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おしゃべり病理医 編集ノート-「連想と類似」でツッカマれた病理診断
- 2020/01/06(月)11:41
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年の瀬、検体が積まれた職場を脱走して、「ツッカム正剛」収録のため本楼に向かった。対談は、終始松岡校長の相互編集力に後押しされる形でぐいぐいと連想的に進み、わたしはそれに乗っかればいいだけだった。いや、乗っかってばかりではだめだったのだが…
前日に発売された千夜千冊エディション『編集力』の前口上に重ねて対談の進み方をふりかえってみる。
───「連想と類似」を野営の友とすれば、ナナメに走って、パサージュに遊ぶ。
『編集力』と『おしゃべりながんの図鑑』を連想的、類似的に重ねて対談を組み立てようと校長は言った。2冊の本の間にどれだけ対角線を見出し、ツッカミツッカマれながら遊べるかが勝負と理解した。対談直前にそれだけを決めて、「じゃ、はじめようか」と収録は開始された。
───仕事は「コードとモード」の組み換えだ。それが編集です。
古今の「推断と仮説」に目を凝らし、東西の「擬装と模倣」に学んで、
病理は「遺伝子異常と形態異型」の組み換えだ。それが診断の本質だと思う。オブジェマガジン『遊』の相似律と病理診断の見立てに目を凝らした。それを受けて校長は、『編集力』でも取り上げているマラルメ、カイヨワ、アガンベンなどの「形態知」を例として取り上げる。ポランニーの暗黙知に共感覚を照合させたりしながら、病理診断の本質に編集力がどのくらい潜んでいるかを校長と探る1時間半であった。
──なお誰も見たことがない未生の模様をつくっていく。
誰も見たことのない細胞模様を編んでいくような対談になったのではないだろうか。おこがましいけれど、わたしが顕微鏡で細胞を観察する方法と校長が言葉を紡ぐ方法は似ているのではないかと思った。
もともと細胞と言葉が似ているのだと思う。細胞は、核と細胞質で構成され、細胞膜で区切られている。言葉も、意味と音で構成され、音節として区切られる。そして細胞も言葉も形を持っていて、コードとモードがそこに紐づけられている。その両者をなるべく切り離さないで取り出す方法を模索することが編集で、イメージをマネージすることなのである。やはり病理診断の本質は編集工学である。
圧倒的な校長の「問感応答返」のチカラに誘われる形の対談であった。校長は、つねに用意を尽くす。用意を尽くさなければ、卒意はやってこない。
離の火元組に初めて挑戦した時、「蜷川くんの徹底的な用意に学ぶように」と言われた。セレンディピティの「迎えに行く偶然」(1304夜)というのは、用意のことであると教えてもらったのは、蜷川明男別当師範代と松岡正剛校長からだった。
今回の対談にあたり、校長は、わたしの『おしゃべりながんの図鑑』をマーキング読書して臨んでくださっていた。自分の本に校長の赤がいっぱい入っている「用意の痕跡」を目の当たりにして、それだけでわたしは胸がいっぱいになってしまった。
校長は次々に「問」を投げかける。わたしが様々なことを「感」じて「答」えるのだが、そこには広々とした「応」接間が用意されていて、どんなふうに答えても、校長が連想的に対話を膨らませる。相互編集における「問感応答返」という編集の型の威力を校長が実践して見せてくださった。恩「返」しをしなければ!
ツッカム正剛