となる。効率、スピード、革新に重点を置くことで、意味の喪失やより深い文化的、精神的なつながりが損なわれることが多くなる。ポストマンは、テクノロジーが社会に与える影響の段階的進化について次のように説明している。 

 

  1. 道具使用社会:道具は既存の文化的、精神的な価値観を補うものとして役立つが、それらに挑戦したり、支配したりすることはない。
  2. テクノクラシー:テクノロジーは従来の規範や価値観に挑戦し始めるが、それらを完全に置き換えることはない。テクノロジーは他の文化的勢力と共存する。
  3. テクノポリー:テクノロジーが唯一の権威となり、そのイメージに合わせてあらゆる文化的価値観や制度を再形成する。テクノポリーにおいては、バランスは存在せず、テクノロジーが文化となる。

 

テクノポリーの例と応用 

現代の例として、ソーシャルメディア(Facebook、YouTubeInstagramX、TikTokなど)のようなプラットフォームは、社会的な行動や自己価値、さらには政治的な議論さえも形作っているが、その社会的影響に対する批判的な検証はほとんど注視されない。医療技術や評価基準への過剰な依存は、患者への総合的なケアよりも、手順や利益を優先させることがある。教育分野において、標準化されたテストやデータ主導の学習に重点を置くことは、創造的思考や批判的思考を損なう可能性が大である。 

 

テクノロジー(例えば人工知能、監視、オートメーション)の増加が常に良い結果につながるという前提は、テクノポリーの考え方を反映している。ポストマンは、30年以上前に、現代社会がこれらのテクノロジーを無批判に受け入れていることを批判し、その広範な文化的・倫理的影響を考慮しないことに重大な懸念を表明したのである。 

 

ポストマンは、テクノポリーが人間の価値観、批判的思考、意義深い伝統文化の真髄を浸食する可能性があると警告した。テクノロジーが進歩するにつれ、社会の優先事項が再形成され、効率性や革新性が、人間の幸福を支える手段ではなく、それ自体が目的となってしまうからである。 

 

ポストマンの警告と新たな対抗文化 

彼の著作は、読者に次のような疑問を投げかけている。私たちはテクノロジーをコントロールしているのか、それともテクノロジーが私たちをコントロールしているのか?テクノロジーの進歩を追い求める中で、文化的深層や倫理観を失ってはいないだろうか? 

 

ニール・ポストマンが造語した「テクノポリー」という言葉は、テクノロジーが文化や意思決定のあらゆる側面を形作り、支配する社会のあり方を端的に表している。それは、テクノロジーを生活に取り入れる方法を見直し、テクノロジーそのものを文化とせず、テクノロジーを自らコントロールする文化を成熟させることの提言なのである。そのためには、かつて1970年代以降に起こった主流文化への対抗と非主流文化の醸成に注目する必要がある。 

 

これは、テクノロジーを制限し、制御するための道徳的資源を再び獲得することを意味する。つまり、現代のテクノポリーに対峙するためには、20世紀とは大きく異なる新たなカウンターカルチャーが必須となるのである。 

 

アイキャッチデザイン:穂積晴明

図版構成:金宗代

 

▼武邑光裕の新・メディアの理解

 新·メディアの理解⑥ テクノポリー(技術支配)への対抗文化は可能か? 

 新・メディアの理解⑤ ソーシャルメディアが承認欲求とカリスマを増幅する理由

 新・メディアの理解④ 紙の書物は消えず、書店に人々が戻ってくる理由

 新・メディアの理解③ ユニバース25実験とメタバース

 新・メディアの理解② スマートフォンと「気晴らし文化」の闇

 新・メディアの理解①

 

 

 

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【オツ千 面影日本vol.15】妣が国へのアクセスワード https://edist.ne.jp/dust/otsusen_omokage15/ https://edist.ne.jp/dust/otsusen_omokage15/#respond Sat, 18 Jan 2025 22:00:56 +0000 https://edist.ne.jp/?p=80035 「おっかけ!千夜千冊ファンクラブ」。ちぢめて「オツ千」。千夜坊主こと林頭の吉村堅樹と千冊小僧こと方源(デザイナー)の穂積晴明。「松岡正剛の千夜千冊」ファンを自認する二人が、千夜のおっかけよろしく脱線、雑談、混乱の伴走するショート・ラジオ。新たな企画として千夜千冊エディション『面影日本』を一夜ずつおっかけ。第15回目は近藤信義『枕詞論』です。

 

 

神やトポスを永遠に再生する装置。古代共同体の始原の様式。妣が国=常世のライフ・インデックス。万葉集の時代から受け継がれてきた枕詞は、「日本という方法」の秘密が込められた濃縮ホットワードであった。何かと何かをつなげ、類が類をよぶルイルイ縫い込み言語。つぎつぎとイメージを分出、発生させる枕詞を私たちはいかに取り戻せるのか。新年収録第一弾のオツセン、2025年の枕になる一夜をどうぞ。

 

 

▼お便り募集▼

 ゆるゆる千夜千冊伴走の「オツ千」の「オツ千目安箱」へお便りありがとうございます。「オツ千」への感想・質問、千夜千冊の気になるところ、まじめなお悩みも不真面目な相談も何でもお待ちしております! 坊主と小僧が心を込めてお答えします。

 

 「お気に入りの千夜」も大募集! 投稿いただいた方からゲストでオツ千にご招待も。お待ちしていますー!

