遊刊エディストの新春放談2025をお届けします。
2024年6月、イシス編集学校は25周年を迎えました。その直後、8月12日には、イシス編集学校にとってかけがえのない松岡正剛校長が急逝され、遊刊エディストは追悼コラムで埋め尽くされました。9月には、約400名が参加することとなった大感門之盟「番期同門祭」が行われました。舞台のほどちかくに松岡校長のディレクターズチェアが置かれ、田中優子学長のメッセージやISIS co-missionメンバーの登壇とともに進行する感門之盟の集大成となりました。12月には『情報の歴史21増補版』が書籍版とPDF版セットで発刊。そして、待望の新コース[多読アレゴリア]が始動。12のクラブが開設され、賑わいとともに新年を迎えています。
エディストは創刊5周年を超えました。イシス編集学校の旬を伝えるメディアとして、ご愛読いただいている読者の皆様には感謝しつくせぬ思いです。2025年はますます充実と改編をはかり、質量ともに誇れるメディアへ、皆さんとともに育てていければ幸いです。
2025年のスタートは今年も、編集部メンバー、そしてゲストたちとの放談でお楽しみください。
◎遊刊エディスト編集部◎
吉村堅樹 林頭, 金宗代 代将, 後藤由加里 師範, 上杉公志 師範代, 松原朋子 師範代,
◆5周年を経て語られたエディスト立ち上げの歴史
吉村 イシス編集学校が25周年を迎えた2024年が終わり、新年を迎えました。
金 2024年もいろいろありました。年始から衝撃的な能登震災と羽田空港事故があり、米大統領選トランプの勝利、シリア・アサド政権の崩壊、おとなり韓国の非常戒厳、ウクライナでもパレスチナでも戦争は泥沼化しています。松岡校長は『知の編集工学』に「なぜ、歴史は混乱を好むのか」と問うていましたね。
上杉 そういえば、毎年、この新春放談のアイキャッチ画像は編集工学研究所の年賀状ですが、今年のデザインは縦ではなく横なんですね。少し雰囲気がしっとりしているような…。
吉村 そう、今年はデザインを悩みました。昨年は松岡正剛校長のご逝去があったので、あまり煌びやかな年賀状にはしたくない。でもみなさんには、僕らが止まらず編集し続けている思いとともに、年賀状をお届けしたい。デザインは、干支の蛇をしめ縄としてモチーフにして、虚子の句に手を加えたものを添えました。毎年一人ひとりにメッセージを書いているのですが、今年だけはメッセージをなしにして、みなさんと厳かな気持ちで新年を迎えたいと思いました。
金 毎年、新春放談の冒頭では、去年はどうだったかを話題にしていますけど、今年は松岡校長の話から入りたいですね。
上杉 そうですね。
吉村 校長は一番のエディスト読者でもあったんだよね。毎日読んでいるメディアはエディストだけだとずっと言われていました。
後藤 実は2024年、遊刊エディストは5周年だったんですよね。
金 しれっとね(笑)。もう5年なんですね。あっという間でした。
吉村 エディストは2019年9月にスタートしたんだけど、エディスト立ち上げの歴史は話したことがあったかな。2015年のことだけど、書籍『インタースコア』を出した後に、[離]で学ぶ内容を[守]のお題にも入れなさいという校長ディレクションがあって、「寄せて上げる」お題改変がありました。BPTとか編集八段錦や3Aが[守]に入ったんですよね。[守][破]の学匠が交代したり、伝習座に変更がかかったりした時期です。それと並行して、僕からとも校長からともなく、何か新しいメディアをつくらなきゃね、という雰囲気になっていきました。その後、どういうメディアにしようかと、当時編工研にいたスタッフや、師範・師範代などとも検討をはじめたんですよ。編集学校だからお題を出すメディアがいいんじゃないかとか、アクセスを増やすために知識人に執筆してもらうとか、いろいろな案が出ていましたね。
金 僕が吉村さんとチームを組むようになったのはちょうどその頃ですね。
吉村 そう、何かしっくりこないままきていて、結局、金くんを呼んで、当時は桂大介師範にも来てもらって一緒に検討したんですよね。
