御杖の「言霊」と日本語の成り立ち【輪読座「富士谷御杖の言霊を読む」第一輪】

2024/02/11(日)08:00
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2023年秋、【日本言語論シリーズ】という新しい冠を持った輪読座「富士谷御杖の言霊を読む」が開筵した。「どうやったら富士谷御杖を紹介できるか。第1回は日本語発見時代と題しました」と輪読師バジラ高橋が口火を切る。バジラ高橋により解説された“日本語発見時代”は江戸中期である。書き言葉としての漢字は中国から入ってきたけれど、話し言葉として“日本語”は漢字が伝わるずっと以前から存在していたはず。“日本語発見時代”とはどういうことなのだろう。聞き手に問いを与えながら「富士谷御杖の言霊を読む」は開いていく。

 

 

◆オラリティで発達した日本語

日本人は縄文以来、オラルコミュニケーションで言葉を交わしてはいたが長いあいだ文字を持ってはいなかった。奈良時代末期に編纂された『万葉集』は中国の言葉である漢字の“音”を借りてきて万葉仮名で書かれた。日本語のオラリティを残しながら漢字音訓表記のリテラシーに変換したことで、その後の日本人は『万葉集』や『古事記』の読解にはかなり苦労することとなった。慣れない漢字を使ったにも関わらず太安万侶が『古事記』をわずか4か月で高速執筆したことに対して、本居宣長は『古事記』を読み解くのに35年を要したということからも解読の難度が伺える。宣長が出るより100年ほど前、契沖(1640-1701)という密教僧がいた。契沖は『万葉集』を中心に『日本書紀』『古事記』『源氏物語』などの文献から仮名遣いを分類し、その研究成果を『和字正濫抄』にまとめた人物である。契沖がいなければ、宣長の『古事記伝』の読み解きは為されていなかったかもしれない。

 

 契沖の評価が定まったのは宣長によっている。宣長は師の堀景山に示唆されて契沖の『万葉代匠記』を読み、ここで最初のパラダイム・チェンジをおこしたのだった。宣長がいなければ契沖を深く読むことはできなかったし、契沖がいなければ国学はおこっていなかった。

 

千夜千冊#992夜『本居宣長』 小林秀雄

 

 

日本語を救った男が契沖なんだよね。『万葉集』がなんとか読めるようになった時代で、一般に喋っている日本語はいかなるものなのかという研究が江戸中期にようやく始まったんです。

 

 

◆富士谷御杖を取り巻く国語学者たち

富士谷御杖(1768-1824)の父である富士谷成章(1738-1779)は、日本語の研究史においてことばの体系性を意識した最初の人であるという。それまで日本語には「名詞」「動詞」「形容詞」という分類がなく、「山・川・海」や「行く・見る・飛ぶ」といった個々の言葉があっただけだった。成章は日本語の品詞を「名」(名詞)、「装」(よそひ:動詞・形容詞)、「挿頭」(かざし:副詞・接続詞・感動詞)、「脚結」(あゆひ:助動詞・助詞)に分類する。日本語の特色をなす「挿頭」と「脚結」を焦点に日本語学書『脚結抄』、『挿頭抄』を残し、日本語の構造体を明らかにした。「名」は人の体を、「装」は体を装うものを、「かざし」は頭部をかざるものを、「あゆひ」は人の脚部にまとうものをそれぞれ表す。この名付け方は「文」をひとつの人体に見立てたものであった。本居宣長(1730⁻1801)も富士谷成章の『脚結抄』『挿頭抄』を絶賛したという。成章に影響を与えたのが兄である皆川淇園(1734-1807)だ。「名」が「物」を生じるとする開物学が皆川淇園の思想の特徴的な考え方で、「名」を生じる言語作用は脳神経系の作用(神経)と同じく体系的存在であるという見方をした。成章の子である富士谷御杖は叔父皆川淇園に開物学を学び、父から国語学を継承したのだ。

 

真ん中の三角の中にいれるべきは「開物派」。開物派を出現させたのは皆川淇園、淇園の弟が富士谷成章で成章の息子が御杖である。この3人が開物派を形成した。

 

