第51期[守]が開講してまもなく、将棋界では藤井聡太竜王が前人未到の快挙を繰り広げていた。20歳10か月の最年少で名人位を獲得し、羽生善治九段以来、27年ぶり史上2人目の七冠を達成したのだ。
これに引けを取らない快挙でイシス編集学校が誇る若者がいた。それが南田桂吾師範代だ。近畿大学1年生の時にイシス編集学校の存在を知り、アカデミックシアターを監修した人が校長をしている学校だと知り、2年時に基本コース[守]を受講。続く応用コース[破]を経て、3年時には第15期[離]へ進み、2つの特別賞を受賞。その後、師範代養成コース[花伝所]に進み、51期[守]師範代へ。4年時に[破]の師範代を経験、2024年3月には[破]の師範代をやりとげた。千夜千冊に添える図版構成をてがけるチームにも参加し、松岡正剛の方法への探求を継続した。理工学部機械工学科でありながら、編集工学の学びを両立し、大学4年間をかけて編集道を駆け抜けた逸材だ。
51[守]師範代時代に見せた強みは集中力だった。個々の回答に対して、全力集中で指南を届けた。同時に、ゲームメイキングの視点が面白い。スーパーマリオをイメージしてゲーム感覚で取り組む指南、教室名にちなんで、ルイジ君・ソージ君のキャラクターを登場させるユニークな指南は、教室を魅了した。学衆全員がリズムにのって稽古をし、いち早く回答を寄せるトップ回答者も、お題のたびに入れ替わった。
南田師範代が、そもそも花伝所に進んだ理由は「松岡正剛の火を継ぐ者として必要だと思ったから」。教室での指南を通じて、「新しいものを生み出すこと」には生まれ持ったアイディア力ではなく、「編集力」なのだと、自ら発見した南田師範代だからこその、躍動感ある遊び心あふれる教室運営の姿があった。
南田師範代の編集は止まらない。近大を卒業後、人類史を広く参照し、SFの想像力を積極的に持ち出しながら、ロボット込みの実世界実装に向かうことを目指した。ただひたすらにロボットの開発に明け暮れるロボティクスではなく、人間とロボット(コンピュータ)の将来社会における関係を多様に実践するために、東京大学大学院へ進学。松岡正剛校長の著書『千夜千冊エディション少年の憂鬱』を地で行くような少年っぽさをこれからも失わずに、知の冒険を開花させ、ロボット工学と編集工学の交差点を体現してくれるだろう。