 

 

 

 

 

当該千夜千冊 (1599夜 近藤信義『枕詞論』)

 

 

 

▼過去のエピソードはこちら▼

 

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べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二 https://edist.ne.jp/nest/taigabakka_002/ https://edist.ne.jp/nest/taigabakka_002/#respond Sat, 18 Jan 2025 14:14:58 +0000 https://edist.ne.jp/?p=80254  吉原炎上。栄華をほこる街が火の海に消えるという衝撃のシーンで幕を開けた今年の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」。大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。

 


 

第2回 吉原細見『嗚呼(ああ)お江戸』

 

 2025年の大河ドラマ『べらぼう』のワールドモデルは、江戸中期という「抑圧と挑戦がせめぎ合う時代」を背景としています。平和が長く続くと、社会は安定と同時に硬直化し、抑圧や停滞感が生まれることは歴史が繰り返し示してきた宿痾のようなものです。戦乱の終結により武士の軍事的役割は薄れ、その存在意義が揺らぐ中で、多くの武士は伝統的な規範や価値観を守ることで自らの権威を維持しようとしました。一方で、圧倒的な経済力を持つ商人の台頭が社会全体のバランスを揺るがし、江戸社会に新たなヒエラルキーを生み出していました。

 

 商人たちが豊富な経済力を背景に社会的影響力を拡大していくと、その存在は武士階級の権威を脅かすものとみなされました。この状況に対処するため、幕府は出版統制や奢侈禁止令を強化し、贅沢な消費を取り締まることで、商人の台頭を牽制しようとしました。これらの規制は文化や商業活動を抑え込むものでしたが、一方で抑圧の中で新たな創発を生むきっかけにもなりました。風刺画や浮世絵、町人文学といった新しい表現が規制の隙間を縫う形で次々と誕生し、江戸文化に独自の活力をもたらしました。

 

 同時に、商人の力を積極的に利用する武士も現れました。その象徴的な存在が田沼意次です。田沼は商人の経済力を巧みに取り込み、経済的な手綱を握ることで、武士の権威を新たな形で再建しようとしました。商人との連携を通じて、武士階級の存在意義を再編集しようと試みた彼の姿勢は、従来の伝統的な価値観に縛られた硬直的な姿勢とは、一線を画しています。このような経済を基軸とした新たな価値観の模索と、伝統を守ろうとする動きがせめぎ合う中で、江戸中期の社会構造は表面的には安定しているようでありながら、内側では大きな変化の兆しを孕んでいました。

 

 このような江戸中期のワールドモデルの特徴は、2025年の現代社会とも深く共鳴する部分があります。急速な技術革新や新しい価値観の登場に対し、既得権益層がその変化を抑え込もうとする構造は、江戸時代の抑圧的な状況と驚くほど似通っています。また、経済格差の拡大が新たな社会階層を生み出し、社会全体に停滞感をもたらしている点も共通しています。この「江戸中期と2025年の相似点」を浮き彫りにすることも、現代の大河ドラマとして江戸中期のワールドモデルを再現する意義の一つであると言えるでしょう。

 

 蔦屋重三郎を駆り立てる心理的要素は、停滞した社会のヒエラルキーがもたらす悲しみ、そして、その閉塞的な構造をどうにかして変革してやろうという炎のような闘争心です。第二話では、吉原という閉ざされた空間を文化的・経済的に再編集する挑戦に踏み出す姿が描かれます。試練を乗り越え、覚醒を経て成長していく重三郎。その成長に、田沼意次、花の井、平賀源内といった個性豊かなキャラクターたちが絡み合い、ストーリーに厚みをもたらしています。抑圧の中で生まれる編集力がどのように成長し、やがて社会を動かす力へと昇華するのか――その核心を、私たちは『べらぼう』を通じて識ることができるでしょう。


<樽詰めからの覚醒(重三郎の擬死再生)>

 第一話で、重三郎は吉原の衰退を食い止めるため、非公認の店を取り締まるべく、警動(町奉行による摘発)を動員するよう田沼意次に直訴します。彼の行動は吉原の復興を目指したものでしたが、「吉原だけのために警動を動かすことはできない」と一蹴され、重三郎は自身の視野の狭さや思慮の浅さを思い知らされます。

