【書評】『世界で一番すばらしい俺』×3×REVIEWS:生きるために歌う

2025/07/13(日)07:59 img
img NESTedit

松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、それぞれで読み解く「×REVIEWS」。

空前の現代短歌ブームといわれて久しい昨今、今回は歌集『世界で一番すばらしい俺』を取り上げます。推薦者はチーム渦メンバー・羽根田月香。たやすく死に向かうように見える若者の言葉をどう拒絶し、嫌悪し、偏愛していったのか。ゲストライター含め総勢5人で挑んだ受容の読書の軌跡を、それぞれが選んだ3首とともにご覧ください。


 

 × REVIEWSのルル3条

ツール:『世界で一番すばらしい俺』工藤吉夫歌集(短歌研究社)

ロール:評者 羽根田月香/大濱朋子/長谷川絵里香/吉居奈々/乗峯奈菜絵

ルール:1冊の本を3分割し、それぞれが担当箇所だけを読み解く。

 

1st Review ―羽根田月香

(目次)

校舎・飛び降り

うしろまえ

眠り男

仙台に雪が降る

〈選んだ3首〉

・十七の春に自分の一生に嫌気がさして二十年経つ

・バカにしているのを見やぶられかけて次の細工は丁寧に編む

・3個入りプリンを一人で食べきった強い気持ちが叶えた夢だ

人気女優を配した広告用の表紙カバー、その帯をめくれば暗い河原に遠く灯がにじむ、涙のような夜景が広がっていた。本歌集のすべてはきっと、この表紙に凝縮されている。音楽部に属し、恋して振られ、のっけから校舎を飛び降りた高校時代の「俺」。たぶん虐めや嘲笑の対象となってもいる。2首目に見られる、相手へのふるまいを「細工」と呼ぶ冷えた感性、そして3首目の滑稽味が突き抜けて、俺の物語をつらぬいていた。後ろ前に着ていたTシャツが生きづらさの原因だったと書く俺は、夜の河原を幾度も訪れたのだ。本歌集は短歌研究新人賞を受賞、主演の剛力彩芽の企画提案で2021年に映画化された。できれば彼女のアップの表紙カバーははずして、黒い河原の背表紙のままで、そっと本棚に置いておきたい。

 

〈返歌〉

「きっと好き」と君がえらんだ本であるまんまと好きで好きで笑った(チーム渦・羽根田)

 

 

2nd/3rd Review ―大濱朋子/長谷川絵里香

(目次)

魂の転落

黒い歯

ピンクの壁

車にはねられました

この人を追う

〈選んだ3首〉

・風景を見ているつもりの女生徒と風景である俺の目が合う

・腰を打つ 仰向けで 「アア!」「アア!」と言う 道路の上で産まれたみたい

・遠近感狂いはじめて森林が心の奥にあるようである

帯にある「校舎から飛び降り」に嫌悪さえ抱いた読み始め。31文字がまとう痛ましい余白は、しだいに私の隙間を刺激した。浮遊した眼差しは他者と交わる一瞬を逃さず、予期せぬ痛みは何度でも生まれ変わることを達観するかのよう。いびつな感性は思春期を過ぎてもなお、人へ物事へ自然へ問いかけ続けることで自らの存在を確認する。そんな歌人から吐き出された表象は、生きるために綴った宛名のないラブレターのようだ。

 

〈返歌〉

彼方から此方をみてる眼差しはかつての自分落とした「わたし」(チーム渦・大濱)

 

〈選んだ3首〉

・メガホンを持って応援する者のメガホンの中にある口うごく

・まぶしがる顔といやがっている顔の似ていてオレに向けられたそれ

・うるせえと注意している声だけがオレの耳まで無事たどりつく

早口言葉みたいな句に、思わず音読したくなる。だが声に出した景色からは不思議と音が聞こえてこない。叫ぶ口はさぞ騒がしいだろうに、まるで外界から遮音された透明の部屋の中で世界を見ているようだ。応援の声、目や眉を顰める顔は、誰から誰へ向けられたものだろう。想像で余白を埋めてみれば、オレに気づきもしない声と、オレに向かう視線の中に、繊細で強烈な劣等感と疎外感が滲んで見える。「うるせえ」と注意する声の主が、そんな自己否定に抗うオレなのだとしたら、書名は否定と肯定の間で明滅するオレの良心なのかもしれない。

 

〈返歌〉

逆光に立ったオレが眩いと思い返せど三十路過ぎ(チーム渦・長谷川)

 

 

4th/5th Review ―吉居奈々/乗峯奈菜絵

(目次)

人狼・ぼくは

おもらしクン

まばたき

ぬらっ

すばらしい俺

〈選んだ3首〉

・マーガリンの違いだったら知らねえなマーガリン野郎に訊けばいいだろ!