 宣長以外にも研究者が次々にあらわれた。富士谷成章の『脚結(あゆひ)抄』といった、日本語の根本文法を問う研究も出てきた。富士谷成章は、日本語の言葉のすべてを、「挿頭」(かざし=接頭語・代名詞)、「装」(よそい=用言)、「脚結」(あゆひ=助動詞)、「名」(な=名詞)に分けたのだ。「装」はさらに事(動詞)、状(形容詞)、在状(形容動詞)に分けた。たいへん興味深い。かつてぼくは成章の息子の御杖のほうから富士谷学に入ったものだった。

 

千夜千冊#1263夜『やちまた』  足立巻一

 

 

 

◆富士谷御杖の方法“言霊”論

富士谷御杖は日本語が変動しつつある時代に生きた。日本語は「理論の時代」から「実践の時代」に移行しはじめていた。御杖は、成章が六期(万葉~781、古今~986、拾遺~1158、新古今~1242、勅撰集10代~1464、勅撰無し~1713)の和歌の名詞の意味・文法変化を具体的に示した『七体七百首注解』の講義を文書化する中で、言語変遷の間に変わらないものは何かという問いを持った。言語そのものは変化し続ける。しかし『万葉集』や『古事記』にあらわれ、江戸の時代まで変化していないものもあるのではないか。言語の発音や意味が変わっても変化しない要素を御杖は“言霊”とした。“言霊”を含んだ分野や詩歌、和歌や漢詩を“真言(まこと)”と呼び『真言辨』でその性質を探求する。人間には元来「欲」があるから、時の制約に個人が対抗するのは難しい。その制約を超えて発動し続ける文書や文芸が言霊をはらみ、持続していく。言霊を発揮し続けることが人間の使命である。御杖はそういう論を持った。

 

バジラ高橋
バジラ高橋
今では「流浪する日本語」になっているんだよ。我々は少数言語である日本語を大事にしていかないといけない。多言語が相互交流できるようなシステムを日本が考えるべきだと思っているわけですね。


 

富士谷御杖の「言霊」とはいかなるものか。『花鳥の使』で尼ヶ崎彬が「五典」と記した構造をバジラ高橋は『真言辨』における「言霊過程としての詠歌五典」として解説した。

 

第一段階は「偏心(ひとへごころ)」と言われる。何事にもよらず一筋にうち頼む心であって、正邪によらない。偏心が正となれるかどうかは時代が決める。『花鳥の使』では“私的な思いこみ”ともされている。

 

偏心はうちなる神の出現によって緩和される。偏心をそのまま時に対抗させれば「禍」を招くが、内なる「神々」が働くことで偏心と時を調和させると「福」に転じる。これが第二段階の「知時」だ。

 

偏心の根にある欲情が余りに深いとうちなる神では制御しきることができず、鬱情が現われる。第三段階の「一向心(ひたぶる心)」である。偏心は人間にとって本来の所思所欲であり、神道によって制し尽くせるものではない。

 

葛藤が「一向心」をおさえかねたときに必要となるのが第四段階の「詠歌」の道。一向心が発露し、心が声となり、かたちが与えられることで気分がはれて鬱情が解消すると、そこに「真言(まこと)」が表出する。

 

「詠歌」によって「一向心」の所欲は鎮静化され、「時」に適応することができるようになる。第五段階の「全時」である。言語空間を突き破ってくるもの、それが言霊だ。言霊というのはいつの時代でも世界を回転させる力を持つ言葉であって永遠に作動するものなのである。

 

 

 

この五典の方法は21世紀に置き換えても取り入れられるように思えた。自分の思考や数寄が偏っていることを認識している人も多いだろうし、内なる神で制御している人も数多いるだろう。自己による制御を超えて鬱情が発生したときに、「詠歌」のように発露する方法を忘れてしまった事が我々の不足なのだろうか。それとも発露させる手段は持っているが、時流に埋もれた結果「言霊」とは程遠くなった言語力の停滞なのだろうか。

22世紀以降に残したい「言霊」は何なのか。バジラ高橋の明示的なナビゲートに乗っかって、富士谷御杖の方法を探求していきたい。

 

 

輪読座はアーカイブ映像で後追い視聴できるため、どこでも、いつからでも受講可能である。

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https://es.isis.ne.jp/course/rindokuza

 

 

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  • 宮原由紀

    編集的先達:持統天皇。クールなビジネスウーマン&ボーイッシュなシンデレラレディ&クールな熱情を秘める戦略デザイナー。13離で典離のあと、イベント裏方&輪読娘へと目まぐるしく転身。研ぎ澄まされた五感を武器に軽やかにコーチング道に邁進中。