 第二話では、この出過ぎた行為が吉原内部に新たな緊張をもたらします。重三郎の行為は、吉原全体に無用な疑いを向けられる可能性を作ったとして、女郎屋や引手茶屋の主人たちの反感を買い、重三郎は三日三晩、樽の中に閉じ込められるという屈辱的な仕打ちを受けることになります。しかし、この出来事は、彼にとって単なる挫折ではなく、革新者として再生するための重要な転機となるのです。


▶田沼意次の示唆
 田沼の「人を呼ぶ工夫が足りないのではないか」という一言は、重三郎に対して、時代の変革には単なる行動力だけではなく、創意と視点の転換が必要であることを教えるものでした。田沼の言葉は、経済と文化を融合させ新しい価値を創発するというヒントを与え、重三郎に新たな可能性を考えさせる契機となります。


▶樽詰めの象徴性
 樽詰めという仕打ちは、秩序を守ろうとする保守的な勢力と、変革を目指す重三郎との対立を象徴しています。一方で、この試練は、重三郎が自身の限界と向き合い、革新者として新たに生まれ変わるための通過儀礼でもありました。重三郎は樽の中で深い内省を重ねる中、「吉原をどのようにすれば人々にとって魅力的な場所にできるか」について具体的なアイデアを見出します。それは、吉原細見(吉原ガイドブック)の再編集でした。それまでの吉原細見は、単なる遊郭案内帳でしたが、重三郎はこれを、吉原の魅力を発信する宣伝ツールに作り変えることを思いつきます。

 この瞬間、重三郎の属性は大きく変化しました。試練を経る前の彼は、吉原の衰退に対する危機感を持ちながらも、行動は感情や衝動に基づいたものでした。しかし、樽詰めという極限状態の中で、彼は吉原という空間を「文化・流行の拠点」として再編集する視点を得ました。改革を求める直情的な理想家から、具体的なビジョンを描き、実行できる革新者へと進化したのです。
 
<天才を呼び覚ます花魁の機転>
 樽詰めを経て、新たな視点と決意を得た重三郎は、吉原細見の序文執筆を依頼するため、「平賀源内を知る者」と名乗る人物を訪ねます。その人物に依頼を取り次いでもらおうとする重三郎でしたが、予想外の条件を提示されます。「吉原に連れて行ってもらえれば、考えてやる」というのです。さらにその人物は「瀬川」という名跡の花魁を指名しますが、その名跡はすでに存在せず、重三郎は窮地に立たされます。
 このとき、重三郎を救ったのが花魁・花の井でした。彼女は咄嗟に機転を利かせ、男装して「今宵限りの瀬川」として振る舞います。その巧みな演技は「源内を知る者」の心を掴み、重三郎の目的を前進させることとなります。そして宴が進む中で、「源内を知る者」として振る舞っていたその人物こそが、実は源内本人であることが明らかになります。源内は、重三郎の熱意と花の井の対応に心を動かされ、最終的に吉原細見の序文執筆を引き受けます。このシーンは、花の井の知恵と行動力だけでなく、平賀源内という人物の複雑な内面を際立たせる場面でもあります。


▶源内と花の井が織りなす対話の深層
 源内が「瀬川」という名跡に執着した背景には、彼の内面に潜む郷愁や過去への切ない想いが反映されています。「瀬川」は源内にとって、かつて心を揺さぶられた美しい記憶や芸術的な感動の象徴であり、単なる名跡を超えた存在でした。それは、彼の創作意欲を支える源泉とも言えるものだったのです。
 花の井は、源内の抱える感情を敏感に察知し、その心に寄り添う形で応えました。彼女が演じた「今宵限りの瀬川」は、源内が心の中で追い求めていた記憶や理想を再現するものであり、その演技は源内の感情に深く響きました。この一夜のやり取りは、源内にとって失われた過去に触れるひとときであり、彼の中に眠る創作意欲を呼び覚ます鍵となりました。
 一方で、花の井にとってこの行動は、単なる機転の利いた演技以上の意味を持ちます。彼女は吉原という世界に生きながらも、その役割を超えて人の心に寄り添うことを使命として体現していました。源内の記憶を共に辿るように振る舞う彼女の姿勢には、花魁としての誇りと知恵、そして他者の感情に共鳴する能力が強く表れています。

 

▶記憶と感情が生む創作の火種
 花の井との一夜を通じ、源内は「失われた記憶」に触れるという貴重な体験を得ました。この体験は単なる遊興にとどまらず、源内の内に眠っていた創作意欲を再び燃え上がらせる火種となります。彼が執筆した吉原細見の序文は、「完璧な器量を持つ女などこの世には存在しない。それでも吉原ならば、誰しも“いい人”を見つけられる」とシニカルに記し、理想の代替を享受することの本質を描き出しています。この内容には、源内自身が「今宵限りの瀬川」と過ごした一夜に込められた自身の感情と記憶が反映されています。二人のやり取りは、過去と現在、記憶と感情が交差する象徴的な瞬間として描かれ、源内の創作の深層を鮮やかに浮き彫りにしています。


