■ブキミないがらしみきお
「ぼのぼの」作家として広く知られるようになった、いがらしみきおですが、彼には、もう一つの顔、長編作家としての顔もあります。むしろ今世紀に入ってからの、いがらしみきおは、こちらの側面の方が印象深くなってきました。
『かむろば村へ』(小学館)、『I(アイ)』(小学館)、『羊の木』(講談社)といった作品群は、『ぼのぼの』とは、ずいぶん趣を異にしています。同じ人が描いているのですから、ペンタッチの根っこは同じなのですが、長編の方の、いがらし作品のキャラは、なんともブキミですよね。こんな顔は、いまだかつてマンガの中で見たこともない、しかし現実には「こんなヤツよくいる」と思えるような、妙にリアルで生々しいものです。系譜から言えば山上たつひこの直系ともいえますが、この、いがらしの描く人間の顔は、かなり好悪の分かれるところで、激しい拒絶反応を示す人も少なくありません。『ぼのぼの』の、あのかわいらしいタッチのいがらし先生が、人間を描くと、なんでこんなに気色悪くなってしまうの?と言いたくなる気持ちもわかります。しかし、これこそが、いがらしみきおなのです。
ロボット工学で「不気味の谷」という言葉がありますが、いがらし作品に登場する人間の顔は、まるで「不気味の谷」の断層に落ち込んだような顔をしています。まるで、この世ならざる者たちが人間世界の住人を演じているかのようです。
思えば、いがらしみきおは、人と人ならざるものの間に横たわるブキミの谷を凝視し続けた作家でした。擬人化動物マンガである『ぼのぼの』では、いがらしみきおの、このブキミな側面がきれいに払拭されているため、どなたにもご賞味いただける作品に仕上がっていますが、実はその底には、つねに世界の薄皮を一枚剥がした向こう側を凝視する冷めた視線が隠されています。
■長編作家いがらしみきお
長編作家としての、いがらしの軌跡を、あらためて振り返ってみましょう。
『ぼのぼの』連載開始より、しばらくの間は、この路線をひた走っていたいがらしみきおでしたが、92年の『のぼるくんたち』(講談社)あたりから、ちょっと毒のある笑いに復帰します。これは老人ホームを舞台にした、かなりアブナいブラックユーモア作品でした。幼児と老人は、この世的な「生」の世界のマージナルに位置しているという意味では、人間のブキミさに対する、いがらしの冷めた視線が感じられます。
(『Sink』①②いがらしみきお・竹書房)
その後、2002年には本格ホラーマンガ『Sink』(竹書房)を発表。
『Sink』が発表されたときの読者の反応は、賛否両論――、というほどでもないのですが、「ちょっとガッカリ」という声が、チラホラ聞こえていたように記憶しています。
なにしろ、あのいがらしみきおの描く初の本格ホラー、しかも休業中に描き溜めていた伝説の原稿「グール」がベースになっている、と聞けば、期待はいやが上にも高まろうというもの。しかし、ふたを開けてみれば、ごく「フツーに」面白いマンガだったので、「あれ、そんなものなの」という感想を持った人も少なくなかったようです。(繰り返しますがフツーに「面白かった」のです。読者というのは、貪欲でわがままなものです。)
しかし、ここでとどまるいがらしみきおではありませんでした。『Sink』を描くことで、いがらしは、たしかに何かをつかんだようです。『ほのぼの』の陰に隠れていた、いがらしみきおのもう一つの顔が、ここでようやくはっきりとした輪郭を取り始めます。
つづいて発表された不気味きわまりない短編集『ガンジョリ』(小学館)は、もはやホラーと言っていいのかギャグと言っていいのか、よくわからないような分類不可能な作品群で満たされており、少なからぬ人々の度肝を抜くものでした。「笑いと恐怖は紙一重」という人口に膾炙したフレーズは、まさにこの作品集のためにあると言ってもいいでしょう。
(『かむろば村へ』①いがらしみきお・小学館)
これをステップに、いがらしみきおは、いよいよ本格的な長編にとりかかります。それが2007年より始まる『かむろば村へ』です。お金を一切使わないで生きていくことを決心した青年が、とある一寒村にやってきて騒動を巻き起こすという物語で、最初はこの主人公の奇矯な行動をめぐるドタバタ劇で始まるのですが、やがて物語は追わぬ方向に展開していき、純朴な村人だと思われていた人たちの隠れた側面が次第に露わになっていきます。
この物語には、なんと「神様」が登場します。神様はこう言います。
「この世の問題は、たいてい解決する。思った通りの形ではないけれども」
こうして、神の部屋である「神室場=かむろば」を舞台にした物語は、やがて神話的語りの次元に突入していきます。
人と人ならざるものの間に横たわる戦慄の谷を凝視し続けていたいがらしは、ついに、その断層を跳躍しようと試み始めるのです。
