【三冊筋プレス】神の蟲は海を渡ってやってくる(猪貝克浩)

2022/10/22(土)08:37
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 <多読ジム>season11・夏の三冊筋のテーマは「虫愛づる三冊」。虫フェチ世界からのCASTをつとめるのは渡會眞澄、猪貝克浩、田中泰子の面々である。夏休みに引き戻してくれる今福龍太・北杜夫から生命誌の中村桂子へ、虫眼鏡から顕微鏡への持ち替え。虫と日本人の関係から神の正体にもリーチする考察の着替え。そして、千夜千冊『虫の惑星』に導かれた「センス・オブ・ワンダー」と幼な心の風景の乗り換え。多読する虫たちの祭典を堪能あれ。


 

 疳の虫を払うために、祖母はわたしを近くのカミサマのところへ連れていった。手のひらに墨で文字を書き、まじないの呪文を唱えると、白い糸状の疳の虫が這い出てくる。信心深い祖母は商いでの迷いや家族の悩みをカミサマにお伺いを立てては解決していた。二十世紀の東京オリンピックが開催される少し前の頃だ。まだ民間信仰は生活の中に根づいていた。

 

◇富を生む幼虫と日本書紀の謎

 

 事件は皇極三年七月、山背大兄王の死と蘇我入鹿の誅殺の間の年に起こった。絹糸を吐く幼虫、常世神の信仰が流行る。常世の虫をまつれば富と長寿を授かると信じられた。邪教、人を惑わすと秦河勝がこれを討伐した。

 古代政治の大転換となった大化の改新前夜、突如日本書紀に登場する虫事件は何を意味するのか。高等学校校長を務めた昆虫数寄の小西正己は、『古代の虫まつり』で常世虫の正体を追い、仏教と民間信仰、渡来系の漢氏と秦氏の確執、政治の表舞台から道教が排除されたわけを探っていく。日本書紀の編纂意図は、乙巳の変が「蘇我が天皇の権威を犯したために粛清された」という皇権の回復にあったことが明かされる。皇極紀への常世の虫事件の挿入はその意図に沿ったものであった。

 古来、常世は常夜と書いた。常世とは暗黒の黄泉の国であった。古代の人々は幼虫、蛹、成虫と変態する蛾の姿に、死から生へのよみがえりを見た。常世神は海を渡ってやってくる。常世の虫はシンジュサンの幼虫だという。樗蚕、神樹蚕と表記する。カイコに似た、橘を食樹とする幼虫を常世神としてあがめた。シンジュサンの蛹はまるで蓑笠を着た人の姿のようだ。人々はその姿に神が宿ると感じた。

 

◇蚕神・金色姫と近代日本を支えた養蚕

 

 『養蚕と蚕神』は日本の近代化の一翼を担った養蚕業の歩みを示す。その過程で、蚕の品種改良の成功は優生思想の根拠となり、ナショナリズムを高揚した。宮中で皇后が率先する養蚕は、養蚕図の大量流通とともに、母性的で貞淑な女性としてのイメージを流布した。養蚕業は明治以降、殖産興業を掲げた国策のもと飛躍的に発展する。西欧の研究の導入もあり、蚕は改良され多回育が可能になり、養蚕は農家にとって副業から主業となった。最盛期の昭和四年には、全国の農業者の四割近くが養蚕に携わるほどであった。

 養蚕業を担う女性たちには蚕の民俗神・金色姫をまつる蚕影信仰があった。茨城県つくば市の蚕影神社には金色姫物語の縁起がある。金色姫は天竺から桑の樹で作ったうつぼ舟で海を渡り、常陸の国に流れ着いたという。明治政府から弾圧されたにもかかわらず、蚕影信仰は養蚕業において消えることなく、根強く生き続けた。社会学者博士であり絵本出版社の代表も務める沢辺満智子は、養蚕業は虫の命を資本とし、かつ大量に虫の命を奪うことで成立している産業であるという。蚕の生と死に立ち会う女性たちの身体感覚とその経験世界が蚕影信仰を支えていた。

 製糸工場は近代化される一方で、養蚕の工場化は失敗に終わる。人間によって長い年月をかけて家畜化された蚕は自力では餌を捕食できない生き物だ。また、蚕室のちょっとした温度変化で蚕は死んでしまう。どんなに製糸業の規模が大きくなろうと、養蚕農家への管理が強まろうと、養蚕の現場は農家の女性たちの手の中にあった。4度の脱皮を見守り、繭づくりの世話をする。飼育者と蚕の関係は人間の母と子のようだ。蚕影信仰は母の祈りであった。

 

◇巨大な蛾が飛翔する1961年の日本

 

 東京タワーを蔽った繭のなかから金色の目をしたモスラが巨大な蛾となって飛び立つ。なぜモスラは蛾の姿なのか。巨大なカイコガの幼虫として登場するモスラは養蚕を連想させる。映画が公開された1961年当時、日本のいたるところに養蚕の作業場や桑の木はあり、それらは日常の風景であった。高級品の絹は戦後復興を支える輸出品であり、日本各地で生産されていた。