<革新者・田沼意次と保守派の対立>
 田沼意次は、資本経済を軸にした改革を推進する中で、保守派の老中の批判に直面していました。その対立は、幕府内の権力闘争だけでなく、時代の価値観の転換を象徴するものでした。田沼が目指したのは、商人の経済力を利用し、武士の権威を新しい形で再建することでしたが、その革新性は保守派にとって受け入れがたいものでした。

 

▶祝宴における対立
 第二話の中で、田沼と保守派の対立を象徴する場面の一つが、一橋治済の嫡男・豊千代誕生を祝う宴席でのやり取りです。治済が「いっそ傀儡師(人形遣い)にでもなろうか」と軽口を叩いた際、田安賢丸(後の松平定信)は、「我らに流れる吉宗公の血を、武門の血を何とお考えか」と真剣に非難します。さらに、保守派の老中は田安賢丸の発言を擁護する形で「むしろ見習うべきではないか」と述べた一幕は、田安賢丸の考えに賛同しつつ、経済重視の田沼意次の改革を間接的に批判するニュアンスを含んでいます。

 

▶寛政の改革への伏線
 田安賢丸の思想や発言は、後に彼が松平定信として行う「寛政の改革」の伏線とも言えます。定信が老中首座として行った寛政の改革は、田沼意次の改革が招いた「専横」とみなされる政策や、商人の台頭による社会の歪みを是正しようとするものでした。寛政の改革では、倹約令の発布や質素な生活の奨励などを通じて、武士階級の権威を再び確立し、幕府の威信を取り戻そうとしました。その出発点には、この祝宴での田安賢丸の発言が象徴するような、田沼政治への批判と武士道回帰の意識があったと言えるでしょう。

 

▶治済の微笑み
 作中では、田安賢丸と一橋治済の微妙な緊張感を象徴する場面として、治済がニヤリと笑うシーンが描かれています。この笑みは、後に徳川将軍家の後継争いが激化し、治済が田安賢丸の暗殺を画策するに至る事件の伏線として解釈することができます。 一橋治済は、息子である豊千代(後の徳川家斉)を将軍に据えるため、田安賢丸という有力な後継候補を強く警戒していました。この場面では、武士道を重んじる潔癖な態度で保守派の指示を集める田安賢丸に皮肉を込めた視線を送り、ニヤリと笑うことで、自身が抱える野心と策謀をほのめかしています。この笑みは、治済の計算高さや狡猾さを際立たせるだけでなく、将軍後継争いという幕府内部の緊張を象徴するものでもあります。


<吉原に灯る絆の光>
 第二話がクライマックスを迎えるのは、花の井が重三郎に「あんたはひとりじゃない」と語りかける場面です。このシーンは、孤軍奮闘してきた重三郎が抱えている孤独や葛藤を解きほぐすだけでなく、仲間と共に変革を目指すことの意義を認識させる転機となっています。

 

▶花の井の共感と支え
 花の井の「朝顔姉さんのこと悔しいのは、あんただけじゃない」「あんたはひとりじゃない」という言葉には、吉原に生きる人々の切実な思いと共感が込められています。花の井自身も、吉原という閉ざされた空間で、自分の限界を受け入れながらも懸命に生き抜いてきた一人です。だからこそ、彼女は重三郎が吉原に希望の光をもたらそうと奮闘する姿に強く心を動かされ、その挑戦に深く共感していました。この言葉は、単なる励ましを超えたものであり、重三郎にとって転機となるものでした。彼の取り組みが、単なる個人の夢や野心ではなく、吉原に生きるすべての人々の未来を左右する挑戦であることを再認識させたのです。その一言が、重三郎の胸に深く響き、彼の孤独を癒すとともに、新たな使命感と責任感を芽生えさせました。花の井の言葉は、重三郎の決意を一層強くする原動力となったのです。

 

▶吉原の可能性を信じるバディ
 花の井は、単なる遊郭の象徴的存在ではなく、知恵と感受性を兼ね備えた文化的媒介者として描かれています。彼女は、自分が直接的に変革を成し遂げる立場ではないことを理解しながらも、限られた状況の中で自身の果たすべき役割を全うしようとしています。「あんたはひとりじゃない」という彼女の言葉には、自分と同じく吉原の可能性を信じる重三郎への強い信頼と期待が込められています。花の井は重三郎の心強いバディとして、これからも物語の中で重要なロールを担っていくことでしょう。

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https://edist.ne.jp/nest/taigabakka_002/feed/ 0 80254
【本屋でほんのれん】1/27(月)〜ジュンク堂書店池袋本店にて、ほんのれんフェア開催します!! https://edist.ne.jp/just/honnoren_junkudofair_news/ https://edist.ne.jp/just/honnoren_junkudofair_news/#respond Sat, 18 Jan 2025 10:41:47 +0000 https://edist.ne.jp/?p=80259 ほんのれんラジオより、お知らせです!