金 はい、覚えています。
吉村 そこからは、僕と金くんが中心に話を進めていって、穂積くんがデザインをつくっていった、という流れだったな。
金 メディアをつくろうとしてから、実現するまでに4、5年かかったわけですね。
吉村 校長には、エディストを立ち上げたときに、なんでもっと早くやらなかったんだといわれたけれども、エディストができたことを校長はとても喜ばれていましたね。
金 ですよね。近畿大学のアカデミックシアター内にDONDENをつくるということで、吉村さんからお声がけいただいて、ISIS FESTAのDONDEN祭をやっていた流れが、エディストにつながったという感じですよね。
吉村 2010年、ちょうど編集学校が10周年の頃には、NARASIAのプロジェクトに金くんや後藤さんが入ってやっていたよね。僕は2012年ぐらいに学林局の林頭になったんですよ。7[離]から8[離]では僕が半東ロールをやり、そのつぎの期の半東を金くんが担当したんだったね。
マツコ 私は2013年ごろ、8[離]で指導陣のお一人だった吉村さんにお声がけいただいて、SNSコミュニケーションの立ち上げをお手伝いしていた時がありました。でも、もうそのタイミングで、すでに新しいメディアをつくりたいということと、ジムのようなコースをつくりたいことを、吉村さんがおっしゃっていましたね。
後藤 私は当時は感門団の伝奏連として、長田洋子師範代や豊田香絵師範代たちとSNSで感門之盟をリアルタイムでお届けしていました。伝奏連は、エディストJUSTチームの原型だったかも。
金 そのころから話がでていたのか、じゃあ、あしかけ6年か。
吉村 考えると、金くんが入ることでエディストも多読ジムも新しく立ち上がりましたね。
後藤 エディストの立ち上げが2019年9月3日、多読ジムは翌2020年の1月13日スタートでしたね。
金 最初の立ち上げのディレクションなどはマジで大変だった。でもそこで積み上げったものがあって、今、それが多読アレゴリアにつながっていますよね。
吉村 うん、そうだね、積み重ねですね。そして、『情報の歴史21』の出版もやりました。
上杉 僕は[離]の後、実香連にお誘いいただいてワークショップを担当したりしながら、その後、『情歴21』のプロジェクトに、編集マネジメント担当として参加していました。3年半ぐらいですかね、いろいろなフェーズを経て『情歴21』が完成したんですよね。吉村さんと何度も国分寺の多摩図書館に通って、音楽系や映画の歴象を集めるために一緒にパンを齧りながら調べ物をした頃が懐かしいです。そこからエディスト編集部にも参加することになりました。
▶できたてホヤホヤ『情報の歴史21』が校長の手に!
後藤 私は2010年秋頃、[破]を突破した後にNARASIAプロジェクトに加わり、それがあまりにも面白くて花伝所への入伝を見送ったのを覚えています。
吉村 後藤さんが写真をやりはじめたのは?
後藤 先ほどの感門団伝奏連で写真を撮ってSNSにあげることはやっていましたけれど、本格的に始めたのはエディストがきっかけですね。
吉村 後藤さんがエディスト編集部に入ってくれてから、後藤さんがブレイクしたという印象がありますよ。写真もそうだけど、マネジメントでも後藤さんがいないと回らない感じになりましたね。
金 それはやばいっすね(笑)
吉村 うん、でもポジションとスキルを重ねていく中で編集力をつけていくことが非常に重要だからね。
後藤 エディストは、毎日記事が公開されていく楽しさと、その火を絶やしてはいけない使命感があります。写真については、自分は文章を読んだり書いたりするスキルはいまいちだと思っていたので、どこかのタイミングで「撮る」でいこうとシフトできたのがよかったです。
金 松岡校長を撮れるっていうのが、でかいですよね。
後藤 校長は記録に残さないとといけない人。その一部分を写真で携わらせていただいたことがとてつもなく大きかったです。
◆夜中の校長トークは、疲れたときのカンフル剤?
