発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

2005年という年は、政治では郵政選挙が行われ、都市と地方の分断がいっそう鮮明になりました。都市と資本の論理で隅々まで埋め尽くそうという思想がいよいよ先鋭化してきたとも言えるでしょう。数年前から続いていた基礎自治体である市町村が統合したり、吸収されたりする「平成の大合併」が最も集中する年にも当たります。郷里の呼び名が変わってしまったということも多くありました。
同じ年に「自然の叡智」をテーマにした国際博覧会「愛・地球博」が行われ、そこでは「人と自然が織りなす日本の風景百選」が選ばれました。人々は自然や里山やふるさとのことが気になり出していたようです。
千夜千冊は、1001夜の尻尾から半年が経ち、2005年1月25日に更新された1002夜『聖なる空間と時間』ミルチャ・エリアーデを皮切りに12月31日の1092夜『日本の失敗』松本健一まで長く長く尻尾が続いていきました。
その年の編集学校はというと、なんと言っても大きい出来事は松岡正剛直伝「世界読書奥義伝」第1季「離」の開院、そして花伝所のスタートでしょう。教室は11守から13守、10破から12破がと続きました。その数年前から編集学校のネットワークが全国に広がり、加賀や畿内の地で支所活動、藤沢市での講座、九州支所の胎動なども見られるようです。
伝聞でしか語れないのが残念ですが、私が入門した2006年の前年の出来事。そんな2005年を代表する本として私が選んだのは次の一冊です。
『風景と記憶』サイモン・シャーマ 高山宏・栂正行訳/河出書房新社(2005年2月刊行)。本から引用します。
…子供の自然観にしてすでに錯綜した記憶、神話、意味をたっ
ぷり孕んでいるのだとすれば、われわれ成人の目が風景を見る
フレームはいかばかり緻密につくりあげられていることだろう。
というのも我々は自然とそれに対する人間の知覚を二つ別々の
領域に峻別することに慣れているが、実際には二つは分離不能
なものなのだ。風景は五官を憩わせてくれる場である前に、精
神の所産である。その風景は岩の積層からできているが、同じ
くらいたたなずく記憶の層からも組み立てられているのだ。
(p.15)
…われわれがわれわれの文化と最も無縁のものと思っている風
景でさえ、仔細に見ると、文化の産物であることがわかるかも
しれない。(p.16)
私は、まだ知らなかった編集学校でも、きっと、開講当日の教室で画面を前に発言が現れるのをドキドキしながら待つ姿や、アリスとテレス賞エントリー当夜には熱狂が繰り広げられた光景や、クローズ当日の師範代のじれったい様子を想像することができます。そして、それらは現在も続いていて、将来の教室でも、きっと続いていく風景であることを確信できます。私たちは、先人たちの観てきた風景と記憶を分有し、つないでいくトライブだと言えるのかもしれません。
2005年の個人的な記憶を少し記します。当時私は、奇しくも本書の訳者高山宏先生と同じ場所に居合わせていました。そこは東京の西の端にある「廃墟」とも称された、強制的に名前を奪われてしまった場所で、その一角には「ジンブントウ」と呼ばれた建物がありました。私は2階に出入りし、高山先生は上階の住人で、夏はアロハシャツと黒メガネで歩くする姿をよくお見かけしていました。本書の訳業=偉業を知ったのはもっと後になってからのこと。本書を手にすると、当時の気分とはまったく別に、あの場所のことを誇らしい思いで思い出すことができます。しかし、当
時の私はそこから出立を企てていました。
当時も千夜千冊の読者で『パサージュ論』ベンヤミンの印象が強いので、900夜前後から読んでいたのだと思います。2005年は、1001夜を超え、新たに更新が続いていく年でした。直接話を聞いてみたい、その機会が訪れたのは、目黒の庭園美術館での講演で、年も替わり桜の季節でした。そこで雷鳴を受け、夏の終わりに赤坂の急坂を登り胸を高鳴らせて受けた門前指南、熱が覚めやらぬまま秋に入門し、力を溜め込んだ冬に
卒門。それからいまへと、と続いてきました。
あの時の衝撃、華厳とライプニッツの球体鏡像世界(モナドロジー)と、ポイントフラッシュの、松岡校長の目眩く語りと、それに圧倒されながら聴き入っていた光景を思い出し、その光景の記憶はこの一文を物するためのではなかったかと、15年前の自分にふと語りかけられた気がしました。
長文の上、個人的なことになってしまいましたが、以上2005年でした。20周年本当におめでとうございます! 次は、いよいよ「2006年」。浅羽冊師に、バトンをつなぎます。
金 宗 代 QUIM JONG DAE
編集的先達:宮崎滔天
最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
photo: yukari goto
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。