1/27(月)から3/23(日)、ジュンク堂書店 池袋本店にて「ほんのれんフェア」を開催します!

 

ほんのれんフェアでは、通常非売品の「ほんのれん旬感ノート」や「百考本カタログ」を販売するほか、ほんのれん編集部といっしょに本屋を歩くイベントも開催!なんとあの有名書評家とコラボする回も……。ぜひ、みなさん、ジュンク堂池袋本店に足をお運びください。

 

そして、イシス編集学校のみなさんにお願いがあります。フェアを訪れたらぜひ、写真とともに「#ほんのれんラジオ」でSNS発信していただけますでしょうか。みなさんの応援で、ほんのれんラジオのこれからが決まります。

 

 

■フェア詳細

●開催期間:2025年1月27日(月)から3月23日(日)

●開催場所:ジュンク堂書店 池袋本店 1階 

     〒171-0022 東京都豊島区南池袋2丁目15−5 

 

通常非売品の特別販売

①ほんのれん旬感ノート

 

毎月の問い&5冊の本の読みどころをまとめた小冊子。こちらは、ほんのれん導入企業様のみへお送りする、通常非売品です。

が、ジュンク堂書店池袋本店では、フェア期間中、中身を自由にご覧になれます!&購入できます!

ほんのれんnoteでは一部のページを公開しておりますので、ご確認ください!

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②ほんのれん百考本


ほんのれん編集部が選んだリベラルアーツを学ぶ100冊を1冊にまとめた冊子。

感門之盟(番期同門祭)にて販売したところ、たちまち完売になる大人気商品。この機会にお見逃しなく。

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■イベント

選書イベント開催【なんとジュンク堂池袋本店を貸し切り!】

 

「ほんのれん編集部」と、書評家 渡辺祐真(スケザネ)氏と、ジュンク堂書店池袋本店を歩く「選書ツアー」イベントを開催します!

なんと、このイベントは、ジュンク堂池袋本店の開店前に特別潜入して開催します。開店前、まだお客さんのいない状態の本屋を、ほんのれん編集部とともにひとりじめしちゃいましょう。

 

<第一回>

ほんのれん編集部とめぐる、選書ツアー@ジュンク堂書店 池袋本店

開催日:2025年2月9日(日)9:00-10:00

開催場所:ジュンク堂書店 池袋本店 

参加費:500円(税込)

詳細およびお申し込み:こちらからお申し込みください。

 

<第二回>
ほんのれん編集部 & 書評家スケザネ氏とめぐる、選書ツアー@ジュンク堂書店 池袋本店

ゲスト:書評家 渡辺祐真(スケザネ)氏

開催日:2025年3月2日(日)9:00-10:00

開催場所:ジュンク堂書店 池袋本店

参加費:500円(税込)

詳細およびお申し込み:こちらからお申し込みください。

 

※上記いずれの回も、主催は「ほんのれん編集部」となるため、

ジュンク堂書店 池袋本店でのお申込み、問合せは受け付けていません。

お問い合わせ先:編集工学研究所 ほんのれん編集部 03-5301-2211

 

②オンライン読書会「ほんのれんオンライン旬会」も、毎月開催中

オンラインで集まって「ほんのれん」の問いについて本を読み交わし合う「ほんのれんオンライン旬会」も、定期的に開催中です。

1月は「問いはどこに隠れてる? 「あたりまえ」を引き剥がす」というテーマで実施。

詳細はこちらからご覧いただけます。
今後の開催については、「ほんのれんラジオ」の公式Xnoteをチェック!

 

 

 

■オマケ

ほんのれんラジオがこれまで扱った本は全110冊。

すべての本を一覧できるページをご用意しました。

どの本、どのシリーズが気になりますか?

https://note.com/honnoren/n/n313b85de3a43

 

 
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アラスカで[守]体験――中島たかしのISIS wave #42 https://edist.ne.jp/cast/isis-wave42_nakashimatakashi/ https://edist.ne.jp/cast/isis-wave42_nakashimatakashi/#respond Fri, 17 Jan 2025 22:53:03 +0000 https://edist.ne.jp/?p=80235

イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。


2024年春、[守]コースに入門したアラスカ在住の写真家・中島たかしさん。中島さんは稽古を通して世界の見方が変わったという。いったいどんな変化があったのか。

イシス修了生によるエッセイ「ISIS wave」。今回は中島たかしさんの[守]稽古体験をお送りします。

 

■■「可能性の箱」を開ける

 

 数日前まで、アラスカのウィルダネス(原野)でレンズを覗いていました。
 2008年から、僕はここ、アラスカで写真を撮り続けています。写真家としての僕が追いかけているのは、この地の野生動物――島オオカミやオオヤマネコたちの生命の営みです。

▲アラスカの北極圏に生息するジャコウウシ。マイナス50度の過酷な環境を耐えぬく。(撮影/中島たかし)