吉村 エディストが立ち上がった後は、『情歴21』が出版されて、情歴のPDF電子版がでました。ハイパーコーポレートユニバーシティAIDAが、ハイパーエディティングプラットフォームAIDAに変わり、[多読ジム]、特別講座の[多読ジムスペシャル]という新コースも生まれた。そして2024年のISIS co-missionが設立、[多読アレゴリア始動]、という流れだね。
金 連打ですね、いつもなにかしらやっていますね。
新生ハイパーエディティングプラットフォーム[AIDA]キックオフ 10shot
受けるべきか、せぬべきか ≪多読ジム問診表≫
書くとは全部を出す覚悟 多読SP「大澤真幸を読む」読了式 10shot
2024年春、ISIS co-mission発足。イシス編集学校、出遊します
吉村 あっという間だね。本当は、松岡校長に[多読アレゴリア]のスタートを見てもらいたかったなという思いがありますね。
金・後藤 ほんとうに!
吉村 松岡校長がいたら、ニュースタイルの伝習座や多読アレゴリアなども、なにかしらフィードバックをもらえていたと思う。校長の、いつもの謎かけのようなディレクションがないのは、お題がもらえないことに近い。色々なことが手探りの感じになりますね。8月12日、亡くなられてからあっという間でありながらも遠い日であるような気もします。
金 昨年は夏からずっと、[多読アレゴリア]の企画・準備もあったので、忙しいから、その時のショックはあるけれども、そのまま操業していかないといけなかったですよね。吉村さんは会社に行けば松岡校長がいつもそこにいたわけですよね。
吉村 たとえば日々の仕事に疲れているときにも、夜中に松岡校長と話をしたりすると、もう一度奮い立つというか、そういう勇気や元気をもらっていたと思うんですよ。校長と話すのは、緊張するし怖いんだけども、他の人と話すときの感じと違うんだよね。ディレクションがまたおもしろいですしね。あたり前ですけども、校長の言葉は全て100%受け止めていました。それに、松岡校長は企画を止めることがなかったんですよ。つまらないときにちょっと待て、となることはあっても、おもしろいときには流れを止めないんだよね。いつも背中を押してもらいました。
金 めちゃめちゃでかいですよね。
◆2025年。僕らは“松岡正剛の再編集”へ向かいたい
吉村 これまでもそうでしたが、2025年からはますます、“松岡正剛の再編集”が大事だと思っているんですよ。僕は毎年、新年を迎えると手帳にその年重要にしたいフレーズを書くんですが、2024年の手帳に、「すべては松岡正剛の再編集をもってむかっていくのだ」と書いたんです。そこを外してはいけないと思っていたんですね。校長の本や声や映像の中に、僕たちが見落としたり、見逃したりしていたことがあると思うんです。その時には受け取れなかったことを、もう一度くみ取って編集することが重要なんじゃないかと考えています。松岡校長が亡くなられて、余計にそういうところを継続してスピードを上げてやらないといけないんじゃないかという思いがありますね。金くんはどうですか?
金 2024年は、ISIS co-missionがはじまり、[多読アレゴリア]がはじまったわけですが、2025年は、松岡校長がおっしゃっていた“イシスのネオバロック化”という話とこれらをどうつなげていくのか。今後エディストで、どうつかまえていくか。どう展開していくかを考えたいですね。Co-missionといえば、エディストでコミッション・インタビューの掲載、武邑光裕さんご自身が書く連載があり、田中優子学長の学長通信も今年から連載されていきますが、コミッションからのエディスト展開も期待したいですね。
吉村 まだエディストにかかわっていないコミッションの方々も、あり得ると思いますよ。
金 5年やってきて、イシスの中でのエディストの位置づけもはっきりしてきていると思うし、内側の充実は十分感じるところですよね。加えて、外から見たときに、このメディアはすごいと思ってもらうためには、コミッション関連記事とアレゴリア関連情報が充実してきたときなんじゃないかと思っています。そして、このメディアが、編集学校って、編集ってスゴイと思うきっかけになってほしいのと、それぞれの人、編集学校を出た人たちがスゴイんだと思わせないといけないと思っています。アレゴリアから出てくるものや、エディスト編集部も含めて、それぞれの「個」がやらないといけないですよね。それが、松岡正剛を再編集するという形で表出するにはどうしたらいいのかなと思っています。
◆最後の大舞台、近江ARS TOKYOで松岡校長がみせた新しい表現方法
吉村 上杉くんは、2024年はどんな1年だった?