・この当時オレが笑っていたなんて信じ難いが夏の一枚

・甘口の麻婆豆腐を昼に食い夜に食うただ一度の人生

子どもは社会の宝だとか、何でもない日がすばらしいだとか、社会通念は生活上必要だ。多数が賛成していてむやみに喧嘩にならない。だが歌人はそうした期待がしのび寄る前に裏切っていく。既視感のある、輝かしくなりそうな気配はひたすらみすぼらしくする。世界を足蹴にしつつ、その実とても純粋に世界を切り取ろうとする。「俺」は反語のインターフェイスだ。

 

〈返歌〉

売られてもない喧嘩を買うやつの歌に惚れるの負けな気がする(チーム渦・吉居)

 

〈選んだ3首〉

・がんばろう?それは地震のやつですか今それオレに言ったんすかね

・赤や白や黄色のチューリップがあって近づけばオレの影で真っ黒

・膝蹴りを暗い野原で受けている世界で一番すばらしい俺

ガラスの破片を飲まされているような痛さを感じた。胸を打たれるというより抉られる。でも何かが響く。怒り、拒絶し、不信がり、いたたまれず、無気力で、笑い、泣き、愛し、皮肉り、諦観するオレ。そんな「オレ」が最後に「俺」になった。「暗い野原」が醸す底知れぬ深みで「俺」に見えた世界とは。たくさんのオレが放つ心の通奏低音に浸かっていると、ワタシの何かが剥き出しになる。これほどひりつく歌集は初めてだ。

 

〈返歌〉

立ちすくむ足元に影背に光心の信号どちらが青だ(33花放伝・乗峯)

 

 

『世界で一番すばらしい俺』

工藤吉生/短歌研究社/令和2年7月20日発行/1500円

 

■目次

校舎・飛び降り

うしろまえ

眠り男

仙台に雪が降る

魂の転落

黒い歯

ピンクの壁

車にはねられました

この人を追う

人狼・ぼくは

おもらしクン

まばたき

ぬらっ

すばらしい俺

あとがき

 

 ■著者Profile

工藤 吉生(くどう よしお)

1979年千葉県生まれ。宮城県にある通称「黒高」を卒業。30代前半に枡野浩一編『ドラえもん短歌』(小学館)で短歌に興味を持ち、インターネットを中心に短歌を発表し始める。2017年「うしろまえ」(20 首)未来賞受賞。2018年「この人を追う」(30 首)第61回短歌研究新人賞受賞。2020年第一歌集『世界で一番すばらしい俺』(短歌研究社)刊行。2021年『世界で一番すばらしい俺』が、主演:剛力彩芽/監督:山森正志により映画化。2024年第二歌集『沼の夢』(左右社)刊行。アリスという名の愛猫と共に宮城県在住。

 

出版社情報

 

3×REVIEWS(三分割書評)を終えて

歌集の扉に「表紙写真/著者」と書かれていたのが気になり、版元に問い合わせた。撮影したのは間違いなく著者で、何を撮ったかは「本人でないと分からない」と素気ない返答があった。あぁ、膝蹴りを受けた野原を撮ったのだな、と思った。それも版元にも伝えずに。歌人川野里子は、現代の短歌に見られる生きづらさには〝外がない〟と評したけれど(短歌研究第76巻)、彼らの言葉の外側に置かれてしまうのは、うかうかしていると我々大人のほうなのかもしれない。(羽根田)


 

これまでの× REVIEWS

安藤昭子『問いの編集力』×3× REVIEWS

ブレディみかこ『他者の靴を履く』×3× REVIEWS

福原義春『文化資本の経営』×3×REVIEWS

鷲田清一『つかふ 使用論ノート』×3×REVIEWS(43[花])

前川清治『三枝博音と鎌倉アカデミア』×3×REVIEWS勝手にアカデミア
四方田犬彦編『鈴木清順エッセイコレクション』×3×REVIEWS勝手にアカデミア

ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史(上巻)』
ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史(下巻)』

白石正明『ケアと編集』×3×REVIEWS

  • エディストチーム渦edist-uzu

    編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。

  • 自分の思考のクセを知り、表現の幅を広げる体験をー学校説明会レポート

    「イシス編集学校は、テキストベースでやりとりをして学ぶオンラインスクールって聞いたけど、何をどう学べるのかよくわからない!」。そんな方にオススメしたいのは、気軽にオンラインで参加できる「学校説明会」です。  今回は、6 […]

  • 『ケアと編集』×3× REVIEWS

    松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、3人それぞれで読み解く「3× REVIEWS」。 さて皆 […]

  • 寝ても覚めても仮説――北岡久乃のISIS wave #53

    コミュニケーションデザイン&コンサルティングを手がけるenkuu株式会社を2020年に立ち上げた北岡久乃さん。2024年秋、夫婦揃ってイシス編集学校の門を叩いた。北岡さんが編集稽古を経たあとに気づいたこととは? イシスの […]

  • 目に見えない物の向こうに――仲田恭平のISIS wave #52

    イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。 仲田恭平さんはある日、松岡正剛のYouTube動画を目にする。その偶然からイシス編集学校に入門した仲田さんは、稽古を楽しむにつれ、や […]

  • 『知の編集工学』にいざなわれて――沖野和雄のISIS wave #51

    毎日の仕事は、「見方」と「アプローチ」次第で、いかようにも変わる。そこに内在する方法に気づいたのが、沖野和雄さんだ。イシス編集学校での学びが、沖野さんを大きく変えたのだ。 イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変 […]