 2016年頃、松岡正剛という物凄い人がいるのを知って千夜千冊を参照するようになっていました。2024年の春に、[守]コースに入門したのですが、目的は2つ。2025年4月に控えた写真集制作(★)に多角的な視点を持ち込みたかったこと、そして視覚世界と言語で作られる世界の、そのあいだを見てみたいという抽象的な想いです。

▲日照の短い冬の日の入り。雪原は果てしなく広がり北極海へと続く。(撮影/中島たかし)

 

 [守]の編集稽古の最中のことです。
 知り合いの写真雑誌元編集長から、「よくもこれだけ、深みのある写真が撮れるようになったものだね。1年前と全然違う」と言われました。自分の変化に自覚はないのですが、僕の中にあった「生命」の解釈は、確かに変わりました。これまで持っていた「既存の解釈が詰まった箱」を放り出し、「思考の可能性を閉じ込めた箱」を開封した、そんなイメージです。
 例えば、《やわらかいダイヤモンド》という稽古では、「ありえない言葉」をつくります。言葉はもっと自由でいい、もっと矛盾に満ちていていい。それが創造することの、本当の始まりのように思えました。
 《たくさんのわたし》では、自分を30個、列挙するのですが、これは言い換えれば、30の視点から世の中を見るということです。世界はひとつではなく、自分に関係するさまざまな視点から立体的にみることができる、そんな実感が生まれました。
 編集稽古は、これまで自分が持っていた言葉と観念の結びつきからの「解放」でした。「多角的視点」と「視点の深化」の獲得です。
 顕微鏡撮影で氷結晶をのぞいていた時、レンズの向こうの結晶の無機的な様子が、有機的な振る舞いに見えてきました。風景の中にも、鉱物にも、あちこちに生命の営みがあった。「このような視点から新しいものが撮れるに違いない」。僕の中には、いまワクワクした予感が膨らんでいます。

 思い返せば、[守]の教室で師範代の指南から受け取っていたのは、変化できる様々なピース(方法の欠片)だったのかもしれません。方法の欠片を集めると、それが「鍵」になって、「思考の可能性を閉じ込めた箱」を開けられるのではないでしょうか。
 [守]の教室では、自身の変化に気づけずにいましたが、師範代や仲間は、僕の小さな変化を見つけ、そばでずっと評価してくれました。

 

 僕は今、アラスカのウィルダネスでカメラを構えながら、時折、もらった方法の欠片を取り出しては磨いています。「多角的視点」とそれに伴う「視点の深化」を維持し発展させるには、きっと実践と復習(振り返り)を続けることが必要なのです。

▲北極圏のウィルダネスで撮影中の中島さん。

 レンズ越しに広がるアラスカの原野には、きっと言語はないのでしょう。中島さんは言語を獲得した人間として、そんな原野で大いなる生命と対峙しています。美しい自然に、ただシャッターを切ればいいのではなく、見えているにもかかわらず、見えそうで見えないものを追いかけているようです。方法の欠片を手にした中島さんの写真は、言葉を持たない生命との交感が落とし込まれ、私たちの「目に見えるように」してくれるのでしょう。今年4月には、新たなメディア(写真集★)になるとのこと。どのような表象としてアウトプットされるのか、今から待ち遠しいです。

 

★中島たかしさんの写真集は、4月12日より中島さんの公式webで発売予定です。

 

文・写真/中島たかし(53[守]金継ゲシュタルト教室)
編集/大濱朋子、角山祥道

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https://edist.ne.jp/cast/isis-wave42_nakashimatakashi/feed/ 0 80235
【多読アレゴリア*新クラブ】プレイベント第2弾 着物コンパ倶楽部のトーク会@本楼*2月4日(火)「男の襟と同伴」 https://edist.ne.jp/just/kimono_250204/ https://edist.ne.jp/just/kimono_250204/#respond Fri, 17 Jan 2025 13:47:58 +0000 https://edist.ne.jp/?p=80112

2025年春開講の【多読アレゴリア】「着物コンパ倶楽部」のプレイベント第2段!

今度はイシス編集学校のとっておきの師範お二人をゲストにお招きして、男の襟のスキをこじ開けます。場所は本楼、リアルのみのご参加を募ります。


 

男の襟

 

女の着物は半襟がとても大事。だけどいったい男性は襟のことどう思っているんでしょう。

私が男の襟から連想するのは、学ラン詰襟のホックの外しだったり、オフィシャルでもインナーに白Tシャツを選ぶ流行だったり、そういえば男の着物では半襟ってそんなに存在感がない。

 

そこのところって?

 

たぶん何気なく聞いても「そんなのなんとなくだよ〜」とかいった返事が返ってくる可能性が大大大。そうじゃなくて感覚の微妙なところを(あわよくば、編集術と編集工学ともまぜまぜで)語ってくれそうな人に来ていただいたらいいかも!

それなら、お招きする場が必要!