上杉 僕にとっては、2024年で印象に残っているのは、4月の近江ARS TOKYOです。松岡校長が舞台に出られた最後の機会でもありました。僕もその中でドリアン・ロロブリジーダさんのピアノ演奏として場に関わらせていただきました。近江ARSといえば、同時期に『別日本で、いい。』が出されました。この本の第一章「世界の語り方を近江から変えてみる」で校長が書かれていることは一度で受け止められるものでは到底なく、校長自身も「相当難しいことだけれどもあえて書いた」と言った旨のことをおっしゃられていましたが、大切な場や言葉を校長は残してくださったのだなと感じています。
後藤 忘れられないイベントになりましたね。
上杉 僕は3年ほどの限られた期間でしたが、松岡正剛事務所で松岡校長に近いところで関わらせていただきました。校長のまわりには、順番もタイトルも日々変わる本の束とPILOT社のVコーンがありました。文章や言葉で形に出しつづける姿が、愛用していたシャープ製の書院(ワープロ)のキーボードから奏でられるカタカタという打音とともに、校長の面影として今もなお残っています。
松岡正剛を再編集するということは、残されたテキストだけでなく、「生涯一編集者」をモットーとされていた校長の生き方自体を起点にすることでもあると考えています。校長の生活=編集を、その速度やリズムごと記譜していくようなイメージでしょうか。
吉村 4月の近江ARS TOKYOは、松岡校長の最後の大イベントでしたね。素晴らしい会だと思いました。あの時校長はとても体調が悪い状態だったんですが、脇にいて、姿を見せずに影ナレのようにコメントをしながら、時に舞台に出ていったり出ていかなかったりしながら、「松岡正剛」を感じさせるようにしていたんです。逆にそれによってゲストとの親密さ、そして場全体のあたたかい抱擁感がでていたと思った。ここにきて、また新しい松岡正剛の表現スタイルをつくられていたことにびっくりしたんですよね。上杉くんも言ってくれていたけど、『別日本で、いい。』に、長い文章を寄せているじゃない? 最後に託したかったものがあそこに凝縮されているし、そこまで言っているものはなかなかない。内容が気づかされることが多いということ以上に、託されたものに胸に詰まるものがありました。
「近江」からネオバロックへ―近江ARS TOKYO(4月29日・草月ホール)出演者決定
別様への出遊に向かえ――『[近江ARSいないいないばあBOOK]別日本で、いい。』発売
別日本に向かって – 近江ARS TOKYO 裏舞台の10shot
◆写真を通じて、見え隠れする校長の面影と対峙する
後藤 個人的には、松岡校長のご逝去の直後に、写真学校のグループ展があって、これまで撮影した数々の校長写真から厳選して30枚ほど展示したんです。想定以上にいろいろな方が見に来てくださいました。写真を見直し、セレクトし、プリントして、展示する。そして来場者の方々と写真を通して松岡校長のことを言葉にする、という過程に「編集」の実感がありました。ただ、撮るべき人がいなくなってしまったというのは本当に大きくて。
マツコ 校長のことがあって、展示の企画を急遽変更なさったと聞きました。胸に去来する写真選び、空間づくりでした。
後藤 そんななかで迎えた9月の感門之盟 番期同門祭は大きかったんです。思いを共有しながら集中して場を創り上げる爆発的なエネルギーとエディターシップ。これぞ私が見たかったイシスだと思った反面、写真的には撮っても撮っても校長不在でどこか焦点がぼける感覚を覚えた2日間でした。
上杉 400名もの皆さんが結集した機会、圧巻でしたよね。来られなかった方々のために、JUSTライターの皆さんがたくさんの記事を多様な視点で編み上げてくださいました。
後藤 本当に。ISIS co-missionの存在も大きいと感じます。みなさんそれぞれに松岡校長へのコミットメントが高い方々でいらっしゃいます。学長を田中優子さんが引き受けてくださったこと、多読アレゴリアのクラブ監修を武邑光裕さん、今福龍太さん、優子学長が担ってくださり、武邑さんはエディストの連載、そして学長通信も昨日から始まりました。あ、ここのところ私は武邑さんにハマりつつあるんですが(笑)。
マツコ そうなんですか?いいですねー。
後藤 エディストの連載がすごく面白いですよね、ウフフ。
金 穂積くんのアイキャッチも素晴らしいね。
