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【田中優子の学長通信】No.11 読むことと書くこと
- 2025/10/01(水)08:00
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今年の8月2日、調布の桐朋小学校の校舎で「全国作文教育研究大会」のための講演をおこないました。イシス編集学校のパンフレットも配布し、当日はスタッフも来てくれました。
演題は「書くこと読むことの自由を妨げない指南とは」です。これは、この研究会の皆さんの問題意識から決めた題名でした。つまり、作文教育をしている先生がたは、どのようにすれば「書くこと読むことの自由を妨げない」で、指導をできるのか悩んでおられたのです。これはイシス編集学校にとっても、大事なテーマでした。そこで、次のような構成にしました。
1、自由には2種類ある。「編集的自由」と「自己決定の自由」
2、読んでいる時、私たちの脳がしているのは「相互編集」
3、書いている時、私たちの脳がしているのは「問感応答返」
4、創造における「型」と自由の関係
5、添削をやめて「指南」をするにはどうしたらよいか
最初に、認識を共有してもらうために、松岡校長の「すでに投げ出された存在」についてお話ししました。「私たちは、そして、それらは、すでに名前がついている」「私たち(それら)は、すでに記述された中にある」「私たち(それら)は、すでに組織化されている」「私たち(それら)は、とっくに何かと関係づけられている」「私たち(それら)は、もともと制限をうけている」です。この前提があって初めて、「自己編集」と「相互編集」を始められ、そこに「編集的自由」が生まれることを、分かっていただきたかったからです。
次に、「読む」ことと「書くこと」は重なっていることを、ロラン・バルトの次の言葉を使ってお話ししました。
「書き得るテキスト」は物ではない。本屋ではまずみつからないだろう。
「書き得るテキスト」とは永遠の現在である。網目が多様で、いかなる網も他の網の上に立つことがなく、互いの間でたわむれる。
この「書き得るテキスト」とは、読んでいる私たちの頭の中に想起する言葉のことです。 言葉の奥に入っていく私たちの脳の働きを、意味しているのです。読み手は書いた「作者の意図」を超えて自在に物語を読むものです。テキスト(本)は発信者ではなく、「読む」とは受信することではありません。「読む」とは、言葉の中に自分の居場所を見つけ、そこに入り込み、多様な人と出会うことなのです。本と読み手とは相互編集をしているわけです。そこから考えて、「作者の意図を要約しなさい」という指示は正しいでしょうか? 試験にはこの手の問題が溢れていますね。しかし問うのであれば、「あなたはこの文章をどう読みましたか」であり、もっとふさわしいのは「あなたの中に何が起こりましたか?」でしょう。
他方「書く」とは、自ら問いを立て、そこに感応し、その問いに答えることです。そこで書いたものに対する「指南」は、正解に導くためのものではなく、どういう問いを立てたのかを含めて、そのプロセスを共有することでしょう。これらの話を、皆さんはご自身の体験も含めて、とてもよく理解してくださいました。
私はこのように、私自身へ依頼が来た講演の中で、イシス編集学校の型や方法や考え方を話すようにしています。これからの時代に、ますます重要になっていることだからです。
田中優子の学長通信
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アイキャッチデザイン:穂積晴明
写真:後藤由加里