それならいっそ、現在の襟事情だけでなく歴史からも紐解くようなトーク会を企画しなくては!

 

ということで、このお二人にお引き受けいただきました。

 

 

イシス編集学校 師範 

中村麻人(なかむらあさと)さん

 

【iGen002】中村麻人 数理モデルを脇差に 解析フェチの編集侍

 

 

イシス編集学校 師範

梅澤光由(うめざわみつよし)さん

 

【iGen003】梅澤光由 全身義体を夢見る エディトリアルジャズピアニスト

 

 

 

はかなさの、めでたさ

 

お二人ともこれまでお話ししたことはほとんどないのですが、お二人の着物姿がふわっと思い出されてきたのがオファーのきっかけです。

中村麻人師範の着物姿は「詰め寄らない構築感」、梅澤光由師範の着物姿は「投げ遣りでない離脱感」。

 

平安時代、明治時代にふわりと飛びつつ、男の襟に潜む「スキ」をこじ開けるうちに、そんなお二人のカタチを形作る奥の何かも垣間見れるかもしれません。所有できない、保存できない、その場所でその時間にだけ感じられる「何か」の出現。

 

2025年2月4日(火)の夜、編集工学研究所の本楼でご一緒しましょう。

 

みなさまのご参加をお待ちしております。

 


多読アレゴリア*新クラブ

「着物コンパ倶楽部」プレイベント 第2段

【トーク会@本楼】男の襟と同伴


■日時:2025年2月4日(火)19:30-21:30(開場は18:30)
■会場:編集工学研究所 1階 本楼

    東京都世田谷区赤堤2丁目15番3号

■アクセス

    小田急線・豪徳寺駅より徒歩7分
    東急世田谷線・山下駅より徒歩7分

■対象:どなたでもご参加いただけます
■定員:40名

    *リアルのみの開催です

■費用:3,000円(税込)

    *当日現金にてお支払いください

■ゲスト

    中村麻人(イシス編集学校師範)

    梅澤光由(イシス編集学校師範)

■ナビゲーター

    森山智子(着物コンパ倶楽部部長/イシス編集学校師範)

■お申し込みはこちらから→編集工学研究所SHOP

 


(文)森山智子

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【オンライン・無料】1月28日の学校説明会で編集体験しませんか https://edist.ne.jp/list/tour20250128/ https://edist.ne.jp/list/tour20250128/#respond Thu, 16 Jan 2025 23:00:04 +0000 https://edist.ne.jp/?p=80223 イシス編集学校は、世界でたった一つの「方法」の学校です。

 

[守]コースでは、38個もの型を学びます。

 -どのようなお題が出るの?

 -どれくらいのペースで進むの?

 -難易度はどれくらい?

 -締切はありますか?

 

入門前には不安がいろいろとあると思うので、

学校説明会ではどんな疑問にもお応えします。

この春、15週間の[守]コースを体験して、

編集道をご一緒しませんか。

 

オンライン学校説明会の参加者からは

「お題体験を通して、学ぶ内容がよく分かりました」

「みなさんと編集稽古をするのが楽しみになりました」

「家族を誘って、一緒に受講したいと思います」

などの感想が届いています。

 

編集稽古に興味が湧いた方、そういう方が身近にいる方、

2025年春[守]講座の学校説明会にご参加ください。

毎月オンラインで開催します。

 

ぜひお気軽にご参加ください!!

 


イシス編集学校 学校説明会

    | ・イシス編集学校でまなべること
    | ・編集稽古、教室でのまなびのしくみ
    | ・Q&Aタイム

■費用:無料
■会場:オンライン(開催前にZoomアドレスをご案内します)
■人数:限定15名様まで
■内容:イシス編集学校で学べる内容をわかりやすくご説明します。
    イシス独自の「編集稽古」を、実際の画面も見ながら、

    ワークショップ形式で体験していただけます。
    個別での細かなご相談もおうかがいしますので、

    安心してご参加ください。

 

■日時・申込リンク

2024年12月13日(金)19:30-21:00 済
2024年12月21日(土)14:00-15:30 済
2025年1月14日(火)19:30-21:00 済
2025年1月28日(火)19:30-21:00
2025年2月13日(木)19:30-21:00
2025年2月23日(日/祝)14:00-15:30
2025年3月11日(火)19:30-21:00
2025年3月23日(日)14:00-15:30
2025年4月12日(土)14:00-15:30
2025年4月25日(金)19:30-21:00
2025年4月30日(水)19:30-21:00

 

学校説明会HPはこちら

 

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【ほんのれんラジオ:問い3】最近流行りの「哲学対話」ってなんですか?美しきベストセラー『水中の哲学者たち』(永井玲衣)に学ぶ、思考停止から抜け出すメソッド https://edist.ne.jp/list/honnnoren22-3/ https://edist.ne.jp/list/honnnoren22-3/#respond Thu, 16 Jan 2025 10:00:52 +0000 https://edist.ne.jp/?p=80207 ほんのれんラジオの最新エピソードが公開されました!