後藤 それと、[多読アレゴリア]は準備が間に合うか本当にやきもきしました。が、始まった今、皆さんの発言を見ていると、ひとりひとり、初日の自己紹介から個が立っているんですよね。各クラブのテーマ性が強いので編集の矛先が強く見えるというのは、講座では体験しえない新しいカタチと思っています。これからどうなるか、本当に楽しみです。
▶ISIS co-mission武邑光裕さんによるエディスト連載のアイキャッチ
◆全肯定で受けて転じる編集をエディストに。”物託衆”の活躍を期待。
マツコ 私は去年4月21日、ISIS co-missionのキックオフに参加させていただいたときに、コロナ禍をへて本当に数年ぶりに校長にお目にかかりました。iPhone動画に校長の姿が残っています。先ほどの吉村さんのお話を聞いていて、エディスト編集部、そしてエディスト・ライターたちは、校長がいらっしゃったらびっくりするぐらいの新機軸を出せるようなチームでありたいなと思っていました。松岡正剛を再編集するということと重なるといいのですが、しっかりと編集工学や編集が“地”にあって、校長の面影を感じながら、良質な記事を出していかれるメディア・チームでありたいと。気を抜くとみんなそこがうまく表現できずに、個人のブログのような記事になってしまうことが、時折あるんですよね(笑)。
金 松岡校長はいつも全肯定するじゃないですか。例えば、イベントで登壇した時に、明らかに失敗したな思っても、「いつもよかったよ」と言ってくれた。だけど、逆に調子良くパフォーマンスをしても褒めるわけではない。見ているポイントが違うんでしょうね。あの感じはすごく大事だし、いろんな場面でみんな救われたと思う。そうすると、エディストやアレゴリアでも、これだめだなというのがもしあったとしても、校長のように、こちら側から救えるようになるといいんじゃないかと。たとえば、突っ込みを入れる機能がついている、とか。それによって、その人たちが、方法によって方法に気が付く、という事が起こるかもしれない。それをメディア上でやることができたら、エディストはやっぱり編集だなという感じがしてくるんじゃないかな。編集の理解度も人によってばらばらになるし、自己流になっていくから、その時にメディアでカバーするとか、器を作るかという事が、本当はできたらいいけどな。なかなかウェブメディアだと難しい面も多いけれども。
マツコ 2025年、エディストの若干の改編を予定していますよね、この情報、初公開かな。そのひとつに、記事にコメントを付けていくことをはじめようとしていますよね、それが金さんのおっしゃったメディアになるための一助になるかもしれないですね。
吉村 そうそう、記事へコメントをつけることを、そろそろはじめたいと思っているんだよね。2019年の立ち上げの頃から考えていたことではあるんですが。まだまだウェブの新しいやり方や可能性はあると考えているので、[多読アレゴリア]のクラブから一人ずつなど担当してもらって、エディストをコメントで盛り上げていってもらうことを考えています。その人たちを、「物託衆(ものづきしゅう)」と呼ぶといいと思っています。コメントに、なにか「モノを」つけて返礼していく。
後藤 あ、そういえば、[多読アレゴリア]の”終活読書★四門堂”で、マンガのスコアの堀江純一さんが頑張っているらしいと小耳にはさみましたよ。
吉村 そうかぁ、だったらエディストでも、なにか堀江さんが発奮する企画を考えられるといいですね。
金 大音美弥子冊匠たちがナビゲートする四門堂は、とてもおもしろいですね。松岡校長がみたら、おもしろいというような迫力と、本の膨大な知識からくる情報、これがすごくいいですね。
編集部メンバー放談、2025年のエディスト改変詳細やメンバーからの抱負は、1月7日に公開予定。
続く“新春放談 其の弐”では、この流れで “あの方” がゲストです!お楽しみに。
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🎍2025年 新春放談🎍
其の壱 – 今年、エディストは“松岡正剛の再編集”へ向かう(1月2日公開)(現在の記事)
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エディスト編集部
編集的先達:松岡正剛
「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。
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