そして、いよいよ、あの畢生の大作ともいうべき『I(アイ)』が誕生します。
(『I(アイ)』①いがらしみきお・小学館)
2010年8月より連載開始されたこの作品は、作者のこれまでの死生観をぶつけるような大作でしたが、連載の最中に、あの東日本大震災が起こり、東北在住のいがらしは被災します。このことが作品に大きな影を落としていったことは言うまでもありません。
物語は、平凡な常識人である雅彦の視点から、異形の男、イサオを語るかのような語り口でスタートします。ところが話が展開していくうちに様子がおかしくなり、最初から神の領域に片足突っ込んでいるかのような彼岸の人、イサオは後景に退き、神を求める雅彦の異常な執着を軸に、物語が展開していくようになっていくのです。
神様ってホントにいるの?死ぬってどういうこと?自分っていったい何?こうした根源的な問いを問い続けてやまない雅彦は、次第に常軌を逸した行動を取りはじめ、突然失踪して乞食のような生活を始めたり、自ら目を潰して盲目の人となったり、鬼気迫るような情熱で真理を追い求め続けます。それはまるで悟りの境地を追い求めるあまり、その執着の強さから逆に餓鬼道に転落していく修行僧のようです。
『ぼのぼの』は、ときに哲学的とも評されますが、『I』は、いがらしみきおの哲学観を、武骨なまでに、ストレートにぶつけてみた作品とも言えます。最後は性急な展開になり、賛否両論だったとも聞きますが、いがらしみきお自身は、自分を誤魔化すことなく出し切ることができたと納得しているようです。というのも、彼は別のマンガ作品(『今日を歩く』小学館)のあとがきの中で、
「『I』は、なんというか、私にとっての最高傑作でした。自分でそんなこと言うのか、と言われるかもしれませんが、作者だからこそわかることがあります。」
と書いているのです。
『I』という作品は、いがらし個人の生々しい実感をベースに、下手な小細工をせず直球でぶつけにきているような印象を覚えます。それが、この作品を、多少の構成の破たんなど補って余りある傑作にしているのです。
■レジェンドすぎるにもほどがあるコラボ
いがらしみきおは、畢生の大作とも言うべき『I』の連載中に、もう一つの大きな連載を始めてしまいます。それが、山上たつひこ原作・いがらし作画による『羊の木』です。
(『羊の木』①~⑤いがらしみきお・講談社)
山上たつひこは、この連載でも、いずれ取り上げることになるレジェンドな作家ですが、ギャグマンガ界のレジェンド中のレジェンド二人がタッグを組んだこの企画は一つの事件でした。
あまりに個性の強すぎる二人のコンビネーションは、果して上手くいくのかと危惧を抱く人も多かったようです。しかし、ふたを開けてみると、このコラボは大正解でした。
もともと、この原作は山上本人が描くつもりで用意をしていたものですが、プロットを書いていくうちに膨大なものになってしまい、これはもう自分で描くより他の人に任せてみたいと思うようになったそうです。そこで山上が白羽の矢を立てたのが、いがらしみきおでした。それまで、この二人は全く面識がなかったというのだから驚きです。さすがのいがらしも、この大役に二つ返事という訳にもいかず、そうとう悩んだ末にオファーを受けたとか。
物語は、とある地方の港町に、11人の元受刑者たちを住まわせ、更生を促す極秘プロジェクトが行なわれる、というものなのですが、この11人の犯罪歴が、それぞれ巧みに設定されていて面白い。
原作者の山上先生は、第一巻巻末対談の中で「ヤクザの抗争で、三人日本刀でぶった切った奴でも同じ部屋にいられる気がする、でも、借金を断られた腹いせに相手を絞殺した人物には百メートル以上近づきたくない」と言っています。このいわく言い難い生理感覚の差が重要です。ヤバイやつなのかそうでないのかの境目が紙一重なのですね。こいつは大丈夫だと思っていたら、ふとしたはずみにやばいゾーンに突入していたりする。まさに、いがらしみきお的な境界線上のブキミさの炸裂するストーリーで、まるで山上が、最初から、いがらしに宛てて書いていたかのような物語です。山上先生が描いていても十分ブキミだったでしょうが、もうちょっと人間寄りだったような気がします。
さて、「ぼのぼの」も依然、好調ないがらし先生。もうこうなったら「ぼのぼの」は死ぬまで描くと宣言しているそうですが、それもいいですけど、「ぼのぼの」以外も、これからもお願いしますよ。
アイキャッチ画像:いがらしみきお『ガンジョリ』小学館
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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