イシス編集学校で世界読書奥義伝[離]まで了えた4名(ニレヨーコ、おじー、はるにゃ、ウメコ)がお送りするほんのれんラジオ。

 

ほんのれんvol.22の問いは、「問いはどこに隠れてる? 「あたりまえ」を引き剥がす」です。

問うことは、変化の起爆剤にもなりうる。

「どうせ決まりきってるんでしょ」という思考停止から脱け出す方法として、みんなで一緒に問いを考える「哲学対話」という活動が広がっています。

このムーブメントを牽引する研究者の永井玲衣さんによる著書『水中の哲学者たち』を読みながら、問いをもって対話することの可能性を考えてみます。

 

★ほんのれんでも、2025年からオンライン対話イベントを開催します! ※詳しくは記事最下部までスクロールください。

  ▼▼▼ ▼▼▼ ▼▼▼ ▼▼▼ ▼▼▼ ▼▼▼

 「ほんのれん」オンライン旬会 第一回

 1月22日(水)18:30-開催!!

 https://honnoren-shunkai-2501.peatix.com

 ▲▲▲ ▲▲▲ ▲▲▲ ▲▲▲ ▲▲▲ ▲▲▲

ほんのれんラジオで取り上げたテーマと本をめぐって、編集部と一緒に語り合いたい方、ぜひご参加ください!

 

 

最近流行りの「哲学対話」ってなんですか?美しきベストセラー『水中の哲学者たち』(永井玲衣)に学ぶ、思考停止から抜け出すメソッド

 

エピソード

哲学対話に本を加えるとほんのれんラジオ/鷲田清一さん、ほんまなほさんの界隈をうろついていた/ローカルルールに則って/「結局人それぞれだよね、であきらめない」/関わり合いを拒否する壁、飛び越えていく/一番大事なのは、分かり合えることではなく、○○/とんでもない表現?そのもっと奥にある、切実のまなざしに注意したい/どうせ答えがあるんでしょ?というボク=わたしの一部/フランスのカフェで誕生した哲学対話/そういうものだ、という生暖かい絶望に身を委ねない/問いのラディカルなあり方/足元を崩していく兵器/「がしゃん」が聞こえる/対話はディアロゴス/語源を辿ると、ディアレクティック(弁証法)/誰がどんなことを言おうと、発言者は真理に貢献する人/ラジオを聴いてもぞもぞするのも、対話に参加している/いでよ、アンミカイモムシ

 

 

▼「問いはどこに隠れてる? 「あたりまえ」を引き剥がす」を考える

 「ほんのれん」旬感本はこちらの5冊!

 

(1)『世界を、こんなふうに見てごらん』日髙敏隆(著)集英社文庫 2013

(2)『水中の哲学者たち』永井玲衣(著)晶文社 2021

(3)『問いの編集力─思考の「はじまり」を探求する』安藤昭子(著)ディスカヴァー・トゥエンティワン 2024 

(4)『問うとはどういうことか─人間的に生きるための思考のレッスン』梶谷真司(著)大和書房 2023

(5)『アブダクション─仮説と発見の論理〈新装版〉』米盛裕二(著)勁草書房 2024 

 

 

 

 

 

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ほんのれんラジオ、noteあります。

旬感ノート画像もご覧になれますので、ぜひフォローしてください。

テーマごとにまとめてありますので、復習にも便利です。

https://note.com/honnoren/

 


 

■【参加者募集中】1月22日(水)開催:第一回「ほんのれんオンライン旬会」を開催します!

 

編集工学研究所と丸善雄松堂が提供する「ほんのれん」では、オンライン旬会を開催します。毎月のテーマに沿って、その場で本やオリジナルテキストを読みながら対話するワークショップです。

 

本に触れたい、思考習慣をつけたい、対話して視野を広げたい、そんな方におすすめです。どなたでもご参加いただけます!イベント詳細やお申し込みは、こちらから。

 

<第一回ほんのれんオンライン旬会:「問いはどこに隠れてる?―「あたりまえ」を引き剥がす」>

◆日時:2025年1月22日(水)18:30-20:00(約90分)

◆実施方法:オンライン(使用プラットフォーム:Zoom) 

◆申込方法 :Peatixページの「チケットを申し込む」よりお申込みください。
◆定員:30名(先着順)

 


■【事前告知】1月27日(月)〜3月23日(日)開催:ジュンク堂書店 池袋本店「ほんのれんフェア」

 

1月27日(月)から3月23日(日)の2か月間、ジュンク堂書店 池袋本店1階にて「ほんのれんフェア」を開催いたします。

 

普段は一般販売していない、「ほんのれん」のオリジナル冊子『ほんのれん旬感ノート』や『百考本カタログ』を展示・販売しますので、ぜひお立ち寄りください。

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