 『モスラの精神史』の著者・小野俊太郎は『モスラ』という特撮映画の裏に、いくつものイメージや枠組みの重なりを読む。養蚕との関連を、三木露風の「あかとんぼ」、川端康成の『雪国』で例示し、オシラサマやオカイコサマの信仰に母性や女性との結びつきを強調する。モスラは蚕を通じて日本の古層とつながる。また、モスラは「変形譚」というヨーロッパの文学伝統に関連づけられ、蛾のイメージは戦場での爆撃機を思わせる。さらに、モスラがまつられる南方の島は、当時の人々にとって、かつての戦争における占領地や激戦地を想起させるものであった。

 映画『モスラ』には文学者の堀田善衛、中村真一郎、福永武彦の三人による小説「発光妖精とモスラ」という原案があった。小説のテーマは弱小民族の怒りであった。ゴジラは原水爆の恐怖の具現化であったが、モスラは日米安保条約と米ソの冷戦構造を浮かび上がらせる。外国人の悪徳興行師がインファント島の小妖精を拉致したため、母親である小妖精を救済すべくモスラ神は幼虫の姿で海を渡る。次いで巨大な蛾の姿となり、アメリカ本土へと向かう。モスラの行動原理は母と子の関係を軸にしたモスラ神話によって規定されていた。モスラ神話は原作者のひとり福永武彦が南太平洋の神話をもとに詳細に創作したものであった。

 

 手のひらに白い糸となって湧く虫もあれば、富と長寿を授けるとして信仰される虫もある。養蚕においては飼育者と蚕はまるで母と子であるような関係をつくってきた。とはいえ、養蚕で蛹は決して孵化することはない。繭は絹糸となるべく湯につけられ、蛹はすべて死んでしまうからだ。成虫となったモスラは繭をやぶり、大空に飛んだ。そこにはいくつもの思いが託された。またいつの日か、神と崇められる蟲は海を渡ってあらわれるのだろうか。

 

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕

∈『古代の虫まつり』小西正己/学生社

∈『養蚕と蚕神ー近代産業に息づく民俗的想像力』沢辺満智子/慶應義塾大学出版会

∈『モスラの精神史』小野俊太郎/講談社現代新書

 

⊕多読ジム Season11・夏⊕

∈選本テーマ:虫愛づる3冊

∈スタジオゆむかちゅん(渡會眞澄冊師)

∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結型

『古代の虫まつり』→『養蚕と蚕神ー近代産業に息づく民俗的想像力』→『モスラの精神史』

 

◆著者プロフィール◆

 

∈小西正己(こにし まさみ)

1927年、和歌山県に生まれる。大阪市教育委員会指導部主管を経て大阪市立西商業高等学校校長。退職後PL学園女子短期大学助教授となる。「虫好き人間」を自認する日本昆虫学会会員である。

 著作として『昆虫考現学―気まぐれ虫屋のセレナーデ』(教学研究社2001年)『昆虫採集便覧 – 採集の方法から観察と研究まで』(教学研究社2001年)など。また古代史関連では、古代日本が「秋津島」を自称した理由を「日本書記」の伝承を訪ね、トンボの国・秋津島の実像を浮き彫りにした『秋津島の誕生 トンボに託した古代王権』(朱鷺書房1997年)がある。

 

∈沢辺満智子(さわべ まちこ)

1987年、茨城県つくば市に生まれる。2017年、一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士課程修了。博士(社会学)。一橋大学、多摩美術大学非常勤講師。共著に『VIVID銘仙――煌めきの着物たち』(青幻舎2016年)、『越境するファッション・スタディーズ』(ナカニシヤ出版2021年) などがある。2020年につくば市で設立した絵本や児童書を発行する出版社のポリフォニープレス合同会社の代表。イタリア生まれの絵本作家フィリップ・ジョルダーノの絵に沢辺自身が文章を書いた絵本『かぜのうた』(2021年)を出版している。

 

∈小野俊太郎(おの しゅんたろう)

 1959年、札幌に生まれる。東京都立大学卒、成城大学大学院博士課程中途退学。評論家として文化現象としての映画や文学の関連を考察する。成蹊大学、青山学院大学などで教鞭をとる。

「精神史」のシリーズとして以下の著作がある。

『大魔神の精神史』(角川oneテーマ21新書2010年)

『ゴジラの精神史』(彩流社:フィギュール彩2014年) 

『ウルトラQの精神史』(彩流社:フィギュール彩2016年)

『ガメラの精神史 昭和から平成へ』(小鳥遊書房2018年)

『エヴァンゲリオンの精神史』(小鳥遊書房2022年)

  • 猪貝克浩

    編集的先達:花田清輝。多読ジムでシーズン1から読衆として休みなく鍛錬を続ける日本で唯一のこんにゃく屋。妻からは「人の話が聞こえていない人」と言われてしまうほど、編集と多読への集中と傾注が止まらない。茶道全国審心会会長を務めた経歴の持ち主でもある。

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